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南部縦貫鉄道 南部縦貫鉄道
南部縦貫鉄道の走行音録音です。

南部縦貫鉄道キハ100形
南部縦貫鉄道キハ10形.

オレンジとベージュに白い線は一見国鉄気動車風にも見えるが,開業時に京成電鉄の資本が入っていたことから,当時の京成赤電塗装に準じたもの.
後に京成の資本は撤退しているものの,廃止まで京成赤電塗装を堅持していた.

撮影:MT 1995年7月
(画像調整済)


南部縦貫鉄道キハ10形 レールバス
南部縦貫鉄道キハ10形.

撮影:MT 1995年7月
(画像調整済)
 青森県内にあったローカル私鉄の中では比較的新しく、開業は1962年、千曳(ちびき)-七戸間が開業。
 開業時の車両には、路線廃止まで同社の顔ともなったキハ10形レールバス2両と、貨物用45トン級のディーゼル機関車が用意されています。
 開業時点では国策企業による「むつ製鉄」向け砂鉄輸送を見込み、旅客輸送の需要はそれほど考慮していなかったことが伺えます。

 しかし、目的としていた貨物輸送は「むつ製鉄」の事業化断念により、早くも1965年には会社更生法を申請し事実上倒産。以後20年以上更生会社のまま存続します。
 さらに1968年5月16日には三陸沖北部が震源とした「十勝沖地震」が発生。被害は青森県東部に集中し、南部縦貫鉄道でも32箇所にも及ぶ被害が発生しています。
 その頃、東北本線複線化工事に伴い接続駅でもあり貨物の連絡駅でもあった千曳駅が移転することもあり、東北本線の旧線を借り受け、復旧と同時に旧線を利用して野辺地駅への乗り入れが開始されています。

※青森県内では、他に「南部鉄道」(尻内-五戸)が壊滅的被害を受け、復旧を断念し廃止されています。マスメディアで「南部縦貫鉄道」を「南部鉄道」と略したり誤記する例がありますが(特に休止関連記事)、正確には別会社の名称であり誤用です。
なお、会社としての「南部鉄道」は後に現在の「南部バス」となっています。


 収入の60%を占めていた貨物営業も1984年に廃止。その後は鉄道として存続していることが奇跡的ともいえるほどの状態でしたが、これは東北新幹線の青森延長時に七戸地区に出来る駅からの連絡輸送を、さらには七戸-十和田間(12km)をも開業させる目論見があったとも言われています。
 その新幹線も1988年にミニ新幹線方式に政治決着。1997年1月に株主総会で廃止を決議。同年5月廃止となるところ、急遽ファンが多数訪れたこともあり休止に変更しています。
 新幹線は1998年に一転してフル規格での建設が決まり、新幹線連絡構想が実現するかのように思われましたが、復活を断念。新幹線新青森開業を待たずに路線は2002年に正式廃止されました。

 会社としての南部縦貫鉄道は、その後社名を「南部縦貫」とし、鉄道廃止前から行なっていたタクシー事業を行なっています。
 鉄道休止直前に当地を訪れたファンによると、レールバスに乗せ切れなくなった乗客を、携帯電話で手配した自社タクシーで「代行輸送」したこともあったそうです。

[参考]2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) 沿線の震度
野辺地町 5弱
東北町 5強
七戸町 5弱





南部縦貫鉄道キハ10形 レールバス
南部縦貫鉄道キハ10形.

国鉄キハ10000形が「簡易な鉄道車両車体」であったのに対し,バス車体を手掛ける富士重工製レールバスは,まさに当時のバス車体そのもので,窓上部がゴム支持の「バス窓」も,そのまま用いられた.
バス車体故に長い耐用年数は考慮されていなかったが,結局廃止まで35年も運用されたことは特筆すべきだろう.

キハ10形登場から20年後,富士重工は閑散非電化私鉄向けに,当時のバス車体設計を応用した第二世代形レールバス「Le-Car」を開発.特に国鉄・JR線から転換された第三セクター鉄道で多く導入されたが,これらもバス車体故に老朽化が進行し,営業用で稼働するものは2012年現在,
2軸車は紀州鉄道の2両,ボギー車は樽見鉄道,いすみ鉄道,わたらせ渓谷鉄道の計9両のみとなった.

撮影:MT 1995年7月
(画像修正・調整済)


キハ10形レールバス車内
キハ10形レールバス車内.
車内もバスそのものである.

撮影:MT 1992年2月
(画像修正・調整済)


キハ10形レールバス運転台
キハ10形レールバスの運転台.
機械式変速機のため,右側に変速レバーがある.

撮影:MT 1992年2月
(画像修正・調整済)


南部縦貫鉄道 キハ10形 キハ102
野辺地-七戸 1997年2月22日録音 約38分

録音/DS 編集/TH 2011年編集作品
©DS/TH


 南部縦貫鉄道の「顔」ともいえるのが、このキハ10形レールバスでしょう。
 DS様による録音をご提供いただきました。

 日本での最初の「レールバス」は、西ドイツ「シーネンオムニバス」を範にとり、2軸の小型車体を備えた国鉄キハ10000形(後のキハ01形)が東急車両製造の手により製造されていますが、鉄道車両と共にバス車体も手掛ける富士重工業(現・SUBARU)においても、私鉄向けに同社得意のバス車体設計を流用した独自のレールバスを開発。それが、このキハ10形です。

 1960年代のバス車体そのものといった丸みのある車体に、「バス窓」と呼ばれる上段ゴム固定式の窓、下段の窓枠もバス用、エンジンや変速機といった機器関係もバス用のもの用いたそれは、国鉄キハ10000形よりも徹底し、まさに「レールバス」の名のとうりのものです。
 富士重工は1959年に北海道の羽幌炭坑鉄道へこのレールバスを納入。続いて1962年に南部縦貫鉄道に2両納入したものです。

 しかし、レールバスは全長が10m程度で定員も少なく、変速機も機械式であるため多客時の重連運転には運転士が2名必要になるなど、特に国鉄においては輸送力の少なさは致命的で、早期に一線から退き廃車されていますが、南部縦貫においては路線が存続していたこと自体が奇跡的とも言うくらい旅客需要そのものが大変少なく、路線休止まで実に35年間も運用されています。

 さて、このキハ10形ですが、日本においては最後の営業用機械変速式気動車でもありました。
エンジン制御とブレーキは他の鉄道車両と同様に手で操作するものの、クラッチ(左足)とシフトレバー(右手)を操作し加速していくそれは自動車と同様のもので、録音にもありますように走り出しの様子は、まさに自動車そのものです。
 サスペンションも当時のバスと同様、重ね板バネで乗り心地は硬く振動もあまり吸収しないもののようで、加えて極限まですり減った軌道もあって走り出せば振動ノイズだらけの状態。録音でも否応が無しにその様子が記録されています。

 エンジンは日野DS90で、エンジンについての資料が極めて少ないので推測になりますが、バス用横型エンジンのようです。
 しかし、このエンジンは1950年代のもの。よく20世紀末まで持ったものだと思いきいや、英語でgoogle検索してみると、世界にはこのエンジンのアフターパーツ(ピストンリング,バルブ,シリンダーライナー)をカタログに載せている所もあり、どうやらこのエンジンは今でも世界のどこかで使われているようです。

【キハ10形 キハ102】
製造年 1962年7月
製造所 富士重工業
竣工年月日 1962年10月15日
全長 10,296mm / 全高 3,165mm / 全幅 2,600mm
自重 9.5トン
定員 60名(座席27名)
エンジン 日野DS90 (排気量 7,014cc / 連続定格 106PS 2000rpm) x1
※株式会社リケン PISTON RING SET SIZE LIST vol.17より (海外向け資料)


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