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上毛電気鉄道
上毛電気鉄道の走行音録音です。
2003年3月に「デハ101撮影会」として運転された際に録音したものです。
撮影会と題されていますが申込は不要の臨時運転で、赤城駅で側線に入れ換えたり、本線上に止めて係員の誘導で隣接する東武桐生線5050系電車と並べて撮影を可能にする等の、なかなか粋な計らいのあるイベントでした。
また、西桐生駅発車前には古澤社長のご挨拶もありましたが、その様子も収録しています。
当日の行程は、大胡から中央前橋(その1)、中央前橋から西桐生(その2)、西桐生から赤城へと行き(その3前半)、赤城で撮影会を行なった後、赤城から大胡(その3後半)へと戻る行程でした。
中央前橋から西桐生の録音(その2)はオリジナルのアナログテープから、その他の区間はバックアップのMD音源から編集しています。
テープとMD音源で音質の差がありますので、MD音源のほうをテープの特性に合わせる加工を施しましたが、同じ生テープがありませんでしたので、今回はソフトウエアによるエミュレーションで処理しています。
当時は今ほど鉄道趣味が一般化していなかったこともあり、和やかな程度の数に収まっていましたが、録音区間によっては会話が多く目立つ箇所もあり、切り詰め・誤魔化し・移植と手間がかかるものとなりました。
臨時運転故の長時間停車もありましたが、これは聴きやすいよう切り詰めています。
デハ100形は1928年の上毛線開業に際して製造・導入されたもので、1980年代に入るまでは他の電動車や付随車と共に主力として長く使われて来ました。
当初は2段窓・3扉車でしたが、戦後に1段上昇窓・2扉車化や運転台の右側化,中央前橋方の貫通化等の改造が施されており、製造当時の姿ではないものの1920年代の川崎車輌製電車の特徴を残しており、それまでの深い屋根が特徴の重厚な川崎造船所タイプから脱却したものとなっています。
一方で、製造以来の下回りは大きく変わることが無く、それでいて大変特徴的なものとなっています。
まず、台車は川崎車輌製のボールドウィンタイプの「川崎KO台車」と呼ばれるもので、一見当時主流の優雅な弓形イコライザー台車なのですが、枕バネがボールドウィンの源設計では重ね板バネのところ、コイルバネを用いている特徴的な台車です。
減衰効果が無いコイルバネではオイルダンパ等が本来必要ですが何故かそれが無く、また牽引力伝達のため擦動部品が必要になる等のデメリットもありますが、当時の川崎車輌の意欲的な設計嗜好が伺えるものとなっています。
オリジナルのボールドウィン製や他社製のスケッチ品等、多くのボールドウィンタイプの台車が失われていった中で、大変特徴的なこの台車が21世紀となった今でも臨時用とはいえ車籍を有する営業用電車に用いられているのは、偶然とはいえ貴重な存在です。
なお、製造当初は軸受部分はローラーベアリングでしたが、部品確保が困難となったため後にメタル軸受化されています。
主電動機は芝浦製作所の「SE-132B」ですが、これはウェスチングハウス(WH)※「WH-556-J6」の設計を忠実にスケッチした同一性能品です。
「WH-556-J6」(750V, 74.6kW, 985rpm) はWHの電動機としては異例の回転数の高い平坦線高速運転向きのもので、オリジナルは数多く輸入され、大手中小を問わず広く使われた輸入電動機でした。
ところが、当時の芝浦はジェネラルエレクトリック(GE)と提携関係にあり、一方で当時は三菱がウェスチングハウスと提携関係にありましたので、この「SE-132B」は提携外の異色の存在です。
※当時. 1999年までに重電を含む様々な部門が売却されたが,旧WHの交通関連部門は幾多の売却・統合を経て現在はボンバルディア傘下となっている. WHの商標はライセンス管理会社のものとなり,その名をライセンスされた東芝子会社の核関連会社等とは,(同根ではあるが)もはや関係が無い.
「WH-556-J6」の三菱でのスケッチ品は「MB-98A」主電動機ですが、定格回転数等性能の面で「WH-556-J6」に追い付けず低く設計され、同一ギヤ比では足の遅いものとなっていました。
一方で芝浦「SE-132B」のほうは「WH-556-J6」と同一スペックであり、忠実に再現したものとなりましたが、提携外の関係とはいえ芝浦がWHの仕様を忠実に再現できた背景には、当時の国内メーカー間に技術力の差があったことが伺えます。
上毛では、1980年代初頭の西武からの譲渡車により在来車の多くが廃車となる中、デハ101号は当時あった貨物輸送(石油タンク車)や保線用貨車の牽引のため※1デハ104号と共に残され、その際デハ101号は牽引力確保のため歯車比を拡大し牽引力の確保を図っています。
そのためか、音のほうは速度の割に賑やかなものとなっています。
1980年代からの定期運用はラッシュ時に限定した運用となり、1997年に定期運用から退いてデハ104号が除籍され、残るデハ101号も臨時営業や保守用車の牽引に用いられるだけになり、現在では東日本で最古参の電車となっています。
全国的に見ても、鉄道線では琴電1000形,3000形(1926年製)に次ぐ古さとなっていますが、これらは車体はオリジナルを維持しつつも台車や主電動機等の下回り品は幾度かの交換を受けており、車体の改造があるものの上下共オリジナルを維持している車両としては、デハ101号が全国最古参となっています※2。(2014年現在)
上毛電気鉄道開業80年となる2008年には、全般検査を受けつつ車体のリニューアルが行われ、車内の木部の塗装を剥しニス塗りとし、灯具もグローブ付き白熱灯とし、製造当初の印象に近づける内容となっています。
また車外についても下回り等がグレーから黒塗装化され、往時の印象により近くなるものとなりました。
2014年現在、デハ101号は製造から86年目を迎え、その貴重さから「群馬県近代化遺産」の指定を受けており、加えて大胡の駅舎や電車庫,西桐生の駅舎やホーム上屋,幾つかの橋梁や変電所等が国の登録有形文化財に指定されています。
デハ104号のほうは除籍後も解体を逃れ、長らく大胡車庫で保管されてきましたが、デハ101号のリニューアルと共にかつての標準塗装である「カラシ色」に塗り直され、イベント時に車庫で展示されています。
※1
上毛電鉄には電気機関車が導入されなかったため、電車によって貨車等を牽引していた。保守用のホッパ車は,現在でもデハ101による牽引である。
現在、大胡車庫にある電気機関車デキ3021号は元東急のもので、遡れば1924年川崎車輌製の東京横浜電鉄のデキ1という、今では貴重な古典電気機関車で、晩年は東急長津田工場で入換に従事されていたものを、数々の方の尽力によって2008年に上毛電鉄に引き取られたもの。
偶然にも、デハ101号と共に1920年代初期の川崎車輌製車両の生き残りでもある。
※2
ただし、琴電1000形オリジナルの台車・主電動機は現在でも20形23号に用いられている。一方で現在100号や300号,500号の台車・主電動機は元阪神881形由来のものであるが、これもまた1941年製と貴重なものである。
軌道線では限定ながらも運用がある最古参車として阪堺モ161形があり、モ161号はデハ101号と同じく1928年川崎車輌製で車体も足回りもオリジナルを維持し、共に近年かつての姿に近い形への工事を受けている。
撮影会と題されていますが申込は不要の臨時運転で、赤城駅で側線に入れ換えたり、本線上に止めて係員の誘導で隣接する東武桐生線5050系電車と並べて撮影を可能にする等の、なかなか粋な計らいのあるイベントでした。
また、西桐生駅発車前には古澤社長のご挨拶もありましたが、その様子も収録しています。
当日の行程は、大胡から中央前橋(その1)、中央前橋から西桐生(その2)、西桐生から赤城へと行き(その3前半)、赤城で撮影会を行なった後、赤城から大胡(その3後半)へと戻る行程でした。
中央前橋から西桐生の録音(その2)はオリジナルのアナログテープから、その他の区間はバックアップのMD音源から編集しています。
テープとMD音源で音質の差がありますので、MD音源のほうをテープの特性に合わせる加工を施しましたが、同じ生テープがありませんでしたので、今回はソフトウエアによるエミュレーションで処理しています。
当時は今ほど鉄道趣味が一般化していなかったこともあり、和やかな程度の数に収まっていましたが、録音区間によっては会話が多く目立つ箇所もあり、切り詰め・誤魔化し・移植と手間がかかるものとなりました。
臨時運転故の長時間停車もありましたが、これは聴きやすいよう切り詰めています。
デハ100形は1928年の上毛線開業に際して製造・導入されたもので、1980年代に入るまでは他の電動車や付随車と共に主力として長く使われて来ました。
当初は2段窓・3扉車でしたが、戦後に1段上昇窓・2扉車化や運転台の右側化,中央前橋方の貫通化等の改造が施されており、製造当時の姿ではないものの1920年代の川崎車輌製電車の特徴を残しており、それまでの深い屋根が特徴の重厚な川崎造船所タイプから脱却したものとなっています。
一方で、製造以来の下回りは大きく変わることが無く、それでいて大変特徴的なものとなっています。
まず、台車は川崎車輌製のボールドウィンタイプの「川崎KO台車」と呼ばれるもので、一見当時主流の優雅な弓形イコライザー台車なのですが、枕バネがボールドウィンの源設計では重ね板バネのところ、コイルバネを用いている特徴的な台車です。
減衰効果が無いコイルバネではオイルダンパ等が本来必要ですが何故かそれが無く、また牽引力伝達のため擦動部品が必要になる等のデメリットもありますが、当時の川崎車輌の意欲的な設計嗜好が伺えるものとなっています。
オリジナルのボールドウィン製や他社製のスケッチ品等、多くのボールドウィンタイプの台車が失われていった中で、大変特徴的なこの台車が21世紀となった今でも臨時用とはいえ車籍を有する営業用電車に用いられているのは、偶然とはいえ貴重な存在です。
なお、製造当初は軸受部分はローラーベアリングでしたが、部品確保が困難となったため後にメタル軸受化されています。
主電動機は芝浦製作所の「SE-132B」ですが、これはウェスチングハウス(WH)※「WH-556-J6」の設計を忠実にスケッチした同一性能品です。
「WH-556-J6」(750V, 74.6kW, 985rpm) はWHの電動機としては異例の回転数の高い平坦線高速運転向きのもので、オリジナルは数多く輸入され、大手中小を問わず広く使われた輸入電動機でした。
ところが、当時の芝浦はジェネラルエレクトリック(GE)と提携関係にあり、一方で当時は三菱がウェスチングハウスと提携関係にありましたので、この「SE-132B」は提携外の異色の存在です。
※当時. 1999年までに重電を含む様々な部門が売却されたが,旧WHの交通関連部門は幾多の売却・統合を経て現在はボンバルディア傘下となっている. WHの商標はライセンス管理会社のものとなり,その名をライセンスされた東芝子会社の核関連会社等とは,(同根ではあるが)もはや関係が無い.
「WH-556-J6」の三菱でのスケッチ品は「MB-98A」主電動機ですが、定格回転数等性能の面で「WH-556-J6」に追い付けず低く設計され、同一ギヤ比では足の遅いものとなっていました。
一方で芝浦「SE-132B」のほうは「WH-556-J6」と同一スペックであり、忠実に再現したものとなりましたが、提携外の関係とはいえ芝浦がWHの仕様を忠実に再現できた背景には、当時の国内メーカー間に技術力の差があったことが伺えます。
上毛では、1980年代初頭の西武からの譲渡車により在来車の多くが廃車となる中、デハ101号は当時あった貨物輸送(石油タンク車)や保線用貨車の牽引のため※1デハ104号と共に残され、その際デハ101号は牽引力確保のため歯車比を拡大し牽引力の確保を図っています。
そのためか、音のほうは速度の割に賑やかなものとなっています。
1980年代からの定期運用はラッシュ時に限定した運用となり、1997年に定期運用から退いてデハ104号が除籍され、残るデハ101号も臨時営業や保守用車の牽引に用いられるだけになり、現在では東日本で最古参の電車となっています。
全国的に見ても、鉄道線では琴電1000形,3000形(1926年製)に次ぐ古さとなっていますが、これらは車体はオリジナルを維持しつつも台車や主電動機等の下回り品は幾度かの交換を受けており、車体の改造があるものの上下共オリジナルを維持している車両としては、デハ101号が全国最古参となっています※2。(2014年現在)
上毛電気鉄道開業80年となる2008年には、全般検査を受けつつ車体のリニューアルが行われ、車内の木部の塗装を剥しニス塗りとし、灯具もグローブ付き白熱灯とし、製造当初の印象に近づける内容となっています。
また車外についても下回り等がグレーから黒塗装化され、往時の印象により近くなるものとなりました。
2014年現在、デハ101号は製造から86年目を迎え、その貴重さから「群馬県近代化遺産」の指定を受けており、加えて大胡の駅舎や電車庫,西桐生の駅舎やホーム上屋,幾つかの橋梁や変電所等が国の登録有形文化財に指定されています。
デハ104号のほうは除籍後も解体を逃れ、長らく大胡車庫で保管されてきましたが、デハ101号のリニューアルと共にかつての標準塗装である「カラシ色」に塗り直され、イベント時に車庫で展示されています。
※1
上毛電鉄には電気機関車が導入されなかったため、電車によって貨車等を牽引していた。保守用のホッパ車は,現在でもデハ101による牽引である。
現在、大胡車庫にある電気機関車デキ3021号は元東急のもので、遡れば1924年川崎車輌製の東京横浜電鉄のデキ1という、今では貴重な古典電気機関車で、晩年は東急長津田工場で入換に従事されていたものを、数々の方の尽力によって2008年に上毛電鉄に引き取られたもの。
偶然にも、デハ101号と共に1920年代初期の川崎車輌製車両の生き残りでもある。
※2
ただし、琴電1000形オリジナルの台車・主電動機は現在でも20形23号に用いられている。一方で現在100号や300号,500号の台車・主電動機は元阪神881形由来のものであるが、これもまた1941年製と貴重なものである。
軌道線では限定ながらも運用がある最古参車として阪堺モ161形があり、モ161号はデハ101号と同じく1928年川崎車輌製で車体も足回りもオリジナルを維持し、共に近年かつての姿に近い形への工事を受けている。
元東武3050系のデハ350形です。デハ357の旧番号はモハ3563でした。
東武3000系列は、戦前製の雑多な旧形車を整理し車体を更新したものです。
そのうち、3000系は主電動機に英国イングリッシュ・エレクトリック「デッカー」DK-91Bを使用した「32系」、3050系は日立HS-266系の「54系」、3070系(初代5000系)は東洋電気製造TDK528系の「53系」を種車とし、8000系に類似した18m・3扉の車体に更新したものです。
上毛電鉄には、東武から3000系の譲渡を受け、これを「デハ300形」とし旧西武の17m車を置き換えたものの、僅か5年後には旧3050系の「デハ350形」に置き換えられます。
これらは上毛電鉄への入線に際して客室内への車掌用扉開閉スイッチの取付を行ない、塗装も赤城駅での誤乗防止の観点から、デハ300形は独自の派手な塗装が、デハ350形については東武時代の帯塗装の色違いとしていました。
しかし、元が戦前製旧形車の機器流用車ということもあり急速に老朽化したことから、1998年より元京王電鉄3000系の700形電車に置き換えられ、全廃されています。
主電動機 日立HS-266A(110kW)/歯車比2.95 , 制御装置 日立MCH-200D(主幹制御器M8-D)
東武3000系列は、戦前製の雑多な旧形車を整理し車体を更新したものです。
そのうち、3000系は主電動機に英国イングリッシュ・エレクトリック「デッカー」DK-91Bを使用した「32系」、3050系は日立HS-266系の「54系」、3070系(初代5000系)は東洋電気製造TDK528系の「53系」を種車とし、8000系に類似した18m・3扉の車体に更新したものです。
上毛電鉄には、東武から3000系の譲渡を受け、これを「デハ300形」とし旧西武の17m車を置き換えたものの、僅か5年後には旧3050系の「デハ350形」に置き換えられます。
これらは上毛電鉄への入線に際して客室内への車掌用扉開閉スイッチの取付を行ない、塗装も赤城駅での誤乗防止の観点から、デハ300形は独自の派手な塗装が、デハ350形については東武時代の帯塗装の色違いとしていました。
しかし、元が戦前製旧形車の機器流用車ということもあり急速に老朽化したことから、1998年より元京王電鉄3000系の700形電車に置き換えられ、全廃されています。
主電動機 日立HS-266A(110kW)/歯車比2.95 , 制御装置 日立MCH-200D(主幹制御器M8-D)
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