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一畑電気鉄道 一畑電気鉄道
一畑電気鉄道の走行音録音です。

デハ52ほか4連
デハニ52(現デハ52)ほかによる3両編成.
オレンジ色はかつての非自動扉車の塗色であった.

撮影:DS 1993年11月4日
(画像修正済)
103+23+102+102の4両編成
103+23+102+102による4両編成

撮影:DS 1990年9月5日
デハ22+クハ102
デハ22+クハ102の2連

撮影:DS 1989年9月11日
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出雲の地を走る正調ローカル私鉄
 一畑電気鉄道(いちばたでんきてつどう、2006年4月より「一畑電車」)は島根県の出雲と松江、そして出雲大社へと結ぶ、総延長42kmの私鉄です。

 1914年4月、前身となる「一畑軽便鉄道」により現在の「出雲市駅」と「雲州平田駅」(※)の間が開通。当時は蒸気機関車による軽便鉄道でしたが、1925年7月に「一畑電気鉄道」となり、出雲市駅と現在の「松江しんじ湖温泉駅」の間で電車による運転が開始、1930年には川跡駅と現在の「出雲大社前駅」を結ぶ「大社線」が開通します。

※1970年から2005年3月21日までは「平田市」だったが、合併で平田市が廃止されたため、これに合わせて「雲州平田駅」に戻っている。

 一畑電車も他のローカル私鉄と同様に経営は厳しく、国や地方自治体による欠損補助でなんとか経営を維持しておりましたが、1997年にその補助も打ち切られ沿線市町による補助を受けていますが、景気低迷で依然として苦しい経営体制が続いています。

 反面、苦しい経営状態であったため貴重な旧型車が近年まで残っていました。
電化以来の「手動ドア」で有名だった生抜きの電車のほか西武鉄道からの旧型電車を譲り受け、この状態が続いておりましたが、1997年の沿線市町による経営補助体制になってからは京王や南海などの大手私鉄からの譲渡車輌に置きかえられ、最後に残ったデハニ53が2009年2月のさよなら運転をもって運行を終了。
 1990年代まで車輌や設備面での大きな変化がなかったため、最近まで比較的懐かしい雰囲気を残す「正調ローカル私鉄」でもありました。

 一畑電車オリジナルの車両のほとんどは20世紀初頭の私鉄向けの代表的な形態で、使用されている電気部品も国産化初期の代表的なものが使用されていました。これら車両は苦しい経営状態が続いたが故に20世紀末期まで残り貴重な存在でした。また廃車されるまで客用扉が「手動扉」であったことも大きな特徴でした。

 一方、西武鉄道からの譲渡車のほとんどは戦前の旧西武鉄道や武蔵野鉄道時代の車両で、戦後西武が国電型パーツで統一を図っていた頃に放出された車両です。車両の履歴に西武鉄道の歴史の一端を垣間見ることができ、またその多くが後に電動車化されたため、その際に使われた中古電気部品は様々なところから寄せ集められたもとなり、20世紀初頭の日本の電車部品の歴史をも垣間見ることができます。

 DS様より、貴重な録音データと画像のご提供を受けました。
 DS様監修による詳細な解説と共に、貴重な旧型車走行音をお楽しみ下さい。


録音一覧
デハ22 松江温泉-電鉄出雲市
デハ72 松江温泉-電鉄出雲市



デハ22
川跡駅に停車中のデハ22+クハ102.

撮影:DS 1996年9月22日
デハ22
デハ22サイドビュー.

撮影:DS 1996年9月22日 川跡駅
デハ22号車内
デハ22号の車内.

撮影:DS 1995年11月12日
デハ22号の手動ドア

デハ22号の手動ドア.

撮影:DS 1995年11月12日
引退日/最終運用
1997年1月5日
電鉄出雲市17:26発→川跡17:35着(デハ22+クハ102)

デハ20形新旧番号対照表
デハ21→デハニ51
1928年4月 日本車輛製/1951年8月改造

デハ22→デハ2
1927年9月 日本車輛製/1951年12月改造

デハ23→デハ1
1927年9月 日本車輛製/1952年7月改造

デハ24→デハ5
1927年9月 日本車輛製/1953年1月改造


一畑電気鉄道 デハ20形 デハ22
北松江線328列車 松江温泉-電鉄出雲市 1993年11月4日録音 約49分

録音/DS 編集/TH 2008年編集作品
©DS/TH


 デハ20形 デハ22号電車は、1927年の電化開業にあわせて日本車輌で製造されたデハ1形デハ2号電車を、1951年に2扉・クロスシート車化した車両です。
 このデハ22号をはじめ、一畑オリジナルの電車の多くは廃車まで何と「手動扉」のまま残ったことです。録音をお聞き頂くとおわかりですが、ドアエンジンの音や自動で扉の閉まる音がありません。
 発車の際は乗客や車掌が扉を閉め、車掌の笛の合図ですぐに警笛が鳴り出発。ホームを過ぎ安全確認が済んだところで車掌が最後の扉を閉めます。

 またワンマン改造を受けずに残ったため車掌による案内放送がありますが、当時は朝の時間帯に急行列車があり「"各駅停車の"電鉄出雲市行き」と案内しています。

 走行音のほうですが、非常に特徴的なサウンドをしています。
ギヤ駆動音のほかにモーターの電磁音がはっきり出る傾向にあり、ギヤ駆動音に混じって絶妙なハーモニーを奏でながら疾走していきます。収録されたDS様もこの音をお気にいられております。
 デハ22号に使用されていたモーターは、当時三菱電機が提携していた米国Westing House(ウェスチングハウス. WH)社のライセンスを受けて製造したものです。
 当時は主要機器の基本設計が完全国産化される直前であったため、海外メーカーのライセンスにより製造された機器が多くありました。

※当時. 1999年までに重電を含む様々な部門が売却されたが,旧WHの交通関連部門は幾多の売却・統合を経て現在はボンバルディア傘下となっている. WHの商標はライセンス管理会社のものとなり,その名をライセンスされた東芝子会社の核関連会社等とは,(同根ではあるが)もはや関係が無い.

 さて、列車は松江温泉駅(現在の「松江しんじ湖温泉駅」)を出発すると宍道湖北岸に沿った起伏の比較的多いところを走ります。時には最高で80km/hフルノッチ走行、時には勾配を唸りながら登ったりと変化に富んだ走りを楽しめます。
 つづく一畑口−電鉄出雲市間は田んぼの中の平坦地を直線で走り、最高80km/hでのフルノッチ走行も多く楽しめます。特に布崎駅から平田市(当時/開業当初と現在は「雲州平田」)駅の間は駅間距離も長く一畑電車のスピードの見せどころで、かなり長い間フルノッチ状態が続くので聴き応えがあります。

「かわと〜 かわと〜 ご乗車有難うございました川跡でございます。大社方面は乗り換えです。踏切を渡って1番乗り場の電車にお乗り換え下さい・・・」

 途中の川跡駅では女性委託職員の方による案内放送で迎えてくれます。
 一畑ファンにはお馴染みの放送とのこと。ゆっくりとした口調の、何だか懐かしいこの雰囲気は今となってはとても貴重でしょう。

※川跡駅の委託職員の方は既に引退されたそうです

 出雲の地を走る、重厚かつ軽快なハーモニーをお楽しみ下さい。

解説文原案・原文執筆/DS 加筆・編集/TH

デハ22号諸元
製造 1927年9月
旧形式/旧番号 デハ1形デハ2号
全長16116mm 全幅2718mm 全高4116mm
自重34.0トン
定員100人(座席52人)
制御方式 抵抗制御(弱界磁制御付)
主制御器 電空単位スイッチ式(HL)
台車形式 日本車輛D形
駆動方式 釣掛式(歯車比 3.55)
主電動機 三菱MB98-A.F.G(定格750V,75kW) x4
ブレーキ方式 自動空気ブレーキ(SME)



初詣ヘッドマークを掲げたデハ22号 初詣ヘッドマークを掲げたデハ22号.

撮影:DS 1997年1月3日
初詣ヘッドマークを掲げたデハ22号 初詣ヘッドマークを掲げたデハ22号.

撮影:DS 1997年1月3日
デハ22号座席 デハ22号の座席.

撮影:DS 1996年9月22日
デハ23号のマスターコントローラー デハ23号のマスターコントローラー.
デハ22号も同型のものを使用している.

撮影:DS 1995年11月12日
(許可を得て撮影)
電空単位スイッチ式制御器 電空単位スイッチ式制御器.
画像はデハ23号のものだがデハ22号も同型を使用.

撮影:DS 1995年11月12日
(許可を得て撮影)
三菱MB98-AFG主電動機 デハ20形が使用していた三菱MB98-AFG主電動機.

撮影:DS 1995年11月12日
(許可を得て撮影)

クハ172他4連
クハ172他4両による急行電車(2両目がデハ72).

撮影:DS 1989年9月11日
デハ72ほか
デハ72(先頭)とクハ172.

撮影:DS 1993年11月4日
クハ172+デハ72の2両編成
クハ172+デハ72の2両編成.

撮影:DS 1995年11月12日
(許可を得て撮影)
デハ72号の車内
デハ72号の車内.

撮影:DS 1993年11月4日
一畑電気鉄道 デハ70形 デハ72
北松江線318列車 松江温泉→電鉄出雲市 1993年11月4日録音 約49分

録音/DS 編集/TH 2008年編集作品
©DS/TH


 デハ70形は、元武蔵野鉄道(現在の西武鉄道の前身)で第二次世界大戦中に製造された制御車クハ5570形を戦後電動車化。1964年に譲渡されたものです。
 車体は2扉,クロスシートで、座席指定特急車としても使われ看板車両でもありました。

 この電車の特徴として、20世紀初頭の鉄道院電車運転黎明期に製造された木造電車のモーター「MT4」が流用されていることです。
 MT4は1914年の京浜線(現在の京浜東北線の前身)の開業用に製造された木造電車デハ6340形、デロハ6130形向けに製造された主電動機です。
 その後MT4は、山手・中央線用に1921年に製造された木造電車デハ33500形等に至るまで採用され、総勢90両の鉄道院電車にMT4が使われました。
(MT4を使用した国鉄の木造電車は1928年の新規定により、モハ1形に統合されます)

 MT4は、50両分が米国ジェネラル・エレクトリック(GE)社製造の「GE-244A」として米国より輸入され、残り40両分は芝浦製作所(現在の「東芝」の前身)の「SE-102」としてライセンス生産されたものです。
 両者は区別することなく用いられ、従ってデハ70型が使用していた「MT4」は「GE-244A」あるいは「SE-102」のいずれかということになります。
 この主電動機は当時としては画期的な高出力(85kw,105馬力),高速回転を誇り、20世紀初頭の国鉄電車を支えた優秀なモーターでした。

 MT4を使用した電車は、後に作られたモハ10形とは主制御器が異なるため連結使用できず、順次地方私鉄などへ払い下げされていきます。その車両がまた他社へ譲渡されたりするなどして、さらにその過程で部品のみ流用されるようにもなり、第二次世界大戦の戦中・戦後の混乱期を経て戦後になってもMT4は各地の私鉄で用いられていきます。
 そのような訳で、デハ70形には西武鉄道時代にこのMT4形モーターが装備され一畑に譲渡されることとなり、大変由緒ある主電動機の音が最近まで一畑のデハ70形で聴くことが出来たのです。

 音のほうですが、一畑の他の釣掛式(nose-suspention drive)用主電動機と比べるならば、デハ22号使用のMB98よりはたくましいと言った感じでしょうか。GE・芝浦系釣掛主電動機特有の重々しくも軽やかな音色が中速域から響き渡ります。
 この録音では松江温泉駅出発後、旅伏駅の辺りまではそこそこフルノッチ走行をしてくれるのですが、それ以降は早めにノッチオフしてしまい、のんびりと走っています。
 のんびりと走っていたせいか、当時DS氏は録音しながら"うたた寝"をしてしまったそうで、音のバランスが崩れているとおっしゃっていましたが、実際には修正を要するほどの問題ではありませんでした。

 モハ22号同様、この当時はツーマン運転で車掌さんの案内放送がありますが、日中の運転列車なので沿線の一畑薬師や出雲大社への参拝客向け乗換え案内が加わっている点が異なります。
 また、川跡駅名物であった委託職員のおばちゃんによる案内放送も、しっかり収録されています。

 21世紀の現在、すでにMT4形モーターを装備した営業用電車は皆無となり、録音でしか聞けなくなりました。
 20世紀初頭の電車モーターの響きを、お楽しみください。

解説文原案・原文/DS
加筆・編集/TH

デハ72号諸元
一畑への入線 1964年3月
全長18000mm 全幅2740mm 全高4260mm
自重36.0トン
定員120人(座席68人)
制御方式 抵抗制御(弱界磁制御付)
主制御器 電空単位スイッチ式
台車形式 釣合梁式
駆動方式 釣掛式(歯車比 3.45)
主電動機 国鉄制式 MT4 (メーカー形式 芝浦/SE-102 または ジェネラルエレクトリック/GE-244) 定格675V,85kW x4
ブレーキ方式 自動空気ブレーキ

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制作・著作 Copyright © 1995 Toru Hirose (Stream Express)
from TOKYO, JAPAN.

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