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特集
魅惑の国鉄急行形電車
〜その洗練された響き〜
[特集]魅惑の国鉄急行形電車

クモハ165-101/大井工場
国鉄直流急行形電車の決定版165系.
153系を発展させて抑速制動・耐寒耐雪装備を持ち,塗装は153系同様「湘南色」であるが,正面に緑色を回り込ませた.
画像は大井工場で展示されたクモハ165-101ほか3両.

撮影:TH 2003年8月23日
JR東日本大井工場
(現・東京総合車両センター)
455系
交直流急行形電車の決定版455系.475系,457系.
交直流対応の強みを生かし,東北,北陸,九州地区へも急行形電車は進出していった.
オリジナルの車体色は赤とベージュの2色塗装.
画像はクハ455-52他9両による東北本線の急行「まつしま・ばんだい」併結列車(1104M).
「まつしま」は455系使用列車で最も多く運転されていた列車.

撮影:MT
1984年5月 東北本線 日和田-五百川間
(フィルム撮影/画像調整済)
急行佐渡
165系上越線急行「佐渡」.
1963年3月改正より運転されていたこの列車は,その後165系使用列車の中で最も代表的な列車のひとつでもあった.

撮影:MT
1982年10月 高崎線 北本-鴻巣間
(フィルム撮影/画像調整済)
451系「ときわ」
451系常磐線急行「ときわ」.
交直流急行形電車はこの451系(50Hz用)と471系(60Hz用)で始まった.
画像は偶然にも子供の頃撮影していたもの.

撮影:TH 1980年頃
常磐線 亀有-金町間
(110フィルム撮影/画像調整済)
国鉄急行色に塗り戻されたクハ165-166ほか6両
2003年の引退直前,国鉄急行色に塗り戻された上沼垂区の元「ムーンライトえちご」用編成クハ165-166ほか6両.
最後まで原型の大型前照灯で残っていた.

撮影:TH 2003年8月3日
八王子駅留置線
(イベント時撮影)
仙台地区の455系
交直流急行形電車は急行運用消滅後,仙台,北陸,九州地区の地域輸送に転じた.
画像は仙台地区用に近郊化改造を受け塗色を変更した455系.大型前照灯は後に前面強化工事で小型化された.

撮影:TH
1990年頃 東北本線小牛田駅
(フィルム撮影/画像調整済)
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■走行音一覧

165系 (東北本線 東海道本線)

451系/471系 ( 常磐線 北陸本線 )
455系/457系 ( 東北本線仙山線常磐線磐越西線日豊本線 )

 1960年代から1970年代にかけて、国鉄の長距離輸送を担っていたのは急行列車でした。
 かつての東京駅や上野駅,新宿駅は特急列車や新幹線よりも圧倒的な数の急行列車が昼夜問わず発着。それらには客車列車,気動車列車のほか、多くの急行形電車による急行列車があったのです。

 1958年、それまでの湘南電車モハ80系に代る長距離列車用として101系の技術を用いてモハ80系譲りの2扉デッキ付クロスシート車「新湘南形」153系(当初はモハ91系)が登場。オールクロスシートで2900mmの幅広車体によってモハ80系よりも居住性がより高められます。
 優等列車での153系の使用は好評で、特に東海道線の準急(後に急行)「東海」でデビューしたことから一般的に153系は「東海形」と呼ばれるようになります。
その車体設計は国鉄最後の急行形電車457系に至るまで引き継がれ、国鉄急行型電車スタイルを確立。
 また、153系をベースにした修学旅行用電車155系,159系も製作されます。

 交流電化区間が東北・北陸・九州地方で完成すると153系の車体を基に、交直流電車401系(50Hz),421系(60Hz)で実用化された交直流対応機器と新型台車を採用した交直流急行形電車451系(50Hz),471系(60Hz)が登場。
 しかし、これら153系を合わせた3系列は新性能国電初の主電動機「MT46」を搭載するため電動車出力がやや低く、153系は専ら平坦区間用に、451系,471系は電動車数を増やし制御器を勾配区間運転用に対応させていました。

急行形電車の「両雄」165系,169系と455系,475系,457系
 直流電化区間が中央線や上越・信越線といった勾配線区にも及ぶに至って、本格的な勾配線区対応と耐寒耐雪性能を兼ね備えた急行電車が要求されるようになり、出力を強化した主電動機「MT54」を搭載し勾配抑速制動・耐寒耐雪装備を持った165系が登場。
 この165系は直流電化区間のほぼ全てを走る事が出来、また153系とも併結が可能であったため直流区間における「万能プレイヤー」として君臨。
 さらに信越線横川-軽井沢間の超急勾配における機関車との協調運転に対応した169系や、修学旅行電車用167系も派生して登場します。

 一方、交流区間についても過渡的に451系,471系の装備をそのままに出力強化形の「MT54」主電動機に変更した453系(50Hz),473系(60Hz)が登場するものの、より勾配のきつい仙山線・奥羽線・磐越西線・日豊線などの線区にも運転区間を拡大すると本格的な勾配対応装備が必要なため、165系の勾配抑速制動と481系(60Hz),483(50Hz)系で確立した標準型交流機器とを組み合わせた455系(50Hz),475系(60Hz)が完成。さらに後年50Hz,60Hz両用の457系に進化します。
 これにより電車急行列車は大幅に運転区間を拡大。165系とともに「急行形電車の決定版」として60,70年代の急行列車全盛期を支える事となります。特に上野駅や大阪駅ではこれら急行形電車の両雄が姿を並べるターミナルであったため、壮観な風景が展開されます。

 しかし、1970年代後半より急行形電車は転換期を迎えます。
 153系は山陽新幹線開業などによる在来線急行列車削減により初期車両が早くも廃車。残った車両は一部の急行列車に用いられたり他系列への改造に充てられ、また関西地区で「新快速」に用いられて最後の伝説を築きます。

急行電車から地域のローカル輸送電車に
 165系や455系等も1980年代に入ると急行列車の特急化や新幹線開通等により、そのほとんどがローカル輸送や臨時・団体輸送用に変わっていきます。

 交直流急行形電車は早くから急行運用を失い、デッキ付近のロングシート化などの近郊化改造を受け仙台,北陸,九州地区の客車列車を置換えています。
 直流急行形電車は残る急行電車列車に使われる他は夜行快速用にグレードアップ改造を受けたり、また団体輸送用の「ジョイフルトレイン」の改造種車に、さらには車体更新で閑散線区用107系に数両が改造されますが、近郊化改造を受けたのは長野地区用に数両が改造されたのみでした。
 そして2003年、JR3社に引き継がれた直流急行形電車はほぼ同時期に完全引退します。(私鉄譲渡車を除く)

 一方、交直流急行形電車も、新型車投入で徐々に活躍の場が狭められています。
 仙台地区のものは民営化後に大掛かりな更新改造を受けたものが多くありましたが、E721系投入により2008年3月をもって運用から完全離脱。北陸地区は敦賀直流電化により運用範囲が狭められており、九州地区も新幹線開業により運用範囲だった鹿児島本線の一部区間がJRから切り離されたほか新型車両の投入も行われ、2007年3月のダイヤ改正で全車運用から離脱しています。


国鉄急行形電車、その魅惑の響き
 153系や451系,471系に代表される「初期の国鉄急行形電車」の特徴は、何と言っても「MT46」主電動機にあるでしょう。歯車比は特急形(3.5)と近郊型(5.6)の中間に位置する「4.21」とされ、MT46電動機独特のサウンドと共に、美しい音色を響かせました。

 165系や453系,473系以降の国鉄急行形電車には、出力強化された主電動機「MT54」が、歯車比はMT46使用車と同様の4.21が採用されます。
 その結果、加減速時の独特な言葉では言い表せない重々しい響きと高速走行時の自己通風ファンから発する豪快なサウンドはMT46使用車とは異なり、重々しく力強いながらも歯車比4.21の絶妙で美しい音色を響かせます。
 近郊型のように高歯車比で喧しく走るわけでもなく、また特急形のような低歯車比・遮音設計でもなく、高速性と加速性を両立させた歯車比設定が絶妙な組み合わせとなり、MT46の場合と同様にMT54主電動機のサウンドを最も楽しめるのが、歯車比4.21の急行形電車です。

 さらに交直流形では、交流区間の運転時は交流機器から発せられる独特の交流音が、そしてモーターにも脈流分が含まれた電流が加わる為、発車時には交流関連機器から発せられる力強い交流音と、主電動機には脈流分の混ざった高電流が加えられて独特の響きが発せられます。
 165系や交直流車の直流区間運転が「ピュア」で軽快感あるサウンドとすれば、交直流形の交流区間でのそれは「ブレンド」の効いた力強さを象徴するサウンドと言っても良いでしょう。

 本ページではこれら「国鉄急行形電車」を特集してお送りします。


MT54Bカットモデル
MT54B 主電動機のカットモデル.
MT54はMT46の出力増強形

撮影:TH 2004年5月29日
JR東日本大宮総合車両センター展示室
MT54D主電動機
【参考】MT54D主電動機の外観.
MT54系列の最終型.形態はほぼ同一.

撮影:TH 2002年5月25日
JR東日本大宮工場(当時)


165系と107系
黒磯駅停車中の165系M編成(左).107系(右)は165系の機器流用車.

撮影:TH 2001年3月3日
DT32形台車
クモハ165-101のDT32B台車.
DT32の空気バネ耐久性やボルスタアンカを強化,車輪のジャーナル径拡大等の変更を行い,高速性能を改善したもの.
交直流形の455/475/457系も同じ台車を装備する.

撮影:TH 2003年8月3日
クモハ165-100の運転台
クモハ165-100の運転台.
首都圏乗入用にATS-Pを装備.

撮影:TH 2003年8月3日

165系直流急行形電車
 国鉄急行形電車「165系」は、それまでの国鉄急行形電車「153系」を基とし、出力を強化した主電動機及び勾配抑速制動(ブレーキ)の採用と耐寒耐雪仕様を備え、1963年に登場した国鉄急行形電車の勾配線乗り入れ仕様車です。
 それまでの153系では乗り入れることが難しかった上越線・信越線・中央線などの寒冷地・勾配線区の急行列車に投入され、交直両用仕様の455系/457系/475系と共に国鉄急行形電車の決定版として全国の国鉄直流電化区間の急行列車として使われました。

 長く国鉄の急行用電車として親しまれてきましたが、国鉄末期から分割民営化の時期にかけて全国的な急行列車の大幅削減政策により、その多くが地域輸送や臨時・団体用に転ずることとなります。
 その際、国鉄時代には特別保全工事が、JR化後は各社で更新工事を受けました。しかし165系は各種更新を受けているとはいえ国鉄時代の長距離輸送と民営化後の地域輸送で酷使された影響もあり老朽化が進み廃車・取替の対象となります。
 1990年代後半、JR東海の急行「東海」,普通列車「大垣夜行」用及び急行「伊那路」用がそれぞれ新型特急電車に置換えられ、JR西日本にあったものはひっそりと消え、JR東日本に残された165系も次々と運用を離脱。JR最後の165系定期運用となったのが「ムーンライトえちご・フェアーウェイ」でした。
 しかし「ムーンライトえちご・フェアーウェイ」用編成も廃車対象となり2003年3月のダイヤ改正時に運用を離脱、同じ上沼垂区の485系電車に置き換えられました。

 幸いなことに秩父鉄道と富士急行に165系数両が、しなの鉄道には169系が譲渡。富士急行では165系の改造イベント用車両で前面展望が特徴の「パノラマエクスプレスアルプス」であった車両が「フジサン特急」として活躍中の一方、秩父鉄道では急行「秩父路」として使用されていましたが、 2006年に引退・廃車されています。

165系主要諸元
製造初年 1962年
全長20,000mm 全幅2950mm 全高4,090mm(モハ164)
自重 38.1トン(モハ164)
電気方式 直流(DC) 1500V
制御装置 CS15B/CS15C/CS15E (直並列・弱界磁制御発電ブレーキ総括制御)
主電動機 MT54/MT54B (定格120kW 375V 1630rpm / 最高回転数4320rpm) x4
駆動方式 中空軸並行カルダン駆動(歯車比 4.21)
台車形式 電動車:DT32/DT32B 付随車:TR69/TR69B
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(SED),抑速ブレーキ
最高運転速度 110km/h


黒磯駅停車中のフェアーウェイ165系
黒磯駅停車中の快速「フェアーウェイ」クモハ165-100ほか6両.

撮影:TH 2001年3月3日
新潟駅に停車中の「ムーンライト」クモハ165-101ほか6両
新潟駅に停車中の「ムーンライト」クモハ165-101ほか6両.「ムーンライトえちご」に改称される前のもの.

撮影:DS 1995年6月17日
(フィルム撮影)
(画像調整済/調整:TH)
クモハ165-100客室
クモハ165-100の客室.ムーンライト用M編成の座席はリクライニングシートに取り換えられている.

撮影:TH 2003年8月3日
【JR東日本上沼垂区165系M編成 編成表】
編成番号 Mc165 M'164 Tc165
M1 76 823 105
M2 100 64 166
M3 101 65 99
M4 102 66 170
M5 130 853 195
M6 137 860 203
←新潟/黒磯 太字は収録車両
東北本線
 1963年3月25日のダイヤ改正時に準急「中尊寺」「なすの」「湘南日光」により165系の東北本線黒磯以南での運転を開始。以後急行化を経て急行列車としては1985年3月のダイヤ改正まで「なすの」等に充当され、交直流急行型455系等と共に活躍。
 その後暫く東北本線内での165系定期列車は設定されていませんでしたが、快速「フェアーウェイ」により復活。165系引退まで長く活躍しました。


JR東日本 東北本線 165系 モハ164-64
快速「フェア−ウェイ」 宝積寺-黒磯 2001年3月3日録音(約37分)

録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品
©TH


 165系は民営化前後より、座席交換等を行い客室設備のグレードアップを図り、座席指定快速列車などにも使われるようになりました。そのひとつがJR東日本上沼垂電車区に属していた165系「M編成」です。
 「M編成」の主目的は新宿-新潟・村上間の全車座席指定夜行快速列車「ムーンライト」(後に「ムーンライトえちご」に改称)の運用でした。
M編成は「ムーンライト」専用編成として座席はグリーン車から転用された旧型リクライニング座席に取換、さらに一部車両には夜間読書灯を備えるなどの改造を受けました。

 この「ムーンライト」専用編成の東京地区での昼間の「間合い」を利用したのが、本録音の新宿から東北線黒磯までのゴルファー向け全車座席指定快速列車「フェアーウェイ」です。
 「フェアーウェイ」はその名のとおり、東北線栃木県内へのゴルフ客向けに設定。「ムーンライト」が早朝新宿に到着後そのまま東北線黒磯へと向かう運用が組まれ、朝早く都心を出るゴルファーや那須方面への行楽客に多く利用されてきました。後に不況による需要減により週末のみの運転の列車となりましたが夜行快速仕様の車両は快適であり、週末の利用率は悪くなかったようです。

※次の列車運用までの空き時間(待機時間).特に夜行列車の運用では次の夜行列車の運用まで昼間は車庫で留置されることが多くなるため,夜行列車最盛期には座席車は昼夜兼行の運用が組まれていたり,581系・583系のような寝台・座席兼用車が開発されていた.

 この「ムーンライトえちご」や「フェアーウェイ」として走る高崎・上信越線や東北線黒磯以南こそ、本来165系が持つ本領を発揮できる寒冷地の勾配線区であり、165系が走るに相応しい線区でありました。1963年に165系がデビューしたのは高崎・上信越線の急行「佐渡」や東北線の準急「なすの」等で、新幹線開通直前の黄金期においても、これら線区の代表的な急行列車のほとんどは165系でした。

※当時.後に急行に統合.

 さて、この列車ですが宇都宮までは週末ゴルフを楽しむであろうオジサン達が多く、朝も早くから缶ビール片手に盛り上がっていたりするので普段から録音する気が失せる列車でした。それに早朝運転ということもあり筆者自身もグッスリ寝てることも多いので、録音するほど余裕がなかったせいもあります。
 しかし、この日は宇都宮で結構な数の乗客が下車したのと台車付近の席が程よく空いていたので、急遽テレコを用意して録音したものです。

 区間的には直線コースが続き停車駅も多い宇都宮から黒磯までの区間ですが、通過駅あり・再加速ありと往年の急行「なすの」の雰囲気をチョッピリ感じさせてくれる走りをしています。

 今更悔やんでもしょうがないのですが、この上沼垂区165系M編成の「本運用」である「ムーンライト(えちご)」は2000年頃までよく乗っていた列車ですが録音していません。
 夜なら寝静まってるし上越国境越えの聴き応えのある区間もあるんですが、当時目的とるす現地へ行くまでの列車の中での録音は、その録音でミスすることによる機器トラブルを引き起こすわけにはいかない、との理由でしていませんでした。予備録音機が無かった頃の話です。
 「ムーンライトえちご」運用や「フェアーウェイ」全区間録音の録音はできませんでしたが、部分的にでも録音できたのは、165系引退後の今思えば幸運だったのかなと考えています。

【モハ164-64/クモハ165-100
竣工日:1965年4月28日
製造所:汽車会社
新製配置区:国鉄新潟鉄道管理局 新潟運転所(当時/新ニイ)
最終配置区:JR東日本新潟支社 上沼垂電車区(新カヌ)
廃車日:2003年9月2日

クモハ165-100の座席
クモハ165-100の座席.元グリーン車用座席の表地を交換の上転用したもの.

撮影:TH 2003年8月3日
クハ165-99の座席
クハ165-99の座席.元グリーン車用座席の機構を流用し,バケットタイプ・バックテーブル付きに改良したもの.

撮影:TH 2003年8月3日

浜松駅停車中の165系大垣夜行
浜松駅停車中の「大垣夜行」375M
クモハ165-86ほか11両.

撮影:DS 1992年11月4日
(フィルム撮影/画像調整済)
浜松駅停車中の375M「大垣夜行」
浜松駅停車中の「大垣夜行」375M
クモハ165-86ほか11両.
急行「東海」と共通運用で,グリーン車2両を含む基本編成8両+付属編成3両の計11両の堂々とした編成であった.
JR東海車は,この頃より床下機器・台車の灰色塗装化が行われている.

撮影:DS 1992年11月4日
(フィルム撮影/画像調整済)
早朝の名古屋駅に停車中の大垣夜行375M
早朝の名古屋駅に停車中の「大垣夜行」375M.

撮影:DS 1992年11月4日
(フィルム撮影/画像調整済)
【収録車両の編成表】
収録時配置区:JR東海 静岡運転所(静シス)

編成番号 Mc165 M'164 Tc165
K2-1 86 830 126
←東京

太字は収録車両


東海道本線
 平坦線のため、既に153系「新湘南型」による準急・急行列車の運転があった東海道線への165系投入は、新幹線開業後の1968年4月の御殿場線電化により、急行「ごてんば」に投入されたのが最初でしたが、急行「東海」や「大垣夜行」への投入は、153系の代替として1982年11月改正からでした。


東海道本線名物列車「大垣夜行」375M列車
 東海道本線における165系の活躍を語る際、急行「東海」を差し置いてでも「大垣夜行」を無視することはできません。

 東海道本線の夜行普通列車の歴史は19世紀の長距離列車にまで遡り、戦後も東京-大阪間を結ぶ長距離夜行普通列車が存置され、1968年の「ヨン・サン・トオ」改正を前に廃止の危機にたつも、世論の声により奇跡的に東京-大垣間(当初は下りは美濃赤坂まで)の列車として生き残ります。当初は153系でしたが、1982年11月改正時より165系化されています。

 末期の「大垣夜行」は「青春18きっぷ」の使える数少ない夜行列車ということもあり、シーズン中は爆発的人気を誇る列車でした。東京 -名古屋、そして乗り継いで大阪へと三大都市圏を結ぶ東海道線の夜行普通列車ということもあり、この切符の通用期間中には、これを利用して「大垣夜行」で移動する人々が劇的に増加。特に三重・鈴鹿サーキットの「8時間耐久レース」と、東京・晴海(当時)の「コミックマーケット」開催時期には激しい混雑となり、乗れるかどうかも判らない位の状態でした。
  休みのシーズン中は全体の利用者も多く、週末は座るだけでも発車時間の相当前に並ぶ必要がありました。こうなると定期列車の本家「大垣夜行」だけでは足りず、1987年頃から定期列車の続行の形で運転される臨時「大垣夜行」(9375M/9372M)が設定され、当初は時刻表にも掲載されない臨時列車で車両も首都圏のグリーン車付113系が使用されるなど、急遽設定された痕跡が伺えます。
 これら臨時「大垣夜行」もシーズン中毎日あるいは毎週末運転・時刻表掲載のお馴染み列車となると車両も波動輸送用の165系や167系が使用されるようになり、さらに東京駅での乗車待ち混雑解消のためシーズン中は始発駅が品川駅に変更されるなどの変化がありましたが、それでも混雑は一層激しさを増していきます。

 第二の転機は、この列車の混雑対策と、使用されていたJR東海の165系が老朽化し、共通運用されていた急行「東海」を特急化し車両を取り替えたことです。
 1996年3月、東京-大垣間の夜行普通列車は特急「東海」と共通運用のJR東海373系により全座席指定の夜行快速列車「ムーンライトながら」となり、東海道線の定期夜行普通列車の歴史に幕が閉じられます。

※2007年3月改正で特急「東海」は廃止され,その後373系東京口での普通列車運用も無くなり,2012年3月改正より373系はJR東日本に乗り入れていない.

 その後もシーズン中の臨時「大垣夜行」は品川始発で存置されますが、JR東海の165系は国鉄時代の特別保全工事のみで老朽化が激しく早々引退し、何と近郊型113系を充てる事態に。
 JR東日本の167系や165系も更新工事を受けていはいましたが、新系列車両の台頭による旧型車淘汰もあり、臨時「大垣夜行」をJR東日本持ちとし車両も波動用となった特急型189系を充て、さらに品川駅の乗車待ち混雑を解消するため、こちらも全座席夜行快速化し「ムーンライトながら91・92号」として2003年より運転。臨時列車からも東海道線の夜行普通列車が消滅することとなりました。

 定期・臨時の「ムーンライトながら」は共に「青春18きっぷ」で利用可能ではあるものの指定席券が必要となり、特にシーズン中の入手は困難を極めるものとなりました。安価に夜行で移動するというニッチなマーケットを「大垣夜行」「ムーンライトながら」が確立させてしまっていたのです。

 その溢れた需要は、次に安価な手段となる東名阪の夜行の正規高速路線バスへ一気に移り、元から人気のあった東名阪路線でしたのでバス乗車券(座席指定)が入手困難となる状態が続出。各社共増発が限界に達すると2階建バスの導入等が積極的に行われますが、これも「焼け石に水」の状態でした。
 新規に参入してきた正規の路線バス会社(乗合バス)※との競争もあり、昼行用4列座席車の使用で一台あたりの定員を増やし、さらに運賃を下げたものや昼行路線から転用した大型2階立て大収容バスを使用した便や、さらには余った補助席までも売る便が登場。
 加えて、旅行会社主催による貸切バスを利用した団体旅行扱いの会員制バス、いわゆる「ツアーバス」も登場。その料金は「青春18きっぷ」1日分相当のものもありますが、ダンピングのような価格設定や、貸切バスでの乗合類似行為や区域外営業,道路上での集合場所の使用許可を受けていない等の違法性を指摘する声や、運転手に対し過労を強いるような不適切な労務管理や下請け観光バス会社への圧力、中古車両による連日の運用等の安全性に疑問を投げかける報道もあり、ついに2012年4月「関越道ツアーバス事故」が起き死傷者まで出す事態となり、制度見直しのきっかけともなっています。

※2013年7月の時点での、従来からの正規路線バス会社のことを指し、2013年8月以降の「旧ツアー系路線バス会社」とは異る。

 安価に移動する需要を奪いあっていたかのように見え、安全性や定時制確保の点では最優位にあったものの、18きっぷシーズン以外は、料金面,通常4列座席,夜間減光なし(373系)、大垣止まりや米原乗換といった点で避けられるようになり、特段の営業努力も無いまま、遂に2009年春のダイヤ改正より「ムーンライトながら」は上越線「ムーンライトえちご」と共に臨時列車化。19世紀より長く続いた東海道本線夜行普通系列車の定期運転が終了したことになります。
(TH)



JR東海 東海道本線 165系 クモハ165-86
普通375M列車「大垣夜行」 浜松-名古屋 1992年11月4日録音(約116分)

録音/DS 編集/TH 2003年編集作品
©DS/TH


 東海道本線165系列車のうち、最も親しまれたのは、この「大垣夜行」ではないでしょうか。今回、DS様より貴重な録音のご提供を頂きました。
 皆様の想い出とともに、この録音をお楽しみいただければと思います。

【クモハ165-86
竣工日:1965年5月27日
製造所:川崎車輛
新製配置区:国鉄長野鉄道管理局 松本運転所 (長モト)
最終配置区:JR東海静岡支社 静岡運転所(静シス)
廃車日:1996年7月19日


夜明けの大垣夜行375M(浜松→名古屋) DS

 まだ夜が明けぬ早朝の浜松駅。36分間の休憩をとり、東京発大垣行375M(大垣夜行)が再び走り出します。

 飛び石連休の終わりと言うこともあり乗客は多い方で、1ボックスに1人から2人といった感じで座席が埋まっています。乗客はまだ夢の中のようです。
 さて、375Mは高塚、舞阪、弁天島と各駅に停車しながら進みますが、乗降はまばらの様子です。
 長い駅間隔の区間が多いのでフルノッチで疾走することが多く、クモハ165-86のMT54のうなりが心地よく闇に響き渡ります。弁天島の前後では浜名湖を渡る様子が収録されています。新居町、鷲津、新所原、二川と進み、気が抜けたようにスピードを落とし、4時49分豊橋に到着します。まだ辺りは闇の中です。
 ここで3分ほど停車した後出発。思い切りフルノッチで駆け抜けて行きます。豊橋で運転士が交代したのか、停車時のブレーキ操作の感じが変わり、電制が早めに失効することが多くなります。西小坂井、愛知御津と進み、愛知御津到着前から車掌による案内放送が再開されます。
 三河大塚、三河三谷と進み、三河三谷より通勤と思われる女性二人が乗り込んできて、375Mは東海道線下り一番電車の表情を示すようになってきます。蒲郡、三ヶ根と進みます。蒲郡到着時には乗客の大あくびが聞こえてきて、東京方面からの夜行利用客も、そろそろお目覚めの様子です。なお愛知御津辺りより車内巡回の車掌氏が頻繁に最後尾車両にやってくるようになり、夜行列車の乗務はさぞかし大変でしょう。

 うっすらと夜が明けて行く中、幸田、岡崎、西岡崎、安城、三河安城と進みます。西岡崎や三河安城など新しい駅はホームの有効長が短く、11両編成の最後尾車両がホームからはずれる様子が車内放送や扉が開かない様子から分かります。
 東刈谷、刈谷、逢妻と進みます。この辺りになるとすっかり夜も明けてきました。寝ぼけまなこの夜行利用客とすっかりお仕事モードの通勤客が混ざった妙な雰囲気が続いて行きます。
 刈谷到着時、車内で精算をすませたご婦人が料金に納得がいかないと車掌氏へ申し出に来ます。車掌氏が見事明確に説明を果たし、ご婦人はすごすごと自分の席へ戻って行きます。お陰であまり気にしたことの無いようなJR料金の算出方法が収録されておりますが、このやりとりで色々な乗客と長時間共にしなければならない車掌氏の苦労の一端が分かるような気がします。
 さて、ご婦人と車掌氏とのやりとりのため、客室−デッキ間扉が開いたまま刈谷→逢妻の少し先までを進み、お陰でデッキの主電動機冷却風取入口からの甲高いクリアな音が収録されています。デッキで収録すれば良かったかな?と、この部分を聞くたびに思います。
 大府、共和、大高、笠寺と進みます。大府では武豊線の気動車6両編成が停車している様子が分かります。

 熱田を出発すると名鉄が右に寄り添い金山到着。すっかり夜も明け、一日が始まりました。再び車掌氏のぼやきが聞こえる中、金山を出発し6時8分名古屋着。乗客の大半が下車し、車内はすっかり寂しくなってしまいました。

 375Mはここで小休止し、終着大垣へのラストスパートの準備をします。乗客と車掌氏との会話とホーム自動放送がこの録音の良きEndRollとなりました。



クハ451
仙台電車区(当時)のクハ451.
仙台地区の451系及び453系は近郊化改造を受けず,オリジナルの交直流急行色のままローカル運用に就いていたが、1990年代初頭に廃車となった.
後年,前面強化改造と共に前灯をシールドビーム化改造したクハ451もあった.

撮影:MT 1990年1月
常磐線 末続-広野間
(フィルム撮影)

クハ451-3
福井駅に停車中のクハ451-33ほか.
北陸地区の471系のうち残った8両は塗色変更,近郊化改造や更新工事を受け,今もなお現役.
クハ451等の付随車は451系,471系で共通となっているため,451形を名乗る.
北陸地区の先頭車は国鉄時代から冬期のトンネル内に発生した「ツララ」による損傷を防ぐため,種別幕窓を鉄板で塞いでいた.
国鉄時代,クハ451や455形が他線へ転属となる際は,わざわざ復旧工事をしていた.

撮影:DS 1990年2月28日
(フィルム撮影/画像調整済)
クハ451-18
仙台駅に停車中のクハ451-18ほか.
正面強化工事を受けなかった先頭車両は,大型の前照灯が残っていた.

撮影:TH 1990年頃
(フィルム撮影/画像調整済)


451系・471系交直流急行形電車
 1950年代後半より実用化された交流電化における電車運転は、当初は近郊型の401系(50Hz用)/421系(60Hz用)により常磐線と鹿児島本線で営業運転を開始。そして交流電化の進展に伴い東北/常磐・北陸地方への長距離電車列車の計画がされることになりましたが、まずは急行形として計画されることになり、直流型153系を基本とした車体構造に401系・421系なみの機器を使用した451系(50Hz用)と471系(60Hz用)が1962年に登場します。

 451系・471系は401系・421系の電気機器を基本とし、車体は153系「東海形電車」に準じたものになっていますが、使用線区の実状に合わせた改良が加えられます。

 車体は使用線区のホームが客車用で低いため出入口に踏段(ステップ)を付け、パンタグラフ搭載部分は絶縁空間の確保から低屋根構造を採用。電気機器についても交流・直流用の機器に加え、主制御器は勾配区間での頻繁なノッチのオン・オフを避けるため自由にノッチが選択可能な「ノッチ戻し」付きとしたCS15が、主電動器は401/421系同様に脈流対策を行なったMT46B(375V 100kW)が、台車は新設計とし空気バネの横剛性を利用して「揺れ枕吊り」を排した大径心皿・インダイレクトマウント式台車のDT32・TR69となり、歯車比も153系同様4.21とされました。

 なお、401系・421系と異なり付随車(クハ・サハ・サハシ・サロ)は451系・471系(と453系・473系)で共通となり、これらは451形となっています。

 編成は勾配線区での使用を考慮し電動車比率を高めることから運転台付電動車(クモハ)が設定されましたが、これはMT46Bの出力では東北線や北陸線といった勾配線区ではMT比1:1では出力不足の問題が避けられなかったためです。
 その後、1963年に主回路関係の基本構造をそのままに、出力を増強したMT54(375V 120kW)を搭載した453系・473系が登場します。

 急行運用撤退後は仙台地区及び北陸地区ローカル輸送用に転じます。
 一部が417系なみの近郊型車体を新製し717系(仙台地区)・413系(北陸地区)となりましたが、仙台地区のものは最後まで近郊化改造・塗色変更されることなく1990年代初頭までに廃車。
 一方、北陸地区のものは近郊化改造を受け、さらに471系は主電動機をMT54に換装した電動車ユニットが2両残り、これらは最末期にはJR営業用電車として最古参車両となっていました。

 歯車比4.21のMT46主電動機の音をお楽しみ下さい。

2011年1月時点で電動車ユニットはモハ471-2(元クモハ471-2)とモハ470-2が在籍、付随車はサハ451-30(元クハ451-30)の計3両が在籍していたが、2011年4月に廃車となっている。
2013年11月現在、JRの営業用電車最古参は、JR西日本金沢総合車両所のモハ414-801(元モハ112-12 1964年7月7日 川崎車両製)、クハ415-801(元クハ111-52 1964年7月7日 川崎車両製)となっている。
また、元国鉄電車の譲渡車両で、ほぼ原形・原車体を維持しているものとして、秩父鉄道の1000系電車(元国鉄101系)があるが、2013年11月現在残り2編成6両となっている。


451系・471系主要諸元
製造初年 1962年
全長20,000mm 全幅2950mm (モハ450・モハ470)
電気方式 直流(DC) 1500V / 交流(AC) 25000V 50Hz(451系)/60Hz(471系)
制御装置 CS15 (直並列・弱界磁制御 発電ブレーキ総括制御)
主電動機 MT46B (定格100kW 375V 1860rpm) x4
駆動方式 中空軸並行カルダン駆動 (歯車比 4.21)
台車形式 電動車:DT32 付随車:TR69
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(SED),抑速ブレーキ
最高運転速度 110km/h

常磐線451系
常磐線の代表的急行列車だった「ときわ」.
キハ28系とともに,末期の常磐線急行列車を担っていた.
1985年3月14日のダイヤ改正により特急格上げにより消滅し,捻出された451系,453系は仙台地区ローカル用に転じた.

撮影:MT 1984年9月
常磐線 柏駅付近
(フィルム撮影/画像調整済)
クハ451 原ノ町駅
大型前照灯のオリジナルの姿のクハ451-18.
引退間近の常磐線ローカル運用時のもの.
抑速制動の無い451系,453系は常磐線運用が主体であった.

撮影:TH 1990年頃
常磐線 原ノ町駅
(フィルム撮影/画像調整済)

【収録車両の編成表】
収録時配置区:JR東日本 仙台電車区
(仙セン/現・仙台車両センター)
編成番号 Mc451 M'450 Tc451
G-8-1 8 8 31
←仙台

太字は収録車両

余談であるが,この編成にあるクハ451-31は1964年に敦賀区に新製配置され,国鉄時代末期の1984年〜1985年にクハ451-20と共に鹿児島区へ貸出.その期間中に仙台区へ転属となり,貸出終了後仙台へ移動している.

抑速制動の無い451系/471系は九州地区には配属されていなかったが,このクハ2両は451系グループ唯一の九州地区運用経験車であった.
常磐線
 1962年、前年の401系に続き勝田電車区(現・勝田車両センター)に配置された451系は、東北本線運用(急行「みやぎの」)の勝田区入出庫運用を利用し上野-日立間の準急「ときわ」で運転を開始。
 以後「ときわ」の他「そうま」「つくばね」等といった急行列車に用いられるものの、1985年の新幹線上野開業により仙台地区の地域輸送用となり、後年は全車仙台電車区(現・仙台車両センター)へ転属。

 仙台電車区転属後、抑速制動非装備のため主に常磐線での運用となり、1993年の廃車まで近郊化改造されることなく急行色のまま使用されていました。


JR東日本 常磐線 451系 クモハ451-8
普通243M列車 平(現・いわき)-草野 1990年2月16日録音(約7分×2)

録音/DS 編集/TH 2003年編集作品
©DS/TH


 一駅区間だけですが、貴重な451系の録音をDS様よりご提供をいただきました。デッキでの録音です。

 仙台地区ローカル輸送用となった451系は同じく抑速制動の無い453系と共に常磐線主体の運用でしたが、南限は水戸までの運用や9両編成の運用もあり、往年の姿を彷彿とさせていました。

 451系,453系は一部が717系0番台(元451系)と100番台(元453系)に改造されましたが、451系が種車の0番台電動車は主電動機をMT54に換装、100番台車と共に制御器は種車のままで抑速制動は設けられず、451系や453系と共に主に常磐線で運用され混結運用もありました。

※短い録音につき、2回分連続して配信しています(合計 約16分)。

【クモハ451-8/モハ450-8】
竣工日:1962年7月30日
製造所:日立製作所
新製配置区:国鉄水戸鉄道管理局 勝田電車区 (水カツ)
最終配置区:JR東日本東北地域本社 仙台電車区(仙セン)
廃車日:1993年1月4日

常磐線451系+455系
常磐線末続-広野間を走る451系.
455系との混結運用もあった.
451系と455系の混結運転では455系側の抑速制動が使えなくなるが,常磐線は全線平坦路線で抑速制動を使う事が無い為,実運用上は問題無い.

撮影:MT 1989年9月
(フィルム撮影/画像調整済)
451系水戸観梅号
常磐線臨時急行列車「水戸観梅号」.
水戸の偕楽園への観光客を運ぶ臨時列車として運転.
民営化後も「水戸観梅号」は,各地からの臨時列車の名称として使われていた.

撮影:MT 1985年3月
常磐線 佐貫-牛久間
(フィルム撮影/画像調整済)

北陸本線471系
金沢駅に停車中のモハ471-1ほか.
トップナンバー車も現役である.
塗装は交直流急行色の後,ワインレッドに白帯の旧北陸色を経て,現在は白地に青帯の新北陸色となっている.
なお,金沢区の471系とクハ451形は1970年代後半から1980年代前半までに前面強化改造が行われており,前照灯のシールドビーム化も同時におこなわれている.

撮影:DS 2004年1月15日
(フィルム撮影/画像調整済)
【収録車両の編成表】
収録時配置区:JR西日本 金沢運転所 (金サワ)
編成番号 Mc471 M'470 Tc451
9 9 30
←直江津
太字は収録車両
北陸本線
 60Hz交流電化開業区間としては初となった北陸本線では、1962年より471系による急行列車が運転を開始。以後急行「ゆのくに」「くずりゅう」「立山」といった北陸本線筋の各電車急行で活躍するものの、1980年代のうちに特急格上げによる急行列車廃止で北陸地区のローカル輸送用に転じています。
 一部が413系に改造されたものの、奇跡的に電動車6両とクハ451形も2両残り、現在も電動車2両,付随車1両が主電動機交換(電動車のみ),近郊化改造,塗装変更を経て、最後はJR営業用電車最古参車となっていました。


JR西日本 北陸本線 471系 クモハ471-9
普通534M列車 水橋-東富山 + 呉羽-石動 (合成) 1990年2月28日録音 (約35分)

録音/DS・編集/TH 2003年編集作品
©DS/TH


  貴重な471系MT46B時代の録音を、DS様よりご提供をいただきました。
 これだけまとまった区間のMT46の録音は今となっては大変貴重で、音源は水橋-東富山と呉羽-石動(いするぎ)で分割録音されていましたが、編集でさりげなく繋げてあります。連続してMT46Bの澄んだ「うなり」をお楽しみください。
 また、西日本は60Hz交流電化のため、交流音も東日本の50Hzのそれよりも若干高めで、交流機器や起動時の主電動機から漏れ聴こえる脈流分からそれが伺えます。

 471系の一部と473系は413系に改造されましたが、投資効果の面から全車に及ばぬまま中止となり、結果的にクハ451形を含む8両の 471系が改造を免れ、1990年に主電動機をMT54に交換し、1991年からJR西日本の「更新NB工事」を受け近郊対応化もされています。
 更新NB工事では車体修繕のほか、半自動扉化と引換に寒冷地にも関わらずJR九州車同様デッキ扉を撤去するという思い切った内容となっています。
 本録音は更新NB工事以前のもで、デッキ扉を開閉する音が入っています。

THが初めて北陸地区の急行型に乗った頃も、当時は更新工事途上で自動扉車と半自動扉車が混在しており、半自動扉車に乗ろうとした際扉が開かず大きな把手があるのにビックリ。そして車内に入るとデッキ扉が無く2度ビックリした覚えがあります。同じように寒冷地を走る仙台地区455系は自動扉でデッキ扉を備えていましたから、これは驚きでした。

 なお、471系を種車とする一部の413系(クモハ413-8・モハ412-8)は改造後も暫くはMT46B主電動機のままでしたが、1990年に471系と共にMT54に交換されています。

【クモハ471-9/モハ470-9
竣工日:1962年10月20日
製造所:日立製作所
新製配置区:国鉄金沢鉄道管理局 敦賀第二機関区 (金ツルニ)
最終配置区:JR西日本金沢支社 金沢総合車両所 (金サワ) ※1964年9月1日より移動無し.
廃車日:2010年4月1日


仙台地区455系
仙台地区用455系.
残存した455系は全て近郊対応改造され、塗装も白地に緑帯の「東北色」となった.

撮影:TH 2000年11月5日
仙台駅
TR69B台車
クハ455-46のTR69L台車.
電動台車(DT32L等)と異なり、ディスクブレーキを装備する.
画像の台車は更新工事により軸受の密封化が行われたため,TR69BからTR69Lへと変更されている.

撮影:TH 2001年3月3日
クモハ455-34の運転台
クモハ455-34の運転台.
165系と同等の機器配置であるが,交直流転換スイッチが追加されている(手前側).
また仙台地区のATS-PS化で関連機器の取付も行われている.

撮影:TH 2003年8月3日

クハ455-2
廃車後,郡山総合車両センターで整備され大宮総合車両センターに搬入されたクハ455-2とモハ454-4.
原型交直流急行色のクモハ455-1と共に,2007年10月に開館した「鉄道博物館」に搬入され,クモハ455-1は展示に,クハ455-2とモハ454-4は館内の休憩施設として利用されている.
なお,更新工事(正面ヘッドライト移設)を行った455系が黒磯以南へ入ったのは,この搬入輸送が唯一の事例のようである.

撮影:TH 2007年5月26日
JR東日本大宮総合車両センター
(公開時撮影)

455系・457系交直流急行形電車
 交流電化区間が拡大するに伴い、勾配・山岳区間でも電車急行列車の運転を行なうようになると、それまでの451系では主電動機出力が不足することと経済的な編成(電動車と付随車を1:1で組成)で運転可能な車輌が求められたため、1964年に製作した453系を基本に勾配抑速制動を装備し当時最新の標準設計の電車用交流機器を採用。1965年東北本線盛岡電化完成の際に登場したのが50Hz電化区間用の455系です。また同年の鹿児島本線熊本電化完成で60Hz版の475系も登場。1969年には50Hz,60Hz両周波数対応となった457系ができ、交直流急行形電車の体系が完成します。

 これら急行形交直流電車も長く国鉄の急行電車として使用されましたが、東北新幹線や山陽新幹線の開業、さらに北陸線急行の特急化により多くが仙台,北陸,九州地区のローカル輸送に転じます。直流急行形のほとんどが波動用に転じたのに対し、これら地区は80年代中頃まで機関車牽引による客車列車が多く、それらを交直流急行形電車や特急形電車から改造された車輌によって置換えたものです。

 ローカル輸送用に転じた交直流急行形電車はデッキ付近の座席をロングシートにする等の近郊化改造を受け地域輸送の近代化に貢献。直流急行形電車が2003年に全廃されると唯一残る急行型電車として健在でしたが、新型電車投入(仙台,九州)や北陸線敦賀直流電化等により活躍の場は限られています。

 455/475/457系は国鉄時代に特別保全工事が、またJR化後には更新改造を受け寿命の延長を図った車輌が登場しています。
 特に仙台地区用(仙台電車区→現在の仙台車輌センター)のものはJR東日本標準の更新改造を受け、座席も取り替えて前面前照灯と尾灯を一体化したケースにして印象が変わり、さらには路線毎に塗色変更したり,軸受の密封化等が行なわれた編成が登場しています。

 歯車比4.21のMT54主電動機の音をお楽しみ下さい。

455系主要諸元
製造初年 1965年
全長20,000mm 全幅2950mm (モハ454)
電気方式 直流(DC) 1500V / 交流(AC) 25000V 50Hz
制御装置 CS15B/CS15C/CS15E (直並列・弱界磁制御 発電ブレーキ総括制御)
主電動機 MT54/MT54B (定格120kW 375V 1630rpm / 最高回転数4320rpm) x4
駆動方式 中空軸並行カルダン駆動 (歯車比 4.21)
台車形式 電動車:DT32BまたはDT32L 付随車:TR69BまたはTR69L (クモハ455-200,モハ454-200はDT32)
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(SED),抑速ブレーキ
最高運転速度 110km/h

モハ454パンタグラフ周辺
交流機器と低屋根構造が特徴の交直流急行形電車のパンタグラフ周辺.(モハ454-42)

撮影:TH 2001年3月11日
仙山線 作並駅
モハ454低屋根部の室内
モハ454-42の低屋根部分の室内.
冷房化以前は軸流送風機が装備され,冷房化後も跡が残っていたが,更新工事により完全に塞がれた.

撮影:TH 2001年3月10日


仙台シティラビット(千本桜)
桜が満開する,東北本線大河原-船岡間の白石川堤「一目千本桜」を行く455系快速「仙台シティラビット」.
東北本線屈指の撮影名所でもある.

撮影:MT 2005年4月19日
東北本線 大河原-船岡
(画像調整済)
快速仙台シティラビット(一目千本桜)
桜が満開する,東北本線大河原-船岡間の白石川堤「一目千本桜」を行く455系快速「仙台シティラビット」.
東北本線屈指の撮影名所でもある.

撮影:MT 2005年4月19日
東北本線 大河原-船岡
(画像調整済/調整:TH)

快速仙台シティラビット
東北本線福島駅で発車を待つ快速「仙台シティラビット」モハ455-34ほか6両.

撮影:TH 2004年2月8日
仙台シティラビットのヘッドマーク
仙台シティラビットのヘッドマーク.
455系のほか417系や719系使用列車でも掲出されている.

撮影:TH 2004年2月8日
東北本線 福島駅
仙台シティラビットの横サボ
快速「仙台シティラビット」の"横サボ"(行き先表示板).
撮影:TH 2004年2月8日 東北本線 福島駅
【収録車両の編成表】
収録時配置:JR東日本 仙台電車区
(仙セン/現・仙台車両センター)

編成番号 Mc455 M'454 Tc455
S-45 45 45 316
←仙台
太字は収録車両



東北本線
 1965年の盛岡電化開業時に急行「いわて」等で始まった東北本線455系の運転は、盛岡以南の運用が中心で、一時期には急行「くりこま」で青森まで運用があったものの、東北新幹線開通後は仙台地区の地域輸送に転じ、その運用は南は栃木県の黒磯から北は岩手県の一ノ関までと広範囲でした。

 仙台-福島間の臨時快速にも用いられ、往年の急行列車を彷彿とさせる走りを見せていましたが、2007年2月のE721系投入により撤退しています。


JR東日本 東北本線 455系 モハ454-45
快速9575M列車 「仙台シティラビット55号」 福島-仙台 2004年2月8日録音 (約71分)

録音・編集・プロデュース/TH 2004年編集作品
©TH


 東北本線の福島-仙台間で運転されている快速「仙台シティラビット」での録音です。

 「仙台シティラビット」は仙台-福島間の高速バスに対抗する目的で運転されていた無名の快速列車を、2002年より名称を付けて運転。当初は一日僅か1往復でしたが、収録当時は平日3往復の定期列車に加え土休日はさらに停車駅の少ない3往復が臨時列車扱いで運転されていました。

 収録当時、平日に運転される定期列車は455系のほか417系や719系の運用が中心で区間運転の普通列車を延長したものが多く停車駅も多いですが、土休日運転の臨時3往復は全て455系が充当されていました。
 この列車については予てから知人より「仙台シティラビットの455系はいい走りをしている」と言われ収録の機会を伺っていたのですが2004年2月に機会が出来、収録したのがこの録音です。
 福島から白石にかけては越河の前後で勾配区間が続き、455系の得意とする勾配区間と往年の急行列車を彷彿とさせる走りを両方味わえる美味しい区間でもあります。

 収録した下り55号(9575M列車)は土休日運転のもので白石,大河原,岩沼の3駅停車。福島を出るといきなり爆走状態となり、勾配区間は連続力行に抑速制動と455系の持てる力を存分に発揮するような走りをしています。
 福島-仙台間を途中3駅のみ停車というのは往年の急行列車と同じなのですが、調べてみるとこの55号はかつての急行「いわて1号」(101M列車)と殆ど運転時刻が酷似しており、まさに往年の急行列車そのままの走りということにもなります。

発時刻 101M 9575M
(収録列車)
8575M
福島 1609 1603 1706 ふくしま fukushima
白石 1644 1630 1731 しろいし shiroishi
大河原 1656 1640 1741 おおがわら o-gawara
岩沼 1708 1652 1753 いわぬま iwanuma
名取
(運転停車) (運転停車) 1759 なとり natori
仙台(着) 1723 1716 1809 せんだい sendai

左/1981年 急行「いわて1号」(101M)
中/2004年 快速「仙台シティラビット55号」(9575M)
右/2009年「仙台シティラビット75号」(参考/8575M)

 停車駅はどちらも同じで、どちらも途中駅で特急退避があります。
 1981年の101Mは途中駅で特急「ひばり13号」の退避がありますが、「仙台シティラビット」では名取駅運転停車で「スーパーひたち27号」の退避をしています。ですので運転上実際には途中4駅停車ということになりますが、運転時刻上は1981年の「いわて1号」とほとんど変わりません。

※参考までに、2009年3月改正の「仙台シティラビット71号」(8575M/719 系1M1T)の時刻も併記します。収録当時と比べて1時間繰り下げとなり、また名取は客扱停車とし特急退避も無くなりましたが、福島-岩沼間の所要時間だけを見ても、2004年9575M列車に比べて僅かながらも短縮されています。

 ほとんど走りまくっている録音になりますが、途中でやや「MT46主電動機」の唸りに近いような懐かしい響きを聞かせてくれる部分があります。収録したモハ454-45は国鉄時代に特別保全工事を受けただけで床構造がオリジナルに近い為、更新車に比べると音は軟らかい傾向にあります。
(MT46のような響きの考察と床構造による聞こえ方の違いは、仙山線モハ454-42走行音録音の記事をご覧下さい)
 また特別保全工事車ですので、モハ455形のコンプレッサはレシプロ式のC-2000形となっており、「ドロロロ」というオリジナルな動作音も入っています。

 収録は客室内で行ないました。
 デッキでの収録時や北陸・九州地区の急行形のようにデッキの扉を撤去していませんので、主電動機の自己通風ファンの音は盛大には入りませんが、逆に抑えられるために微妙な電動機の音や歯車の音、冬季の積雪区間独特の「サー」という音も入り、実際に乗車した雰囲気に近い感じで収録できるのが利点です。

 寒い時季で且つ停車駅が少ないタイプのためか乗客は少なく(録音するには有難いのですが・・)、3両編成でも間に合うのが実態でした。

【モハ454-45/クモハ455-45
竣工日:1968年8月30日
製造所:東急車輌製造
新製配置区:国鉄仙台鉄道管理局 仙台運転所 (仙セン)
最終配置区:JR東日本仙台支社 仙台車両センター (仙セン)
廃車日:2007年12月5日

快速仙山
山形駅で発車を待つ快速「仙山」モハ455-42ほか6両.
仙山線からは2001年3月のダイヤ改正で撤退した.山形駅に乗り入れる最後の国鉄形車両の定期運用であった.
なお,山形駅7番線ホームは客車時代のままの高さが低い状態であった.

撮影:TH 2001年3月10日
仙山線カラーの車体ロゴ
仙山線カラーの車体ロゴ.(モハ454-42)

撮影:TH 2001年3月11日
改良前の山形駅に停車する455系
新幹線乗入工事前の時代の山形駅に停車中の快速「仙山」クハ455-72ほか.
偶然にも録音収録した「S-42編成」の仙山線色になる前の姿である.
撮影場所は現在標準軌列車用のホームとなっている.

撮影:TH 1989年12月頃
(フィルム撮影)

夜の山形駅455系
新幹線乗入れ工事前の山形駅に停車中のクハ455-72ほか.
幕式発車案内等が懐かしい.

撮影:TH 1989年12月頃
(フィルム撮影)
仙山線455系
仙山線色のクモハ455-42他3両.
仙山線からは2001年3月のダイヤ改正で撤退した.
撤退後仙山線色車は通常の仙台支社色に戻されて東京近郊区間(水戸地区)乗入用にATS-Pを追加設置,常磐線を中心に運用されていたが,後に限定運用は解除となった.

撮影:TH 2001年3月11日
山寺から望んだ山寺駅
山寺五大堂から望んだ山寺駅周辺と仙山線455系.

撮影:TH 1990年1月頃.
仙山線山寺駅付近
(山寺・宝珠山立石寺五大堂より撮影)
(フィルム撮影)
雪の山寺付近を行く仙山線455系
雪の山寺付近を行く仙山線455系.
455系の運用路線では冬期の気象条件が厳しい路線のひとつだった.

撮影:TH 1989年頃.
仙山線山寺駅付近
(山寺・宝珠山立石寺五大堂より撮影)
(フィルム撮影)

「快速仙山」の行先表示板(横サボ)
「快速仙山」の行先表示板(横サボ).
このタイプは国鉄時代からの「正調仕様」のもの.
"山形"の部分はテープを貼って書かれているが、おそらく以前運転されていた上山(現・かみのやま温泉)行きか、新庄行きのものであったと思われる.

撮影:TH 1990年頃撮影 山形駅
(フィルム撮影)
仙山線普通列車の「横サボ」
仙山線普通列車の行先表示板(横サボ).

撮影:TH 2001年3月10日
モハ454-42 山形駅
【収録車両の編成表】
収録時配置:JR東日本 仙台電車区
(仙セン/現・仙台車両センター)

編成番号 Mc455 M'454 Tc455
S-20 20 20 54
S-42 42 42 72
←山形
(奥羽線内羽前千歳-山形間は,上り方がクモハ455となる)
太字は収録車両


仙山線
 仙山線、その名の通り「仙台」と「山形」を結ぶ都市間路線ですが、その実態は勾配区間が続く冬は雪深い山岳線区。そんな険しいこの路線は、いつのまにか市町合併で仙台市と山形市だけを走る路線になりましたが、路線環境そのものは変わることなく、455系がその実力を存分に発揮できる路線でもありました。

※隣接する県庁所在地の市内のみで完結する路線は、JRでは当線のみで、私鉄では他に京阪電鉄の京津線(京都市と大津市)がある。

 455系の仙山線での運転は1968年10月の白紙ダイヤ改正より、それまでの気動車準急「仙山」2往復の電車急行化により始まります。その後1982年11月に快速化され、また仙山線普通列車も455系化されます。
 しかし、仙台市内の近郊に位置する愛子(あやし)までの区間は朝の混雑が激しくなり、全線単線では運転本数も増やせず、しかも2ドアの455系では混雑を捌き切れない事態もあり、都市間輸送という面では充分な接客設備を持つ455系ではありましたが、混雑対策のため2001年3月をもって仙山線から撤退しています。

 実は仙山線455系は山形駅に出入りする最後の国鉄形定期運用車輌でした。奥羽線は新庄まで標準軌化、左沢線はキハ100系に置き換えられ、455系撤退後の仙山線山形直通運用は719系に置き換わった為、何と山形駅はJR路線の無い沖縄を除く46都道府県の県庁所在地駅で初の国鉄形車両定期運用消滅駅になってしまったのです。以前は50系客車や旧形キハばっかりだったあの山形駅が、ですから驚きです。


JR東日本 仙山線 455系 モハ454-42
普通826M列車 山形-仙台 2001年3月10日録音 (約80分)

録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品 簡易CR版
©TH


 撤退直前の2001年3月に録音したものです。この録音も客室内での収録です。

 このモハ454-42、妙に「MT46」のような響きがありまして中々いい感じだなぁ、と思いまして編集し公開したものです。
 あくまでも実際に付いている主電動機は「MT54」なので主成分(?)はMT54らしい低音の主成分があるものの、中速度域を中心にMT46のような「ヒョーン」とした乾いた響きが出ています。

 よくファンや研究家の間では「初期のMT54にはMT46のような響きを持つ物がある」と言われ、その理由も諸説ありますが、このモハ454-42が含まれる「1967年度第2次債務車」(国鉄の車両計画名)増備からは主電動機が耐雪性能強化対策が行なわれた「MT54B」に変更されており、本来は初期のMT54ではないことになります。
 しかし、国鉄部品は規格品として仕様が統一されており同一系統・統一形式の部品は交換も容易ですから製造当初のものが必ず装備されているとも限らず、実際何が装備されているかは実物を見ない事には判りません。

 さらに郡山工場(現・郡山総合車両センター)で検査修繕を受ける455系や常磐線の415系のMT54主電動機には他に比べてこの傾向が強いようです。
 国鉄形電車はその基本構造や使用部品は共通化されている部分が多いので走行音も似たり寄ったりの筈なんですが、実際には保守・修繕を受ける担当工場によって微妙に変化があり、さらに後年の車体更新等で違いも出てきていますので、この影響も差に現れています。

 加えて、このモハ454-42他3両(S-42編成)や後述のモハ455-20他3両(S-20編成)はJR東日本の「車両更新工事」を1989年に受けており、その際客室部分の床構造変更が行なわれているため、オリジナルよりも遮音性が若干低く音も硬いのが特徴です。
 オリジナルは「キーストンプレート」と呼ばれる台枠部分の波型鋼板の上に木根太を介し耐水合板(耐水ベニヤ板)を重ねて床仕上材で仕上ていますが、更新工事車は木根太を金属製にし耐水合板は鋼板に変更されています。一般的に耐水合板のほうが遮音性も良く音質的にも軟らかく、客室内を人が歩く音は非更新車のうほうが明らかに軟らかで、更新車は硬くて薄い音がします。
 仙山線は更新工事を受けた仙山線色編成を中心に運用されていたため、収録も更新工事車中心となり、2001年3月に集中収録した際は全て更新工事車での収録でした。
 また、更新工事車は仙石線103系と同様の、補助電源SIV化とスクリューコンプレッサ化がなされており、この録音でもSIV化編成独特の「ヒョーン」という音と、モハ454形ではコンプレッサのドコドコ音がせず「シューー」という空気の抜けるような音が所々にあるのが特徴です。

 録音自体の話に戻りますが、仙山線の山形-仙台間直通の普通列車は運転本数も少ないばかりか所要時間も80分台になり、テープでは長時間となる録音です。交換列車待ちの長時間停車部分を編集して、何とかCD-DAに収められる限度ギリギリの時間に短縮しています(79分30秒余.ほんとギリギリです)
 時間帯の都合から帰宅する高校生が愛子より多く、それら高校生の会話も含んでしまっていますが、会話の部分は人物名や人物を特定できそうな固有名詞は削除。会話内容も一部削除してあります。

 また特定のテープと録音機の相性問題から、部分的に左右のバランスが悪い箇所があり、酷い部分は処理を行ないました。咳・くしゃみなどの生理的雑音は出来る限り削除しましたが、タイミングの関係で扉開閉時や加減速時にあるものはやむを得ず残している部分があります。

 羽前千歳駅到着前、信号による停車があります。これは羽前千歳駅手前に狭軌と標準軌が交差する箇所があり、遅れていた奥羽線(標準軌)上り普通列車の通過を待っていたものです。山形駅から羽前千歳駅手前の区間までは狭軌線が西側(複線使用時代の下り線)に位置しますが、羽前千歳で仙山線が東側へ離れるため、羽前千歳駅手前で標準軌と狭軌が交差する地点ができたものです。
 奥羽線山形-羽前千歳間が単線並列化したことにより、仙山線列車は山形を出ると楯山まで列車交換ができる駅がありません(左沢線は北山形で分岐)。以前は奥羽線内が複線でしたので上下列車の交換は奥羽線複線区間でも可能でしたが、単線並列化でこの様になり仙山線で遅れが出ると楯山駅での停車時間が延びる傾向になってしまっています。
 この録音でも遅れていた下り山形行列車の交換待ちのため楯山駅で暫く停車していました。
 S-42編成の塗装は青色の仙山線色でしたが撤退に伴い仙台支社色に塗装変更され、さらにATS-P取付改造を受け常磐線いわき以南の首都圏乗り入れ運用に使用。2005年7月の常磐線ダイヤ改正により、いわき以南の運用が消滅したため、限定運用は解消されています。



JR東日本 仙山線 455系 モハ454-42
普通1885M列車 仙台-作並 2001年3月11日録音 (約42分)

録音・編集・プロデュース/TH 2006年編集作品 CR版
©TH


 撤退直前の2001年3月に録音したものです。この録音も客室内での収録です。
前述のように前日にも収録しているのですが、当時の仙山線455系は専用色や装備等の都合で運用される編成がほぼ固定されていたため、同じ車両での録音となったものです。

 作並折り返し運用は当時は朝夕ありましたが、後に朝のみとなり、415系撤退後は719系を経てE721系に変わっています。

【モハ454-42/クモハ454-42
竣工日:1968年6月29日
製造所:東急車輛製造
新製配置区:国鉄仙台鉄道管理局 仙台運転所 (仙セン)
最終配置区:JR東日本仙台支社 仙台車両センター (仙セン)
廃車日:2008年12月4日



JR東日本 仙山線 455系 モハ454-20
快速3837M列車「仙山7号」 仙台-山形 2001年3月11日録音 (約71分)

録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品 2008年リマスタリング版 CR版
©TH


 こちらも撤退直前の2001年3月に収録したものです。

 3月とはいえまだ雪も降る寒い日だったのを覚えています。雪も山岳区間や山形市内は結構残っていました。この日は降雪による遅れが山形県内であったため、接続を取る仙山線にも遅れが波及。収録列車も山形からの到着が遅れました。録音の冒頭にも横サボ(行き先表示板)の取替えのために発車が遅れる旨の案内放送が流れる位慌てていた覚えがあります。
 結局6分程遅れて仙台駅を発車。普段よりも気合を入れた走りになりまして、北仙台出発後は上り勾配を連続力行で軽快に走行。ロングレールはトンネル区間以外ほとんどないため、ジョイント音のテンポも普段より早めに奏でられています。

 愛子(あやし)を出てからの山岳区間も遅れを取り戻すべく、特に仙山トンネル内では爆走状態。しかし対向の上り列車も遅れていた為、作並や楯山(運転停車)で待たされ、さらに遅れに追い討ちをかけるように山寺発車後に線路内への人の立入を発見し非常停車する事態もありました。ほとんどの区間で制限速度ぎりぎりで走りますが山形到着時の遅れは結局更に拡大し山形駅で新幹線を接続待ちさせる事態になり、録音にもそれらの案内放送が入っております。

 この時の録音では、カーブでの車輪とレールの「軋み音」が強烈なものになり、この部分は入力の段階から完全に歪んだ状態になっていました。かなり耳障りの悪い音でもありましたので編集では咳・クシャミ等と共に出来る限り削除してありますが、作並駅到着前は車内放送とかぶってしまっていたり、また削除するにはタイミングの悪い部分もあったりしたため、所々「軋み音」が残っている箇所があります。聞きづらいかもしれませんがご了承いただければと思います。
 また、作並駅や運転停車の楯山駅での長時間停車も、適当にカットしています。

 S-20編成の塗装は青色の仙山線色でしたが撤退に伴い仙台支社色に塗装変更され、さらにATS-P取付改造を受け常磐線いわき以南に入る首都圏乗り入れ運用に使われましたが、2005年7月の常磐線ダイヤ改正により、いわき以南への運用が消滅したため、限定運用は解消されています。

【モハ454-20/クモハ455-20
竣工日:1966年6月30日
製造所:日立製作所
新製配置区:国鉄仙台鉄道管理局 仙台運転所 (仙セン)
最終配置区:JR東日本仙台支社 仙台車両センター (仙セン)
廃車日:2008年11月11日

常磐線455系
常磐線運用の455系クハ455-320以下6両.
後年,正面種別表示器がLED化され,行先が表示されるようになったが,横サボは中間1両のみ差されることとなった.
2007年3月18日のダイヤ改正により,画像にあるような更新工事未施工車は運用から外れ,更新工事施工車のみとなったが,運用数は大幅に削減され,南限も原ノ町となった.

撮影:TH 2006年1月20日
仙台駅
クモハ457-13 水戸駅
常磐線運用の457系クモハ457-13ほか9両.
常磐線には最長9両編成の運用があった.
また,このように東京近郊区間に属する水戸駅まで乗り入れていたが,これが末期の定期運用では最南であった.
水戸駅では電車用にホームの嵩上げが行われていたので,ご覧のようにステップの最下端はホームよりも下に位置していた.

撮影:TH 2003年1月13日
常磐線 水戸駅
常磐線455系
常磐線運用のクモハ455-17他6両(右).
常磐線運用は仙台地区455系で唯一東京近郊区間(水戸-勝田間/当時)への運用があったため,ATS-Pを装備する車輌を中心に使用されていたが,2005年7月の常磐線単独ダイヤ改正により「いわき」以南から撤退.2007年3月改正で原ノ町以南からも撤退となった.

撮影:TH 2001年3月10日
常磐線 原ノ町駅
【収録車両の編成表】
収録時配置区:JR東日本 仙台電車区
(仙セン/現・仙台車両センター)

編成番号 Mc455 M'454 Tc455
S-26 26 26 504
←仙台
太字は収録車両



常磐線
 勾配線区の東北本線に対し、常磐線は平坦線のため1985年以降の急行形電車ローカル運用転用後も、抑速制動の無い451系/453系や717系の運用が中心で、一部に455系単独、あるいは455系と451系/453系との併結運用がありました。
 451系引退後は455系(457系含む.以下省略)と717系での運転となり、以後常磐線仙台口の運用は両系列で賄われますが、1999年に秋田地区から転属した701系100番台車によるワンマン運転が開始されると、一部の運用がそれらで置き換えられます。

 常磐線455系は、451系時代の運用をそのまま肩代りしたかのような運用が特徴的で、仙台地区普通列車最長の9両編成運転や水戸までの運用もあり、首都圏(水戸地区)のATS-P化後はATS-Pを装備した455系が限定運用されることもありました。

 2005年10月の上野口へのE531系投入による常磐線単独ダイヤ改正により"いわき"以南の首都圏(水戸地区)乗入運用が無くなり、そして2007年3月のダイヤ改正により原ノ町以北のみの運用となり、同年11月のE721系投入により全廃されています。


JR東日本 常磐線 455系 モハ454-26
普通258M列車 仙台-いわき 2001年3月11日録音 (約153分)

録音・編集・プロデュース/TH 2006年編集作品 2010年CRリマスタリング版
©TH


 常磐線運用のうち、2007年3月改正以前は仙台地区普通列車最長の9両編成による列車が数本あり、この258M列車もそのひとつでした。
 258M列車は仙台を夕刻17時51分に出発する列車で、折り返し列車に上野方3両増結で258Mを仕立てるため、この3両は他の6両ほど混雑せず、特に原ノ町以遠は乗客は激減し、且つ増結分の前3両は殆どの駅で階段から外れたりするため乗客が寄り付かず、時間帯の割には録音が容易な列車でもありました。

 この258Mは"いわき"到着後、一部が時間を置いて水戸行最終列車へ充当される「送り込み」を兼ねた列車だったのですが、2005年7月の常磐線単独ダイヤ改正後も何故か9両編成運転のままでした。
 その後、258Mは2007年3月のダイヤ改正後も列車番号と時刻がほぼそのままに残ったものの原ノ町-いわき間は廃止となり、常磐線普通列車での都区内への最終乗り継ぎは1時間繰り上げとなってしまいました。原ノ町-いわき間の閑散ぶりと、前述にもあるような送り込みの目的も無くなっていたため、区間廃止になったのはやむを得なかったのでしょう。

 このモハ454-26ですが、起動時に「ブーン」と主電動機から盛大に脈流音をうならせています。加えて常磐線の"いわき"以北はロングレール区間が少なく、東北本線よりもガタゴト盛大に走るのも特徴的です。
 更新工事未施工車であったため、モハ454形のコンプレッサは旧来の「ドロロロ」と鳴るものでしたが、残念ながら収録翌年の2002年7月に廃車処分されました。

 録音ですが約2時間半の長時間録音だったため、録音テープは反転により幾つか分割されていますが、編集で繋ぎ合わせて調整しています。

 また、日付を見て気付かれる方も多いかと思いますが、丁度「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)」の10年前の録音であり、且つ地震・津波に核災害と、この震災で最も甚大な被害を受けた区間の録音でもあります。
 復旧を願い、この録音を公開していきます。

【クモハ455-26/モハ454-26
竣工日:1967年6月3日
製造所:日立製作所
新製配置区:国鉄仙台鉄道管理局 仙台電車区 (仙セン)
最終配置区:JR東日本仙台支社 仙台車両センター (仙セン)
廃車日:2002年7月30日

夜の常磐線455系 新地
夜の常磐線新地駅に停車する455系258M列車.
以前は日立木駅で上り特急列車を退避していたが,後に新地駅での退避となった.
当時の日立木駅の退避線ホームは上り方の末端が客車時代の高さのままで,ステップ下端からホーム面まで30cm以上の差があり,降りる際注意が必要だった.

なお、新地駅は2011年3月11日の東日本大震災による津波により、画面奥の跨線橋を残し全壊。2016年12月に内陸側へ移転し復旧している。

撮影:TH
2003年1月19日 常磐線 新地駅
(画像調整済)

夜の455系デッキ
夜の455系デッキ.
153系以来殆どデザインは変わっていないが,仙台地区急行形の末期はクハ以外の洗面台・トイレは閉鎖されていた.
夜の急行形電車の薄暗いデッキは,かつて多く走った急行形電車による夜行列車を思い出させるものがある.

撮影:TH
2003年1月19日 クモハ455-43
(画像調整済)

磐越西線455系
磐越西線の455系クハ455-46以下3両.
磐越西線455系は赤を主体とした専用色とされたが,運用の都合で仙台色車も運用に入ることがあったが,末期は仙山色車も入ったこともあった.
仙山色とは塗分けが共通で,色違いであった.

撮影:TH
2001年3月3日 郡山駅
(画像調整済)
磐越西線455系
磐越西線色のクモハ455-12他3両.

仙山線色の色違いである.この塗装は更新工事車のみに実施.会津若松運輸区常備となり磐越西線限定運用となっていたが,末期は他線の運用に入るものもあった.

撮影:TH
2003年1月13日 郡山駅
(画像調整済)
クロハ455-1以下3両
S-40編成・クロハ455-1以下3両.
クロハ455の側窓手前3つ分がグリーン室部分で固定窓化,残りの区画は普通車指定席として用いられた.
末期は正面貫通扉や中間車へのロゴの貼付は無くなり,クロハ455-1のグリーン車マークも無くなった.

撮影:MT
2003年5月15日 磐越西線 会津若松駅
(画像調整済/調整:TH)
磐越西線455系 更科-磐梯町
名峰・会津磐梯山を背に快走する,磐越西線455系.
撮影:MT 2005年3月21日
磐越西線 更科-磐梯町
(画像調整済/調整:TH)
【収録車両の編成表】
収録時配置区:JR東日本 仙台車両センター(仙セン)
編成番号 Mc455 M'454 Tsc455
S-40 40 40 1
仙台/会津若松→
太字は収録車両



磐越西線
 磐越西線での455系運転は、郡山-喜多方間電化完成に伴う1967年7月1日ダイヤ改正により、既存の客車・気動車急行の置き換え、及び電車急行の新設により運転されたのが始まりです。
 磐越西線の電車急行列車は「ばんだい」の名が長く使われ、1984年2月改正による東北新幹線大宮開業時に磐越西線内は快速列車となったものの、1984年まで一往復が東北線内を急行として上野まで乗り入れていました。

 東北新幹線開業後、ローカル輸送用に転じた455系ですが、磐越西線の普通列車は50系客車が主体で、455系は快速「ばんだい」が中心でしたが、客車列車の電車・気動車転換が進み、1994年以降は郡山-会津若松間の普通・快速全列車が455系による運転となります。

 2004年10月改正で「ばんだい」の名称が廃止されたものの455系の運用は続きましたが、2007年7月改正で東北・仙山線E721系投入により捻出された719系により置き換えられ(正確には6月30日夜より)、磐越西線における455系の運転が一旦は終了しました・・・ が、平日朝夕の一部列車で積み残しが発生し(455系3両の所,719系2両に減車のため)、程なく仙台色の1編成が再度投入。この思わぬ運用も2008年3月改正で終了し、これをもって仙台地区455系運用が終了することとなりました。


JR東日本 磐越西線 455系 クモハ455-40
快速3237M列車 郡山-会津若松 2005年1月30日録音 (約64分)

録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品 2009年リマスタリング版
©TH


 磐越西線455系末期となる、2005年1月の録音です。この頃になると快速列車の名称「ばんだい」は無くなり、指定席車等の連結も解消されています。

 磐越西線では指定席のほかグリーン席を設定した快速「ばんだい」があったのですが、その指定席・グリーン席用にクハ455を1両改造したクロハ455-1を連結したのが、本収録編成である「S-40」編成です。
 当初は仙台色でクロハ455-1のみ、細帯を足した特別塗装でしたが、後にグリーン車連結位置を、当時の485系特急「ビバあいづ」に合わせるため方向転換。また磐越西線色の採用に伴い、同編成も塗色変更を受けています。

 本編成による快速の指定席・グリーン席が廃止された後は普通車自由席として開放され、その後一時は東北本線が中心の運用でしたが、末期に磐越西線運用に復帰。座席はそのままとされたため同線一の人気編成ともなり、本編成列車は真っ先に旧グリーン席→旧指定席の順に座席が埋まっていく傾向がありました。
 ただ本編成は前述のように他編成とは向きが逆で、駅でクモハ455形を狙ってその位置で待っていても、本編成だけはその位置がクハ455形になってしまうので、録音にあたっては注意の必要な編成でもありました。

 また、本編成は更新工事施工車でクモハ455形は搭載補助電源のSIV化、モハ454形はスクリューコンプレッサ化がされており、クモハ455形独特の110kVA MGの音がぜず、更新工事未施工車やJR他社の急行形と比べ静かなのが特徴です。

 磐越西線の日中ほとんどの列車は3両編成で、S-40編成といえども普通席にも乗客が多数乗車するような状況でしたので、録音には厳しいものがありました。本録音も会津若松到着直前に赤ん坊の泣き声が入ってしまっていますが、他の部分は当日録音した他の列車に比べてマシなほうでしたので、本録音を採用しました。

クモハ455-40/モハ454-40】
竣工日:1968年6月28日
製造所:東急車両製造
新製配置区:国鉄仙台鉄道管理局 仙台電車区(仙セン)
最終配置区:JR東日本仙台支社 仙台車両センター(仙セン)
廃車日:2008年9月25日

※参考
【クロハ455-40】
竣工日:1966年4月13日 (クハ455-44)
製造所:日立製作所
新製配置区:国鉄仙台鉄道管理局 仙台電車区 (仙セン)
改造日:1990年3月7日 (クロハ455-1)
改造所:JR東日本仙台支社 郡山工場 (現・郡山総合車両センター / KY)
最終配置区:JR東日本仙台支社 仙台車両センター (仙セン)
廃車日:2008年9月25日

日豊線457系
日豊本線の457系クモハ457-15以下3両.
収録列車2751Mの大分駅発車前の風景.

JR九州車は民営化直前より「白地に青帯」の塗装となっていたが,青帯の色合いは同様な塗装のJR東日本勝田区415系のものよりも明るいものとなった.


撮影:DS
2007年1月2日 大分駅
(画像調整済/調整:TH)
(携帯電話付属カメラで撮影)
日豊線457系
日豊本線の457系クハ455-403以下3両.

撮影:DS
2007年1月2日 大分駅
(画像調整済/調整:TH)
(携帯電話付属カメラで撮影)
大分駅案内表示
大分駅の発車案内.

2527Mは大分15時48分発で,終着の南延岡には18時43分着.

撮影:DS
2007年1月2日 大分駅
(画像調整済/調整:TH)
(携帯電話付属カメラで撮影)
【収録車両の編成表】
収録時配置区:JR九州 鹿児島総合車両所 (本カコ)
編成番号 Mc457 M'457 Tc455
Jk15 15 15 403
鹿児島中央・大分→
太字は収録車両



日豊本線
 九州地区における急行形電車は、1965年に南福岡電車区に475系が配置されてから始まり、本州〜九州系統等の急行列車で活躍。
 大阪駅では金沢区配置の同系とも顔を合わせることもあり、最盛期は最東端が急行運用で名古屋まで、さらにその間合運用で岐阜県の中央西線中津川までの広範囲な運用がありました。

※仙台,勝田配置車が金沢,南福岡配置車と顔を合わせることは通常の運用では無かった.臨時でも無いようである.


 南福岡区への急行形電車配置は1970年代前半のうちに全て鹿児島区へ配置替えとなり、さらに大分区も配置区に加わり、長く両区による配置が続いていました。

 1975年の山陽新幹線博多開業により山陽本線急行列車が全廃された後は、九州島内の急行列車に用いられましたが、1982年11月改正により急行列車からローカル輸送用へと転換。近郊対応改造等を施され長く使われましたが、2007年3月18日をもって運用から離脱しています。


JR九州 日豊本線 457系 クモハ457-15
普通2751M列車 佐伯-延岡 2007年1月2日録音 (約71分)

録音/DS 編集/TH 2011年編集作品
©DS/TH


 有名な秘境区間「重岡-宗太郎」間を含む、通称「宗太郎越え」の457系録音をDS様より提供をいただき、編集・調整しました。
  九州地区の急行形電車は、1982年11月のダイヤ改正より普通列車に転用され近郊形改造されますが、暖地ということもあり改造当初よりデッキ扉や一部を除く仕切りが取り払われています。一部を除く仕切りというのは、収録車両でもある制御電動車の運転台寄りのもので、この仕切りは電動機冷却風ダクトを兼ねており、その取り込みは枕木方向に2つ並んだ屋上ベンチレーターかデッキ部にあるスリットのいずれかから可能な構造となっており、主に夏期はベンチレーターから、冬季はデッキ部から取り込みを可能としていました。
 九州地区のものは後に屋上のベンチレーター類を撤去し、デッキ部からの取り込みのみになっており、お聴き頂くようにデッキ部からの主電動機の音が盛大に入る形となっています。
 またJR東日本455系・457系更新車と異り、JR九州のクモハ457形は補助電源がオリジナルの110kVA MGとなっており、昔ながらの独特の動作音や、起動時・ノッチオフ時等の回転音の揺らぎもお楽しみいただけます。

 収録した大分と宮崎の県境を越える区間は特急列車は1時間当り1本あるものの、普通列車は日に2往復しか無い「秘境区間」で有名な所。重路線が中心の仙台地区や北陸地区の急行形電車運用路線には無い寂れた険しい区間、さらに文字通りの「枕木」の上を行く急行形電車の記録は大変貴重で、聴き応えがあるのではないかと思います。

 収録の457系編成(Jk15)は当初鹿児島所配置でしたが1975年に大分区配置となり、その後何度か鹿児島所と大分区での転属を繰り返し、最後は2005年9月に最初の配置区であった鹿児島所へ転属しています。鹿児島所属編成は鹿児島本線基準のため、そして大分所属編成は日豊本線基準のため、両者の運用が混在している区間ではクハ455形が向き合う形となっていました。冷房化以降の交直流急行形電車は引き通し線が方渡り仕様となっているため、両者による併結運転は無く、転属の際も方向転換のうえ移動しています。
 鹿児島所属車は大分までが運用範囲でしたが、収録時は、この宗太郎越えの運用に鹿児島車が用いられていました。

※冷房化以前は両渡り構造となっていたので、異る向きの編成同士の併結もあった。冷房化後の例外はJR東日本の磐越西線用455系S-40編成で、方向転換の際引き通し線を変更し他編成と揃えている。

 JR九州の急行形電車は2007年3月18日をもって運用離脱し、宗太郎越え区間の運転は717系に代わり、さらに2009年からは何とキハ220形単行による運転に代わっています。

貴重な録音を、お楽しみください。

クモハ457-15/モハ454-15】
竣工日:1970年9月8日
製造所:川崎重工
新製配置区:国鉄鹿児島鉄道管理局 鹿児島運転所 (鹿カコ)
最終配置区:JR九州(本社直轄) 鹿児島総合車両所 (本カコ)
廃車日:2010年3月20日



そのほかの455系画像
クモハ455-22の車内
クモハ455-22の車内.
仙台地区の455系は座席の表地を3両毎に変えている編成があるが,この赤系統の表地は更新工事開始直前のものとほぼ同じ色.
仙台地区455系は九州,北陸地区と異なり防寒対策のためデッキ扉が存置された.

撮影:TH 2004年2月8日
東北本線 福島駅
モハ454-22の車内
モハ454-22の車内.
この車両の座席は国鉄時代を彷彿とさせる青系統の表地を使用.
デッキ付近は近郊化工事でロングシート化されているが,仙台地区のは仙台近郊の混雑対応のため,北陸,九州地区に比べてロングシート部が多い.

撮影:TH 2004年2月8日
東北本線 福島駅
クハ455-315の車内
クハ455-315の車内.
座席の表地は緑系統を使用.
この車両はクハ165-180からの改造車である.

撮影:TH 2004年2月8日
東北本線 福島駅
クモハ457-12の車内
クモハ457-13の車内.
初期の近郊化改造のため、ロングシート部分の吊手棒受けや荷物棚は廃車発生品を流用している.

撮影:TH 2003年1月13日
常磐線 水戸駅
(画像修正済)
モハ454-42の車内
モハ454-42の車内.
JR東日本の車両更新工事が行われ,客室内の床構造の変更や座席も交換された.座席表地は更新当初,同じ郡山工場担当車の首都圏415系でもお馴染みだった縦縞柄であったが,後に画像のものに交換されている.

撮影:TH 2001年3月11日
クハ455-609の車内
クハ455-609の車内.
455系や165系グリーン車を先頭車化し改造したクハ455形600番台車は,窓周りがグリーン車のままの特徴ある外観であり,室内側も蛍光灯カバーや底辺の高い窓周りと,グリーン車の特徴を残している.
仙台地区のものは通常のクロスシートに換えられたが,九州地区のものはグリーン車時代のシートを固定したまま廃車まで用いられたものもあった.

撮影:TH 2004年2月8日
(画像調整・修正済)
クハ455-609 運転台
クハ455-609の運転台.
同車のように,後年のローカル運用化により中間車の先頭車化が行われたが,その際当時増備されていた415系に準じたユニット式運転台仕様となった.
このユニット式運転台では人間工学に基づく設計により,マスコン及びブレーキ弁取付部は傾斜が加えられている.

撮影:TH 2004年2月8日
(画像調整済)
クモハ455-3の運転台
クモハ455-3の運転台.
常磐線で運用する455系は東京近郊区間に属する水戸-勝田間への乗入対応だったためATS-Pを装備.右側にATS-P動作表示器が,左側速度計上部にATS-PS動作表示機が設置されている.
なお,455系のほとんどが直流側回路を切断(直流ヒューズ等を撤去)しているため,交流区間限定で運用される.そのため交直流転換スイッチは封印されている.

撮影:TH 2004年2月8日

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