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東京メトロ (営団地下鉄)
東京メトロ (営団地下鉄) の走行音録音です。

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年間輸送人員23億人・首都東京の大動脈
 今や大手私鉄の一角で、路線長は4位なるも、所有車両は2600両余・年間輸送人員数は23億人と大手私鉄では最大規模となる東京地下鉄(東京メトロ)ですが、その起源は1927年に開業した「東京地下鉄道」による、現在の銀座線浅草-上野間の開業まで遡ります。
 後に新橋まで開業し、そして東京高速鉄道による新橋-渋谷間が開通。紆余曲折を経て浅草-渋谷間の直通運転を開始しましたが、戦時中の国策により、両社の路線は「帝都高速度交通営団」に継承。
 終戦までこの1路線だけで、車両も小型で単行運転可能な車両のみでしたので、路面電車の延長のようなものでもありました。

 戦後、現在の丸の内線にあたる路線の建設に始まり、高度成長により次々と路線を建設。都区内近郊に張り巡らされた路線長は192.1km。 2004年に民営化し「東京地下鉄」(東京メトロ)となりましたが、この規模は西武鉄道を越え、名古屋鉄道(名鉄)に次ぐ規模となっています。

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 車両面でも地下鉄用車両ということもあり、旧東京地下鉄道時代開業時に機械式のATS(自動列車停止装置)や全鋼製車両といった地下鉄に特化した車両が導入され、戦後営団地下鉄になってからも、1944年に丸の内線でのWN駆動・赤い車体にサインカーブ、行先表示幕装備※1や窓下前照灯といった当時では斬新な300形導入に始まり、 1961年には超多段制御に丸みを帯びた無塗装ステンレス車体とした3000系が、1970年には回生制動付サイリスタチョッパ制御に非対象形の前面デザインの6000系等を輩出するなど、開業する路線に応じて斬新なデザインと先進の技術を採り入れています。

※1 当時行先表示幕の設置は後に首都圏私鉄で普及が拡大し、首都圏大手私鉄鉄道線での行先表示板(関西地方私鉄では「運行標識板」)の使用は1990年代前半の京成が最後となり、同時期に営団地下鉄6000系でLED表示器の採用も始まった。
一方で、関西地方私鉄では廃止が首都圏に比べて非常に遅れ、2010年代になっても阪急で大手私鉄唯一の正面方向幕・表示器を装備していない行先表示板(運行標識板)使用の旧々型車が定期運用されていた。


 編成両数が貫通固定編成ながら長大なことも特徴的で、千代田線6000系以降は編成単位の増備となり、東西線,千代田線本線,有楽町線,半蔵門線で20m4扉車による10両貫通固定編成となっているほか、南北線が6両編成、副都心線は10両編成と8両編成があり、また丸ノ内線,千代田線の支線用に3両編成があります。

 また、相互乗り入れによりJR(←国鉄)や大手私鉄を介して、北は埼玉県の久喜市、東は利根川を越えて茨城県の取手市、西は埼玉県の小川町や飯能市、南は神奈川県の伊勢原市までと、首都圏1都4県の広範囲な運用も特徴で、乗り入れる他社車両も多種にわたり、特に千代田線では地下鉄唯一の特急ロマンスカーの乗り入れもあります(北千住-箱根湯本)。

 東京地下鉄となって以降も、特徴的な車両を輩出しています。
副都心線10000系は特徴ある前面形状に冷房吹き出し口を横にし空間を広く見せる天井設計、貫通路に強化ガラス扉を用いた開放的なデザインがとなっているほか、千代田線の第三世代車16000系では日本の量産系列初の永久磁石同期電動機(PMSM)を採用するなど、さらなる電力使用量の削減と保守向上を図っています。

 銀座線1000系や丸ノ内線2000系では引続きPMSMを採用し、自己操舵台車の導入により曲線通過性能の改善を図っているほか、銀座線旧形車を模したレトロティックデザインに、高耐性フィルムを用いた塗装風全面ラッピング処理を採用。大手私鉄でも関西地方3社で未だ無塗装車体を本格導入していない所もある中で※2、無塗装ながら全塗装風の車体を実現するなど、技術面のみならず環境面、デザイン面でも常に斬新な車両開発が行なわれています。

※2 関西地方私鉄の阪急,京阪,近鉄。
近鉄はステンレス試作車4両があったが廃車となり、再び全車塗装車体となっている。京阪は他社からの乗り入れもなく、全て塗装車体となっている。阪急は地下鉄からの乗り入れ車(大阪市交66系)が無塗装ステンレス車であるものの、自社の車両は現在も全車が開業時以来の暗色系塗装車体である。


東京メトロ6000系 東京メトロ6000系.
回生制動付サイリスタチョッパ制御や,特徴ある非対象デザインの前面,アルミ車体の採用等,時代を先取りしたその設計思想は,1970年代日本の鉄道車両傑作車のひとつである.

車両寿命40年を目標とし,初期車両は実際に40年使用され,16000系への置き換え後は一部がインドネシア・KRL Jabotabek譲渡されている.

撮影:TH 2007年12月15日
東京メトロ綾瀬車庫(公開時撮影)
(画像調整済)
営団地下鉄3000系 営団地下鉄3000系.
丸みを帯びたステンレス車体に,超多段制御器,試験搭載されたATO(自動列車運転装置)等,当時最新の技術を搭載した.

画像の3001号,3002号車は保存のため保管されていたが,長野電鉄の車両不足により一旦譲渡.東急からの譲渡車と入れ替わり,東京メトロに里帰りしたもの.
東京メトロでは技術継承を目的として復元作業が行なわれている.

撮影:TH 2007年12月15日
東京メトロ綾瀬車庫(公開時撮影)
(画像修正・調整済)

旧東京地下鉄道1000形 日本初,そしてアジア初の地下鉄車両である,旧東京地下鉄道1000形.
1968年まで現役で使われた.

その後,神田にあった交通博物館で保存されていたが,葛西の地下鉄博物館開館に合わせて復元し移設したもの.

撮影:TH 2002年4月3日
地下鉄博物館 (画像調整済)
営団地下鉄300形 赤い車体にサインカーブ模様が特徴的な,営団地下鉄300形.
こちらは,現役末期の姿で保存されている.

撮影:TH 2003年10月16日
地下鉄博物館 (画像調整済)




営団地下鉄銀座線
営団銀座線の在来車.
2000形までの在来車は相互に連結・総括制御でき,連結運転時に左右両側から車番が判るよう,正面・妻面の左右両方に記された車両番号が特徴的.
廃車されるまでこの表記は続けられており,一両単位で運転・管理されていた時代の名残でもあった.

撮影:TH 1987年 上野駅
(フィルム撮影)
営団地下鉄銀座線 1700形出力増強車(吊り掛け駆動)
浅草→渋谷 1985年夏録音

録音・編集・プロデュース/TH 2006年再編集作品
©TH


 Stream Expressの前身サイトで公開されたのが、この走行音(の旧編集版)です。
 また、鉄道系ウェブサイトとしては本邦初の全区間鉄道走行音ストリーム送信作品とのことです。

 録音はモノラルテレコですが、地下トンネルに加え夏場のファンデリア使用期間中の収録であったため、音質にはやや難がありますが、4個モーター装備車(出力増強車)の末期の録音ですので特徴的な吊り掛けサウンドがお聴きいただけます。

 銀座線は営団時代に01系チョッパ/VVVF車に統一されていますが、以前は旧東京地下鉄道開業以来、運転台付き車両により柔軟に編成が組まれておりました。1960年代後半に1500N1形導入以来、吊り掛け車のみの編成はなくなりましたが大多数の編成には1両あるいは2両吊り掛け車が組み込まれました。

 1700形はこの1500N1形導入の際に付随車化された旧東京地下鉄道1200形および営団初の新製車両1300形から捻出された主電動機を組み込み、それまでの2個モータから4個モーターに増強されたものです。2個モータ車に比べてあきらかにダイナミックなサウンドをトンネルに響かせていました。

 銀座線吊り掛け車は、都区内山手線内においては最後の鉄道線吊り掛け駆動電車となりました。
 懐かしき日々の都会の鼓動をお聞きください。


現・東京メトロ01系 (渋谷)
渋谷駅に入ろうとする01系.

旧東京高速鉄道開業時以来の東横ビルに駅を構えていた.
緩い円形アーチが特徴であったが,再開発により建て替えの対象となり,宮益坂寄り(画面奥の場所)に移転した.

撮影:TH 2007年10月26日 渋谷駅
(画像修正済)
営団地下鉄銀座線 01系 01-506 (四象限チョッパ)
渋谷→浅草 2004年1月25日録音 約32分

録音・編集・プロデュース/TH 2007年編集作品
©TH


 在来車両の置き換えを目的とした「営団ゼロシリーズ」最初の系列として、直流分巻電動機駆動の「高周波分巻チョッパ制御(四象限チョッパ)」となり、機器の小型化が図られています。

 分巻電動機を高周波分巻チョッパ制御とすることで、主平滑リアクトルを省略し、前進・後進・力行・回生の4モードを連続して制御させることが可能となり、一層の無接点化・小型化・軽量化が図られました。
 日本では営団地下鉄→東京メトロ以外での鉄軌道電気車には用いられていない方式であり、その特徴あるサウンドは最も営団地下鉄らしいものではないでしょうか。

 営団ゼロシリーズの先駆けともなった01系ですが、ATO運転・ホームドア対応となる次世代車両「1000系」の導入が開始され、2016年3月をもって運用を終了することが発表されています。


営団地下鉄03系 (北千住)
営団地下鉄03系.
先代3000系では,東武乗入用・東急乗入用・両用と3種類の編成があり運用が別れていたが,03系では3社すべてに対応することで,共通運用可能とた.

撮影:TH 2000年9月23日 北千住駅
(画像調整済)
営団地下鉄日比谷線 03系 03-214 (四象限チョッパ)
中目黒→北千住 1999年12月11日録音 約43分

録音・編集・プロデュース/TH 2011年編集作品
©TH


 1999年に録音していた営団03系高周波分巻チョッパ車(四象限チョッパ車)の録音を、復習を兼ねて編集しました。
 2000年初頭には公開したかったものですが、会話が多かったのと諸般の事情等があり、永い間「塩漬け」になっていた録音です。

 録音した03-214号車は収録当時、お聴き頂くように俗称「ジェット音」とも言われる主電動機軸受の電触から来る異音を発しており、かなり派手な音になっています。
 簡易なレコーディング・ウォークマンでの録音で音質的には十分なものではありませんが、特徴は捉えている事と営団時代の録音ということもあり、公開することとしたものです。

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 03系は3000系の代替と増備のため1988年に登場。05系の検討中に急遽03系の計画が決定し、完成まで10ヵ月程しか無いタイトなスケジュール下での進行で、基本設計と機器はは05系のものを基とし、車両のデザインは机上での検討のみで進められたとのことです。
 前任の3000系がセミステンレス車体であるにも関わらず丸みを帯びた特徴的なものであったため、03系の正面デザインは3000系の丸みのある意匠を継承するようにされています。

 2015年、日比谷線へのホームドア設置の目的から20メートル車・4扉化が発表され、後継系列となる13000系が登場しましたが、早くも13000系の定期運用投入前から03系の淘汰が開始され、録音した03-214を含む03-114編成(第4次増備車で,1991年度製造)がその第一号として2016年2月に運用を離脱し、解体先へ廃車回送されています。

 なお、03系の全般検査は2004年までは南千住にあった千住工場が担当でしたが、現在は半蔵門線担当の鷺沼工場(東急田園都市線鷺沼駅最寄)に統合され、回送や試運転では東急目黒線・大井町線や田園都市線を走行することがあります(13000系も同様で,東横線内でも試運転を行なった)


営団地下鉄06系
臨時急行「ドラゴン号」の06系.

千代田線車両であり行先表示機に有楽町線駅の設定が無いため,正面窓に行先板で表示していた.

撮影:TH 2002年8月10日 新木場駅
(画像調整修正済)
小田急多摩線・小田原線 営団地下鉄千代田線・有楽町線 06系 06-901
臨時急行「ドラゴン号」 唐木田→新木場 2002年8月10日録音 約75分

録音・編集・プロデュース/TH 2015年編集作品
©TH


 夏の東京湾臨海副都心部で開催された「東京湾大華火祭」に合わせ、小田急線唐木田から千代田線を経由し有楽町線新木場まで運転された、06系による臨時急行「ドラゴン号」の録音です。

 さて、千代田線と有楽町線には営団曰く「幻のトンネル」と呼ばれる連絡線が霞ヶ関駅〜桜田門駅間にあり、有楽町線車両等を綾瀬工場へ回送するために用いられていますが、乗客を乗せた営業運転は長いこと行なわれていませんでした。
 21世紀に入ってから臨時営業列車での運転が行なわれるようになり、この2002年の「ドラゴン号」で募集によらない初めての臨時営業列車が運転されました。
 本録音は、その興味から録音したものです。
 このような花火大会合わせの臨時列車で乗客も多数ということもあって網棚からの簡易な録音となり、誤乗防止目的からか車内放送も大音量フルブースト状態で録音にも若干影響を受けておりますが、「幻のトンネル」の走行と、廃車になった06系の録音ということもあり、急遽編集したものです。

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 当時の営団地下鉄は全て通勤列車ということもあり、このような臨時列車の放送には手慣れていない様子が伺えますが、一方で小田急のほうは古くから特急ロマンスカーによる優等列車の運転もあり慣れたものがあるのも、この録音の特徴でしょうか。

 この「東京湾大華火祭」への臨時列車は2006年度まで設定されましたが(但し2006年度は雨天中止により運休,実質的に2005年度まで)、以後は有楽町線のホームドア設置計画等により線内での増発列車での対応となっていましたが、その「東京湾大華火祭」も2016年から開催中止となっています。

 営団地下鉄(→東京メトロ)では2002年以降も、各線で臨時直通列車の運転を毎年のように行なうようになり、隅田川花火大会合わせの丸ノ内線から銀座線への直通臨時列車、南北線や日比谷線から東横線横浜方面への臨時列車のほか、半蔵門線でも押上開業時に東武車による日光線・鬼怒川線直通列車が運転され、2000年代は様々な理由で臨時列車が運行されていました。

 特に千代田線関係では、小田急線方面に臨時列車が多く運転され、正月や夏期の江ノ島方面、観光シーズンの箱根方面、紅葉時期には伊勢原方面への臨時列車も運転される等実績を多く残し、後に特急ロマンスカーの定期運転や、夏期・紅葉時期等の臨時運転へと結実しています。


 最初となった2002年度の「ドラゴン号」には06系が用いられました。
 06系は1993年、当時の営団地下鉄が「21世紀を目指した次期新型車両」として有楽町線07系と共に製造した車両です。
 この頃、営団地下鉄では車両の冷房化率を高めるべく各線で新型車両の投入を進めていましたが、千代田線では在来車への冷房化改造(準備工事車への取付を含む)のほか輸送力増強計画があり、在来の6000系が登場してから20年を経過したこともあり見直しの時期ともなったため、有楽町線と共に新型車両導入となったものです。

 走行機器にIGBT素子によるVVVFインバータ制御が日本で始めて導入され、1軸制御(1C1M)により電動車比率を下げたほか、3レベル化により高調波を低減し正弦波に近くしたことで低騒音化を図っています。
 また車体は営団伝統のアルミ車体で、営団車両として初めての大型排障器(スカート)の設置と、運転室面積の拡大目的から先頭車のみ70mm延長し、駅停車時の扉位置と乗降位置とのズレを抑えるために変則的な「4-6-7-6-4」の座席配置が特徴となっています。

 千代田線06系はこの1編成10両のみの製造でしたが、姉妹形式の07系は有楽町新線(現・副都心線)や西武線乗り入れ等による増強もあったことから6編成60両製造されました。
 「21世紀を目指した次期新型車両」として90年代にデビューした06系・07系でしたが、21世紀に入り民営化してからの増備・置き換えは、さらなる新技術の導入及び「標準仕様ガイドライン」に準拠した10000系(有楽町線・副都心線兼用)や16000系(千代田線)によって行なわれることとなり、総計7編成70両と営団地下鉄(→東京メトロ)としては小数派系列となってしまいました。

 07系は21世紀に入り有楽町線ホームドア設置との関係で、変則的な座席・扉配置であること理由として2006年をもって有楽町線から撤退し、東西線へ移籍しています。
 一方、千代田線本線用車両36編成360両を全て16000系に統一する計画が発表された中、06系は1編成のみということもあり去就が注目されていましたが、2015年に入ってから故障を理由に運用から外れる事態となり、登場後23年を経過した2015年8月に廃車、新木場CR構内で解体処分となってしまいました。

 営団地下鉄(現・東京メトロ)は車齢40年に迫ったり、あるいはそれを越える長寿命の車両もあり、6000系の6101編成のうち6両が47年目となる2016年まで運用されたほか、量産1号編成の6102編成も46年目を迎えた2017年現在運用中であり、過去には銀座線1200形が廃車まで実に50年以上使用されていましたが、一方で様々な計画や理由から短命に終るものも少なくなく、例えば銀座線1500N2形は01系への統一により僅か12年で廃車、また長期製造された5000系でも最終増備車等が編成単位の廃車によって20年余りで(巻き添えで)廃車される例もありました。

※但し製造当初より半導体制御であり(電気子チョッパ),最後まで残存した6000系は全てVVVF化済と,未だ健在する関西地方私鉄の同世代(阪急3300系等,殆どが抵抗制御)と比べると,だいぶチートである.

 21世紀に入り民営化してからは将来を見据えたライフコストをより重視するようになり、手間のかからない新型車両によるコスト低減と車種統一を図る目的から、大規模修繕を行なわずに廃車する例が出始めています。

 まず、06系とは3年違いの1990年製造の千代田線6000系最終増備車6135編成が、重大故障を理由に21年目の2011年に修理されぬまま廃車されたほか、銀座線01系もATOやホームドア設置に絡む計画により新型車両1000系へ全車置き換えられることになり、1997年製の最終増備車01-138編成が16年目の2013年に廃車されるなど、標準仕様車による大量増備で体質改善が急速に進む首都圏私鉄の中でも群を抜く早さです。


営団地下鉄東西線5000系
中野駅に停車中の営団5000系.

3000系に比して,車体デザイン・構造簡素化や制御器段数の見直し等のコストダウンが図られており,営団で最も多く製造された.

撮影:TH 2004年1月25日
(画像調整済)

営団地下鉄東西線 5000系 5334
快速 東葉勝田台(東葉高速線)→西船橋→中野 2004年1月25日録音 約66分

録音・編集・プロデュース/TH 2004年編集作品 2020年調整第2版
©TH


 1964年の営団東西線開業時より使用された5000系ですが、東西線のCS-ATC化(ATC更新)に伴い、2007年3月17日をもって東西線から引退しました。
※千代田線支線ではアルミ車3連2本が引続き運用中。2014年5月運用終了.

 後年の冷房化の際に従来の抵抗制御・電気ブレーキ方式(HSC-D)から界磁添加励磁制御・回生ブレーキ(HSC-R)化されましたが、停止時に停止直前までモーター音が唸らなくなったことと消音器の変更による変化以外は、音的には以前とあまり変わりません。
 100km/hでの快速運転時は唸りをあげて爆走し、地下区間の速度の緩い区間では1960年代設計の営団車らしい「ぅーふぃーん」と軽やかなサウンドを奏でて走っています。
 主電動機は営団制式の「MM-5A/B」ですが基本は三菱の「MB-3088」系(100kw)で、その他に日立,東洋電機,東芝製の共通設計品が使用されてい ます。

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 録音した5334は、1971年の千代田線霞ヶ関延長開業・5両編成化に伴い、千代田線用に増備されたものです。
 千代田線の開業が北千住-大手町間で3両編成で行なわれる事や、電気子チョッパ制御の6000系が10両固定編成となったことから、千代田線開業時には先に5000系を導入することとし、いずれ東西線の増備の際に転属させる計画としていましたが、実際に1981年6000系4次車(8000系タイプの1段下降窓車)の増備により、東西線へ転属しています。

 千代田線は車内信号式ATC(CS-ATC)により運転されることから、運転台は東西線仕様のものに別途ATC表示器を、助手席側にATC機器箱を設置。ATC表示器は速度計組み込みのものではなく、運転台コンソールに横長の表示器箱を後付けする形で設けられていました。
 後に6000系が運用されるようになり、5000系も5両編成を2本繋げ10両編成化し国鉄に乗り入れる際、10両編成時の先頭車運転台は速度計組み込みタイプのものに取り替えられましたが、中間に封じ込まれた先頭車については東西線転属までそのままでした。
 転属の際、ATC機器は東西線用のものに取り替えられましたが、取り外された千代田線用ATC機器等は改造のうえ前述の6000系4次車増備車に転用されています。

 また千代田線では本線以外でも北綾瀬支線の区間運転用にも用いられ、開業用に中間車3両を増備。本線用の5両+5両編成から先頭車,中間車を3両捻出し、6000系1次試作車3両と共に支線用車としたほか、本線用の別の編成を7両+3両に組み変え、3両側を支線兼用車とています。
 この7両+3両という組み合わせは、実は東西線で当初計画されていたもので、ラッシュ時には10両、昼間閑散時間帯は7両での運転を計画していたことから、5000系は増解結のために2次車より先頭車には電気連結器を装備していました。
 後にこの計画は無くなりましたが、冷房化まで電気連結器が装備され、千代田線の5両+5両や7両+3両、東西線10両化当初にあった5両+5両といった編成同士の連結で重宝されています。でもなぜか東西線では、本来の7両+3両が実現することはありませんでした。

 千代田線本線用5000系が置き換えられた後も、支線用には3両2本の5000系(と6000系1次試作車3両1本)が配置され、長く使われましたが、支線のホーム柵設置・ATO運転化に伴い、東西線から5000系アルミ車3両2本が転属。6000系1次試作車とともにATO化改造され、5000系セミステンレス車を置き換えていますが、結局この支線用セミステンレス車6両は終生一貫して千代田線でのみ使われ、本来東西線用系列なのに東西線を走ったことがない5000系となりました。

5334
製造:汽車会社
竣工日:1970年11月14日
新製配置区:綾瀬検車区(千代田線)
転属:1981年9月14日 深川検車区(東西線)
冷房改造:1991年7月29日
廃車日:(調査中)


5000系こぼれ話

 東西線開通時には検査設備が無く、5000系の検査を日比谷線千住検車区で実施することになりました。
 鉄道ピクトリアルNo.481「特集・帝都高速度交通営団」にその時の様子が記されています。

 それによりますと、当時東西線には検査設備が無く5000系の検査期限となったため、日比谷線千住検車区で実施することとし、国鉄線を経由し北千住から東武線に入り一旦草加まで行った後、南千住に到着。
 南千住の車庫は18m車で設計していたので、事前に20m車が入線できる番線を調査。工場線には1両づつ手押しで入線したとのこと。
 この検査出場時に4両足して7両編成化しています。

 そして肝心の日比谷線での試運転ですが、終車後に南千住から上野駅の手前まで下り線(B線)を使って行った、とあります。
 確かに、日比谷線のA線(中目黒方面線路)ではトンネル入口の急カーブでは内側となり、またB線では上野駅手前がカーブの内側となっており、当時は車外信号式ATCで色灯信号機がトンネル側壁等に設けられていましたので、国電サイズの5000系ではこれが限界だったのでしょう。
 前述の鉄道ピクトリアル誌での、それよりも前の営団特集でも日比谷線は18m車でトンネルを設計し余裕が無く、改良には大きな工事を要する旨の営団側からの回答が掲載されていましたが、13000系の導入にあたっては既にCS-ATCとなって側壁等にあった色灯信号機が無くなったこともあり、他の設置物の移設はあったとはいえ大きな改良工事を行なうことなく(そして車両側も操舵台車採用等によって)、対応がなされることとなりました。
千代田線5000系 千代田線に投入された5000系.

CS-ATC機器箱を助手席側に置いたため,窓の半分ほどの高さまで埋まってしまっている.おかげで6000系同様,客室からは大人でも前がよく見えなかった.
国鉄常磐線にも乗り入れ,屋根上に常磐線無線アンテナが取り付けられている.

撮影:TH 1980年頃
常磐線 亀有-金町間
(110フィルム撮影・画像調整済)
5334号車内 5334号の車内.
更新工事と冷房化改造を受けているが,戸袋窓の廃止はされていないタイプである.

営団5000系(と3000系)の側窓は,一本の溝に上下2枚の窓が入っており,下窓を開けば上窓も一緒に上がる構造となっているため,他社のものに比べて下窓上昇が重たいものだった.
サッシ枠交換時に,上枠は下辺内外がツマミ一体枠に交換され,冷房化前は駅係員や勝手を知った乗客が外から窓を開ける光景も,しばしあった.

撮影:TH 2004年1月25日

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制作・著作 Copyright © 1995 Toru Hirose (Stream Express)
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