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特集
東急東横線2004年1月30日
さよなら横浜-桜木町間
[特集]東急東横線

東横線桜木町駅
2004年1月30日当日の桜木町駅の模様.
この日は雲ひとつ無い晴天だった。

撮影:TH 2004年1月30日

東横線桜木町駅の模様
2004年1月30日当日の桜木町駅の模様.
鉄道ファン以外にも大勢の家族連れやサラリーマンなどが訪れていた.

撮影:TH 2004年1月30日
(画像修正済)
東急桜木町駅とランドマークタワー
東急桜木町駅とランドマークタワー.
横浜桜木町界隈を象徴する風景.

撮影:TH 2004年1月30日
桜木町駅の模様
2004年1月30日 東急桜木町駅ホームの模様
大勢の見物客も加わって終日混雑した.

撮影:TH 2004年1月30日
(画像修正済)
2004年1月30日、東横線横浜-桜木町間廃止 - そして思い出の中に -

 東横線は「東京横浜電鉄」により1926年、丸子多摩川(現在の多摩川園)-神奈川(1950年廃止)間の開業に始まり、1932年に高島-桜木町間の開通をもって全通。東急グループ発展の基礎ともなった看板路線ですが、その実態は開業時は小型の電車運転で開始されたものであり、車両こそ現在は大型8両化され輸送人員もそれなりにあるものの、ハードウエアの規模はそれほど壮大なものではありません。
 長らく最速列車は「隔駅停車」と揶揄された「急行」で、かつては地下鉄との乗り入れも18m車8両編成による日比谷線乗入れが細々と行なわれていただけの、古くから沿線の開発がなされている渋谷直結思考の強い路線でもありました。

※ インターネット普及以前より,こう呼ばれる事が多々あった.

 そんな東横線も最近では輸送改善のため田園調布-武蔵小杉間に目黒線電車を併走させる形での複々線化を実現したり、またJR対抗策として「特急」電車の運転を開始するなど意欲的な出来事が続きました。
 しかし、その影で廃止区間となってしまったのが、東横線の末端区間となる横浜-桜木町間です。
 末端区間なので、さぞ乗客が少ない都会の非採算路線ではないかと一瞬疑うでしょうが、実はそうではない「発展的」な廃止。第三セクター路線である「みなとみらい線」を東横線と接続させ直通運転を開始するため、横浜-桜木町間を代替廃止することになったのです。

 「みなとみらい線」は当初は東神奈川へ至って当時の国鉄横浜線と接続する予定であったのが、1987年の国鉄分割民営化で計画が撤回、1988年に東横線への接続・乗り入れに変更決定された経緯があります。それに合わせて横浜駅を地下化する必要があり、東横線も東白楽-横浜間を地下化し「みなとみらい線」に接続する形となったのです。
 これに伴い横浜-桜木町間は2004年1月30日限りの運転で廃止となります。この区間にはJRのほか市営地下鉄も併走している区間であり、廃止しても多少の不便はあるものの(地下鉄の高島町駅は東横線駅よりも若干離れているが)実害が少ない、という事情もあります。

 実に東急では1969年5月の玉川線・砧線の廃止、首都圏大手私鉄では1983年5月の東武熊谷線,2001年2月の小田急向丘遊園モノレール線以来の廃止ですが、ローカル線でもない都会の真ん中の、それも乗客も多い区間での廃止ということもあり、一般の報道でも首都圏ローカルだけでなく全国ネットでも大きく伝えられていました。それだけ注目を受けていたわけです。

 「都会故に人が多くて録音どころか撮影は・・」と当初はあまりこの「騒ぎ」に乗り気にはならなかったのですが、廃止を控えて東急からある発表がありました。

 それは

「2003年8月1日以降2004年1月30日終了(営業終了日)の定期券に限り、6ヶ月定期運賃を184で割った額に使用日数をかけた金額(10円未満切上)で発売する」

という特例を設けたことです。
 この特例を適用すると、何と「廃止当日(2004年1月30日)1日限りの定期券」が作れてしまうのです。

 例えば東横線全線に当たる渋谷-桜木町ですと320円に、横浜-桜木町間だけだと何と120円の「定期券」が出来てしまう事になります。 通年販売の一日乗車券が無い東急ですので、乗らなければ出来ない録音には役に立つものになるため、事前に「渋谷-桜木町間」の定期券を買って録音と撮影をしたものです。

※ちなみに「中央林間-渋谷経由-桜木町」という東急最長距離級定期券でも僅か510円でした.

 当日は金曜日でしたが多くのファンや一般の方々で桜木町駅は終日大混雑。筆者は昼は撮影、日が暮れてからは録音と夜景撮影に重点を置きました。
 録音はもちろん桜木町発着の電車で、且つ唸りっぱなしで周囲の雑音をマスクしてくれる(=録音し易い)8000系や8590系電車に狙い定めて録音しています。運良く当時最古参の編成(8007F)でも録音できました。

 残念ながら当日は自宅最寄駅から電車で移動していたため、終電車の都合により最終電車の少し前までしか桜木町駅に滞在できず、名残を惜しみつつ渋谷への帰路も欲張って録音。渋谷駅でもこの日限りの「桜木町行」を見ようと大勢の人々の姿がありました。
 その渋谷駅も東京メトロ副都心線(池袋〜新宿三丁目〜渋谷)と東横線との相互直通運転が2013年3月16日に開始され、地下の副都心線駅と共有することなり、地上の東横線渋谷駅も2013年3月15日限りで営業を終えています。

 そんな東横線激変の始まりが、この「桜木町廃止・みなとみらい線乗入れ」。この録音や撮影記録も、いつかは貴重なものになるでしょう。
(TH)

■録音走行音一覧


東急桜木町駅の模様
2004年1月30日 東急桜木町駅ホームの模様
渋谷寄りは撮影で大混雑.

撮影:TH 2004年1月30日
桜木町-高島町間を行く東急8000系
桜木町-高島町間を行く東急8000系.

撮影:TH 2004年1月30日
廃止告知掲示
横浜-桜木町間廃止の告知.
下の小さな掲示は横浜駅地下化の案内.

撮影:TH 2004年1月25日
東横線渋谷駅

直通運転開始と定期券販売の掲示「みなとみらい線」相互直通運転開始と運行,定期券に関する告知.

撮影:TH 2004年1月25日
東横線渋谷駅
渋谷駅の発車案内表示機
東急渋谷駅の発車案内表示機.
これは正面改札口のもの.

撮影:TH 2004年1月25日

渋谷駅の発車案内表示機
東急渋谷駅の発車案内表示機.
こちらは発車ホームにあるもの.

撮影:TH 2004年1月30日
桜木町駅の駅名標
東急桜木町駅の駅名標.

撮影:TH 2004年1月30日
桜木町駅駅名標を撮影する人
桜木町駅の駅名標を撮影する人.
この日は,このような人々が大勢いた.

撮影:TH 2004年1月30日
2004年1月30日限りの定期券
2004年1月30日限りの日割定期券.
これを使用して当日4往復の東横線全区間の録音が可能となった.
(画像修正済)
高島町駅発行の手書き補充券
高島町駅発行の手書き補充券.
これは友人が記念に買ったもの.並んだものの桜木町ほど待たされることは無かったという.
(画像修正済)


東急8000系(非更新車)
渋谷駅停車中の東急8000系クハ8035以下8両.
非更新車は正面に赤帯だけとなっている.LED表示機装備車の各駅停車列車は種別表示無しである.
画像の編成のうち,クハ8035と中間車のデハ8115は改造のうえ,伊豆急で使用中(T-11編成).

撮影:TH 2004年1月25日
(画像修正済)
東急8590系
渋谷駅停車中の東急8590系デハ8695以下8両.(デハ8187号組込編成)
「みなとみらい線」乗入れ対応用に正面貫通型の先頭電動車として製造された.
「特急」はオレンジ色の種別幕となる.

撮影:TH 2004年1月25日
(画像修正済)
東急8000系更新車(歌舞伎塗装)
渋谷駅停車中の東急8000系 クハ8019以下8両.
更新車がご覧のとうりの塗装が施され,ファンの間では「歌舞伎塗装」とも呼ばれている.

撮影:TH 2004年1月25日
(画像修正済)
東急8590系デハ8691以下8両
渋谷駅停車中の東急8590系デハ8691以下8両.
「急行」は赤い種別幕となっている.

撮影:TH 2004年1月25日
(画像修正済)
東急8590系デハ8694以下8両
渋谷駅停車中の東急8590系デハ8694以下8両.
「各駅停車(各停)」は青い種別幕となっている.

撮影:TH 2004年1月25日
(画像修正済)
車内の東横線路線案内図
車内の東横線路線案内図.

撮影:TH 2004年1月25日
東横特急の車内吊広告
東横特急の車内吊広告.

撮影:TH 2004年1月22日
東京メトロ深川工場公開車両内
(画像修正済)

東急東横線 8000系 デハ8137
東横特急 渋谷-桜木町 2004年1月30日録音 (約35分)

録音・編集・プロデュース/TH 2004年編集作品
©TH



東急東横線 8590系 デハ8187
東横特急 桜木町-渋谷 2004年1月30日録音 (約35分)

録音・編集・プロデュース/TH 2004年編集作品
©TH


 渋谷-桜木町間最終日の2004年1月30日の録音です。
 この日は前述の「1日定期券」を活用して4往復程度録音したものですが、その中から程度の良かったものを選びました。

 いずれも特急電車での録音なのですが、これは少ない停車駅故に人の出入りが少なく結果的に安定して録音できたものです。反面、各駅停車は人の出入りが各駅毎になり会話も沢山入ってしまったため、この録音を採用しました。

 程度の良いものとはいえ、デハ8187号の録音は自由が丘からの乗客の会話が入ってしまっていますが、この区間では致し方なく、人物名等は編集で削除し公開版としました。

ここで、東急8000系列(8000系,8500系,8090系,8590系)について解説を。

 東急8000系は地下鉄乗入れ(現在の半蔵門線)を視野に1969年に登場した東急初の大型20m,4扉車。
 日立製作所と共同開発したワンハンドルマスコンと電気指令ブレーキの採用、加えて導入コストの安い「界磁チョッパ制御方式」を世界で初めて導入し、補助電源にサイリスタ・インバーター(SIV)を採用するなど当時の最新技術を導入し、7000系,7200系で培われたオールステンレス無塗装車体と組み合わせたもの。

 積極的な最新技術の導入が図られたものの、登場当時は首振り扇風機のみの非冷房車で、短時間乗車と混雑を考慮して座席の奥行きも少なく、接客設備やアコモデーションの面では大きな進歩が無く、後の冷房化や新製冷房車にも長く首振り扇風機が使われてしまっています。
 異様なまでに扉の開く速度が遅く静かであったり(後年幾分速くなった)、立席の余裕なく出入口までめいいっぱい取りつけられた「8人掛け座席」も初期の特徴。さらに冷房仕様車が登場したにも関わらず、その後予算の都合か何かで非冷房の冷房準備車も製造。この冷房準備車の非冷房時代はご丁寧にクーラーカバーが取り付けられてしまった為に「偽冷房車」だの「空ラー車(くうらー車)」と呼ばれ乗客から不評を買っていたのは、今となっては思い出話です。
 なお、8500系登場以前に製造されたサハやクハ等の付随車は7000系以来の「パイオニアⅢ」台車が当初使用されていましたが、乗り心地が悪いことから後年一般的なペデスダル台車に交換されています。

 以後、毎年増備され東急における大型20m,4扉車の標準の地位を確立。地下鉄乗入れは電動車比率向上等の都合により派生番台となるマイナーチェンジ版の「8500系」となりますが、一時期地下鉄乗入れ車に8000系基本番台車を組み込んでいたものもありました。これは不燃化構造については正面貫通形設計を含めて地下鉄仕様で作られていた為ですが、後に東横線横浜地下化や「みなとみらい線」乗入れの障壁にもならなかったことに先見の明があったと言えます。

 1980年代に入りコンピューター解析による車体強度計算が確立すると、それを応用して軽量ステンレス構造の車体設計が導入され、試作車デハ8254,デハ8255を経て車体上部を緩やかに傾斜させ裾を絞った緩やかな卵型車体の「8090系」が東横線に登場。制御装置や電気品は細かい点を除き、ほぼ変わらないものの車内は依然首振り扇風機のまま、先頭車正面は地上専用車と割り切って非貫通形になりました。
 1988年に東横線と地下新線の「みなとみらい線」との乗入れが決まった事から新製の貫通形先頭車と振替え「8590系」となり、非貫通形の8090系を大井町線へ転属さるという混乱もありました。
 8090系,8590系の製造と並行して8000系,8500系もほぼ外見はそのままに軽量構造を取り入れて増備が続いていましたが、末期増備車でようやく平天井・スイープファン化して首振り扇風機と決別。VVVF化されたものまで登場しました。

 8000系列は20m・4扉車の入線可能な東横線、大井町線、田園都市線(新玉川線)で活躍し(後年地下鉄乗入化した目黒線を除く)、初期の8000系を中心に更新工事も施行。東横線のものは正面に赤と黒帯を回り込ませた通称「歌舞伎塗装」と言われる独特の面構えに。非更新車については更新工事開始時期前より保線現場から「ステンレスのままだと遠方からの認識がし難い」との理由で警戒色を兼ねて赤帯が入れられています。

 2000年以降、5000系列の導入により8000系及び8500系初期車の廃車が開始さて、非更新車を中心に廃車が発生しています。一方で8500系田園都市線車は地下鉄を介し東武線南栗橋までの長距離運行を開始しますが、東武本線上では営団3000系引退後、実に10余年振りとなる首振り扇風機装備車の入線となり、座席の浅さも加わって既存の東武車とのアコモデーションの差が出てしまい、特に優れた乗り心地と深い座席、加速度は劣るもののバーニヤ制御器による滑らかな加速が特徴の東武8000系よりもアコモデーションの見掛けは古く、段数の少ない抵抗制御器による加速時衝動もあって、乗り心地も劣る結果となっています。

 廃車となった8000系や8500系ですが、当初は大型車体故の使い難さから譲渡されることもなく解体処分されていました。7000系や7200系等のように多数が地方私鉄への譲渡されるのとは対照的ですが、後に伊豆急行と長野電鉄に譲渡され、改造の上営業運転に投入されています。

 東横線での8000系は、専ら東横線急行に使われていた7000系がそのまま8090系や9000系に置き換わってしまった為、各駅停車用として使われていましたが、2001年のダイヤ改正により全編成共通運用化されると、急行運用のほか「東横特急」や「通勤特急」にも頻繁に使われるようになり、「みなとみらい線」乗入れ以降も優等列車に使用されていました。しかし、5000系列の追加投入で数を減らし、2006年9月25日のダイヤ改正以降は混雑時間帯のみの運用となり、徐々に数を減らしながら2008年1月23日のサヨナラ運転(クハ8017他7両)をもって、東横線運用を終了しています。
 並行して大井町線の8000系も数を減らし、2008年3月時点でトップナンバー「クハ8001」を含む5両1編成のみとなり(東急線上最後の8000系)、2008年2月22日をもって運用離脱しています。

 8590系についても新5000系投入に伴い、田園都市線や大井町線へ転属となり、2007年初頭で東横線から撤退。大井町線への東横線9000系転属により8090系を含めた大井町線所属車の廃車もあり、一部は秩父鉄道や富山地方鉄道へ譲渡されています。

8000系主用諸元(デハ8100形のうち8111〜8142のグループ)
製造初年 1970年
車体 全ステンレス鋼溶接組立
全長20000mm 全幅2800mm 全高4145mm
重量34.3t
定員144名(座席64名)
定格引張力4400kg 定格速度46.3km/h
主電動機 直流複巻電動機 東急形式TKM-69(東洋TDK-8060-A/共通設計品の日立HS-836-Orb,東芝SE-576と併用) 定格375V 130kW 1450rpm (1車両4個装備)
駆動方式 中空軸並行カルダン駆動(駆動装置製造/東洋電機製造) 歯車比5.31
制御装置 日立MMC-HTR-20A
制動装置 HRD-2R(回生制動併用電気指令方式)
台車 東急車輌TS-807(ダイレクトマウント式空気バネ・軸箱守ペデスダル式)
製造 東急車輌製造株式会社
※デハ8100型は単独1M(1C4M)車として代用可能。その際は永久直列制御となる。

8090系 8590系主要諸元(デハ8100形のうち8191〜8199,8180〜8189,8190)
製造初年 1980年
車体 全ステンレス鋼溶接組立(軽量構造)
全長20000mm 全幅2800mm 全高4145mm
重量32.6t
定員144名(座席54名)
定格引張力4400kg 定格速度46.3km/h
主電動機 直流複巻電動機 東急形式TKM-80(東洋TDK-8270-A/共通設計品の日立HS-22434-01RBと併用) 定格375V 130kW 1450rpm (1車両4個装備)
駆動方式 中空軸並行カルダン駆動(駆動装置製造/東洋電機製造) 歯車比5.31
制御装置 日立MMC-HTR-20F1 (8191,8192はMMC-HTR-20F)
制動装置 HRD-2R(回生制動併用電気指令方式)
台車 東急車輌TS-807B(ダイレクトマウント式空気バネ・軸箱守ペデスダル式)
製造 東急車輌製造株式会社

8590系の「急行 桜木町」表示
8590系の「急行 桜木町」表示.

(画像修正済)
[特急]桜木町
「特急 桜木町」の表示.
9000系のものだが、他の幕式表示車も同様.

[急行]桜木町
「急行 桜木町」の表示.
8590系のもの.

[各停]桜木町
「各停(各駅停車) 桜木町」の表示.
9000系のもの.

4点いずれも撮影:TH 2004年1月25日



収録車両編成表(下線が録音収録車)
デハ8137(8007編成)
←渋谷 桜木町→
Tc2 M2 M1 M2 M1 M2 M1 Tc1
クハ8007 デハ8245 デハ8107 デハ8260 デハ8137 デハ8204 デハ8108 クハ8008
※8007編成は2005年6月10日に一旦運用離脱し、その後2005年7月2日から24日まで「伊豆のなつ号」特別塗装車となり終了後廃車。
その後インドネシアに輸出された。


デハ8187(8695編成)
←渋谷 桜木町→
M2c M1 T M2 M1 T M2 M1c
デハ8695 デハ8189 サハ8399 デハ8287 デハ8187 サハ8390 デハ8289 デハ8595
※8695編成は当初東横線所属であったが、1997年10両編成化し田園都市線に転属するも2003年に田園都市線から復帰(8両編成化)。2006年7月に東横線から再度田園都市線に転属している(再度10両編成化)。

2004年1月30日の桜木町駅,高島町駅周辺の模様
全てTH撮影

廃止当日の東急桜木町駅の模様
廃止当日の東急桜木町駅の模様.

(画像修正済)
桜木町駅臨時定期券販売所の列
桜木町駅臨時定期券販売所の列.
本文中で触れた「1日定期券」や手書き補充券の販売が,既に閉店した駅構内のコーヒーショップの跡地を利用して行われたが、行列は日が暮れても駅の外まで続いていた.
桜木町-高島町間の8000系歌舞伎塗装車
桜木町-高島町間を行く8000形更新車.
正面の独特の塗り分けで通称「歌舞伎塗装」と言われている.
桜木町-高島町を行く東急8000系
桜木町-高島町間を行く東急8000系.

(画像修正済)
高島町駅付近を行く東急8000系
高島町駅付近を行く東急8000系と9000系.
背後の円形を冠した建物は日産自動車の「日産横浜ビル」.日産自動車は横浜が創業の地で,東京銀座の本社機能を2010年に高島町から程近い「みなとみらい」地区に移転することとなった.

(画像修正済)
高島町駅付近にて
高島町駅付近にて.
かつてこの付近には造船所などの大規模工場があり,駅は多くの労働者で賑わっていたと言う.
高島町駅付近にて
高島町駅付近にて.
このビルに映る東横線電車も,この日限りのものとなった.

(画像修正済)
高島町駅を行く東急8000系
高島町駅を行く東急8000系.
廃止当日の東急高島町駅の模様
廃止当日の東急高島町駅の模様.手書き補充券の販売も行われた.
既にこの時間,駅構内の清涼飲料水自動販売機は販売を止め,撤去作業を行っていた.

(画像修正済)
高島町駅高架下の蕎麦屋の列
高島町駅高架下の蕎麦屋の列.
この蕎麦屋さんも,この日をもって営業を終了することになった.高島町駅付近に造船所があった頃は多くの労働者が利用して賑わっていたとのこと.

(画像修正済)
高島町付近
高島町駅付近にて.
この日は晴天に恵まれた.
高島町付近
高島町駅付近にて.
西日がステンレスの車体に反射する.
日が暮れだした頃の桜木町駅
日が暮れだした頃の東急桜木町駅..
いよいよ仕事を終えて駆け付けたファンや帰宅するサラリーマンで混雑してきた頃.

(画像修正済)※
日が暮れだした頃の桜木町駅
日が暮れだした頃の東急桜木町駅.
改札口寄りは撮影するファンで一層混雑してきた.
表示機に出される案内に「廃止」の文字があるのが,寂しさを感じさせる.

(画像修正済)
夜の桜木町駅
30日18時頃の東急桜木町駅..
並んでいるのは,日割り定期券と手書き補充券を買い求めるファンの列.夜遅くまで列が出来ていた.
夜の東急桜木町駅
夜の東急桜木町駅.
横浜の夜景ともお別れ.明日からは横浜中心部は地下区間走行となる.

(画像修正済)
夜のビル群と東横線
夜のビル群と東横線.
この景色もこの日が見納めとなった.
夜の高島町駅付近
夜の高島町駅付近.
いよいよ,この風景とお別れの時が近づいてきた・・・.
高島町駅前の路地から
高島町駅前の路地から.
ここに電車が来るのも今夜限り.

(画像修正済)
30日23時過ぎの東横線渋谷駅
30日23時過ぎの東横線渋谷駅.土地柄この時間普段でも 人は多いが,この夜は最後の桜木町行電車を見送ろうと大勢の人々が集まっていた.

(画像修正済)

ありがとう東横線

ありがとう東横線

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制作・著作 Copyright © 1995 Toru Hirose (Stream Express)
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