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総武流山電鉄 (現・流鉄)
総武流山電鉄(現・流鉄)の走行音録音(鉄道サウンド)です。

初代「若葉号」
初代「若葉号」クモハ1208以下3両.

撮影:TH 1999年6月22日 流山駅
(フィルム撮影・画像調整済)


2代目「若葉号」
2代目「若葉号」クモハ3002以下3両.

1999年,初代と入れ替わり元西武101系の2代目「若葉号」が入線.
しかし,2011年の3両編成運転廃止に伴い廃車となり,「若葉」の名を冠した編成は暫く無かったが,2012年12月から元西武新101系の2両編成(5004F)が3代目「若葉号」となっている.

撮影:TH 2007年11月4日
流山駅 (公開時撮影)
(画像修正・調整済)


流山線路線図
流山線路線図
撮影:TH
(画像修正済)
戦後西武鉄道「質より量」時代の車両達の最後の地「流山線」

 総武流山電鉄、通称「流鉄」(後に現在の社名にもなる)は千葉県流山市と松戸市の馬橋を結ぶ全長5.7キロの小私鉄。駅の数は7つもあり首都圏近郊私鉄らしいように見えますが、交換設備のある駅は途中の小金城址のみので、その他の途中駅は1線1面というローカル私鉄と同じシステムが都心から1時間もかからない所にあるという、なかなかほのぼのとした路線でもあります。

 常磐線各駅停車の馬橋駅に降り立つと、快速線を隔てて小さな流山線のホームがあります。JR線横に小さな小私鉄ホームがあるのは地方のローカル線ではよくありそうな構図ですが、異なるのは10両編成の地下鉄電車や15両編成の常磐線快速電車がその横を走っていることです。地下鉄乗り入れもある名うての複々線重通勤路線と小さなローカル私鉄線という面白いギャップが、ここにはあります。

 流山線の車両は30年ほど前は古豪車両で占められていましたが、1980年代から西武鉄道から中古車購入で一掃されます。そのときから新たに導入された電車は各編成毎に愛称が付けられて、塗装も編成毎に異なるものとなっています。

 この時の西武鉄道からの中古車は釣掛駆動の非冷房車でした。終戦直後の西武鉄道は郊外沿線の急激な発展により輸送力増強が急務となっていたため、他社が新方式の高性能車を続々作り出していたのに対して、中古の国鉄電車や、新造車両も旧形の国鉄制式部品を活用・統一し、車両を増やしていくという「質より量」の傾向でした。このため西武から各私鉄へ譲渡される車両も1980年代末頃までは釣掛電車で占められていました。
 流山線はその中でも旧西武の釣掛電車が比較的最近まで多く残っていた路線です。

 車両そのものは戦後製とはいえ、使っている部品は戦前からの国鉄制式品、中には20世紀初頭の台車もあって老朽化どころか部品の確保も危うくなり、1990年代初頭から、これもまた西武鉄道からのカルダン駆動・冷房付きの中古車に交代していきます。1999年6月に「若葉号」(最後の旧型3両編成) が、そして2001年5月20日には最後まで残っていた「あかぎ号」が引退。これにより流山線は電化当初から続いた釣掛駆動車が消滅し、全車冷房化されることとなります。

初代「若葉号」1200形
初代「あかぎ号」1300形
初代「あかぎ号」1300形最終運転列車(2001年5月20日)

[参考]2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
沿線市町の震度(本震)

松戸市:5弱 流山市:5弱

首都圏の鉄道線では最も運転再開が早く、11日16時20分に運転を再開した。(国土交通省資料による)

※軌道の都電荒川線でも、11日16時過ぎには運転を再開している。(当方調べ)



最終日の「あかぎ号」馬橋駅
最終運転日「惜別」ヘッドマークとなった初代「あかぎ号」
撮影:TH 2001年5月20日 馬橋駅

総武流山電鉄 初代「あかぎ号」1300形 クモハ1301 最終運転列車
馬橋→流山 2001年5月20日録音 約17分

録音・編集・プロデュース/TH 2001年編集作品
©TH


 2001年5月20日の最終運転列車の模様です。

 珍しく駅案内放送もあったり、車内放送も「あかぎ号最後の運転」であることを強調した内容で、記念入場券完売御礼までやっています。

 さすがに混雑していましたので立って録音しています。扇風機からの風があたったり会話が多かったり、また馬橋発車直後、隣の常磐快速線下り列車と並行してしまったりしていますが、こればかりはご勘弁ください。

 馬橋駅入線から始まって流山到着後の転線の模様までを入れています。




流山駅停車中の「あかぎ号」
初代「あかぎ号」クモハ1301

1300形引退後,長らく「あかぎ」を名乗る編成は無かったが,2012年3月に元西武新101系の2両編成(5003F)が2代目「あかぎ」となり,12年ぶりの復活となった.

撮影:TH 2000年10月8日 流山駅


小金城祉駅付近を走るあかぎ号
小金城祉駅付近を走る初代「あかぎ号」.
撮影:TH 2001年


総武流山電鉄 初代「あかぎ号」1300形 クモハ1301
馬橋-流山(3往復) 2001年5月11日録音 合計約72分

録音・編集・プロデュース/TH 2020年 新編集版
©TH


 初代「あかぎ号」引退直前となった2001年5月11日収録の走行音です。

 2001年編集版では1往復のみ公開でしたが、その後の録音データもありましたので3往復分を新たに編集して合計約72分の録音番組としました。
 最初の1往復目は、2001年公開版と同じ録音のものです。
 この日は天気が不安定で雷を伴った雨があり、馬橋出発直前に雷鳴がありますが録音にはそれも入れてみました。
雨はそれほど強くないものでしたので、空転は平和台発車時以外ありませんでした。

 残りの2往復は気温も下がり扇風機も止まりましたので、すっきりした録音になっています。






あかぎ号最後の夜
初代「あかぎ号」最後の夜運用.
この翌日に最終運転となった.

撮影:TH 2001年5月19日 流山駅
(画像調整済)



総武流山電鉄 初代「あかぎ号」1300形 クモハ1301 最後の夜運用
馬橋-流山(往復) 2001年5月19日録音 約24分

録音・編集・プロデュース/TH 2001年編集作品
©TH


 引退前日の、2001年5月19日の夜に収録した走行音です。
 この夜の運転が、最後の夜の運行となりました。



さよならヘッドマークを付けた「あかぎ」「あかぎ号」クモハ1301の車内
左/さよならヘッドマークを付けた初代「あかぎ」○
右/初代「あかぎ号」クモハ1301の車内☆


車内掲出の「ごあんない」 車内掲出の「あかぎ号」データ
左/車内掲出の「ごあんない」○
右/車内掲出の初代「あかぎ号」データ。制御器,モーターは戦前の国鉄制式品 ○


クモハ1301の製造銘板 FS40台車 馬橋駅
左/クモハ1301の製造銘板 ☆
右/FS40台車 馬橋駅 ○


○印 2001年5月11日 撮影/TH
☆印 2000年10月8日 撮影/TH
クリックすると拡大画像がご覧いただけます。



初代「若葉号」
初代「若葉号」クモハ1209

流山駅2番線は頭端式ホームで,朝ラッシュ時のみ使用していた.

初代「若葉号」は元西武鉄道の501系で,1981年に流山に譲渡されている.
クモハの台車はTR25系だが,西武時代に枕バネを重ね板バネから空気バネに改造されており,縦方向の乗り心地は格段に改善されているものの,左右にゆっくりと大きく揺れるのが特徴的であった.

撮影:TH 1999年6月22日 流山駅
(フィルム撮影・画像調整済)
総武流山電鉄 初代「若葉号」1200形 クモハ1208 クモハ1209
馬橋-流山(クモハ1208) 流山-馬橋(クモハ1209) 1999年6月22日録音 約25分

録音・編集・プロデュース/TH 1999年編集作品
©TH


 釣掛駆動車の中で最後の3両編成となったのが、若草色の3両編成の電車、初代「若葉号」です。3両編成は朝のラッシュ時のみの運用であったため、この録音は早起きをし出勤前に収録したものです。

 いずれも運転台直後の座席での録音です。扇風機が全開バリバリで動いているので停車中はその音も入っていて、そのおかげで若干風の影響も受けていますが、その点はご容赦ください。



左/サハ65車内.サハのみ半鋼製である.
右/クモハ1208の車内


左/「若葉」のエンブレム.
右/クモハ1208サイドビュー.


左/クモハ1208運転台.
右/クモハ1208車内.大きな床の点検蓋は釣掛車の特徴である.


左/馬橋駅ホーム.留置中の初代「若葉」号
右/流山線馬橋駅ホーム.JRホームに比べるとローカルムード満点である.

以上8枚 1999年6月22日 撮影/TH
(フィルム撮影)

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制作・著作 Copyright © 1995 Toru Hirose (Stream Express)
from TOKYO, JAPAN.

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