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茨城交通・ひたちなか海浜鉄道 茨城交通・ひたちなか海浜鉄道の走行音録音です。 |
録音一覧
キハ11形
初の液体式量産気動車である旧国鉄キハ10系の最後の残存営業車となった茨城交通※キハ112ですが、2004年に廃車が発表されるものの、2007年10月14日開館の「鉄道博物館」(さいたま市)への展示保存が決定され、2005年1月に搬出。JR郡山総合車両センターにて修復作業が行なわれ、動態で展示保存される運びとなりました。
※2008年4月より鉄道線は「ひたちなか海浜鉄道」に移管
エンジンは180PS/1500rpmのDMH17Cで、変速機は変速1段・直結1段のDF-115とTC-2が使用されていますが、DMH17系エンジンとの組合せは、後の国鉄一般型気動車の標準的なものとなっています。
【参考】国鉄キハ11形諸元
製造年/1955年〜1956年
製造所/新潟鉄工所(1〜16,101〜111),東急車両(17〜33),帝国車両(34〜47,54〜58),富士重工(48〜53,59〜63)
全長/20.0m 全幅/2.758m 重量/30.6〜31.8トン
定員/88名(座席74名)
機関/DMH17C ディーゼルエンジン (180PS/1500rpm) ※
変速機/TC2またはDF115液体変速機
台車/動台車:DT19 従台車:TR49
制動装置/DA1A 自動空気ブレーキ
最高速度/95km/h
※当初はDMH17B.後にC形化あるいは換装.
【キハ112】
竣工日: 1956年8月8日 (旧番号:国鉄キハ48035→キハ11 25)
製造所: 東急車両製造
新製配置区(国鉄): 国鉄水戸鉄道管理局 水戸機関区真岡支区 (水モウ)
最終配置区(国鉄): 国鉄水戸鉄道管理局 水戸機関区真岡支区 (水モウ)
廃車年月日(国鉄): 1980年4月17日 ※1
認可年月日(茨交): 1980年8月16日 (キハ112)
廃車年月日(茨交): 2005年1月30日
現: 鉄道博物館 キハ11 25 (動態保存) ※2
※1 実際に茨城交通へ搬出したのは1980年2月28日、到着は1980年2月29日。
※2 2005年1月29日茨城交通より搬出、2005年1月31日郡山総合車両センター着、2007年6月4日鉄道博物館へ搬入。
※2008年4月より鉄道線は「ひたちなか海浜鉄道」に移管
エンジンは180PS/1500rpmのDMH17Cで、変速機は変速1段・直結1段のDF-115とTC-2が使用されていますが、DMH17系エンジンとの組合せは、後の国鉄一般型気動車の標準的なものとなっています。
【参考】国鉄キハ11形諸元
製造年/1955年〜1956年
製造所/新潟鉄工所(1〜16,101〜111),東急車両(17〜33),帝国車両(34〜47,54〜58),富士重工(48〜53,59〜63)
全長/20.0m 全幅/2.758m 重量/30.6〜31.8トン
定員/88名(座席74名)
機関/DMH17C ディーゼルエンジン (180PS/1500rpm) ※
変速機/TC2またはDF115液体変速機
台車/動台車:DT19 従台車:TR49
制動装置/DA1A 自動空気ブレーキ
最高速度/95km/h
※当初はDMH17B.後にC形化あるいは換装.
【キハ112】
竣工日: 1956年8月8日 (旧番号:国鉄キハ48035→キハ11 25)
製造所: 東急車両製造
新製配置区(国鉄): 国鉄水戸鉄道管理局 水戸機関区真岡支区 (水モウ)
最終配置区(国鉄): 国鉄水戸鉄道管理局 水戸機関区真岡支区 (水モウ)
廃車年月日(国鉄): 1980年4月17日 ※1
認可年月日(茨交): 1980年8月16日 (キハ112)
廃車年月日(茨交): 2005年1月30日
現: 鉄道博物館 キハ11 25 (動態保存) ※2
※1 実際に茨城交通へ搬出したのは1980年2月28日、到着は1980年2月29日。
※2 2005年1月29日茨城交通より搬出、2005年1月31日郡山総合車両センター着、2007年6月4日鉄道博物館へ搬入。
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キハ112車内. 内装は耐火ベニヤ板に防火塗料を塗布,座席は客車のよりもやや小さく,肘掛け省略と計量化のため簡素化されている. 床はアスファルト系床材を貼り,裏面に防火加工を施した耐水フェルトを糊付けしたものであった. 室内灯は当初は白熱球で,後に蛍光灯化されている. 撮影:TH 2002年5月6日 |
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キハ112の運転台(阿字ヶ浦方). 撮影:TH 2002年5月6日 |
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キハ112のDMH17Cエンジン. 撮影:TH 2003年9月13日 那珂湊機関区 (許可を得て撮影) |
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キハ112のDMH17Cエンジン. 変速機はTC-2と思われる. 撮影:TH 2003年9月13日 那珂湊機関区 (許可を得て撮影) |
キハ20形
首都圏唯一の元国鉄キハ20形の稼働車となるキハ205を、それぞれ車内の台車上付近とエンジン直上から録音したものです。エンジン直上の録音は、最初の2分間程度アイドリング音が続きます。
さて、国鉄時代のローカル線の顔とも言えるキハ20系気動車は、準急用気動車キハ55形で導入された軽量車体設計を導入し、一般用として造られたものです。
キハ20系登場以前に造られた一般形気動車キハ10系では、非力なDMH17Bを用いることから客車なみの大きさの車体にすることができず、小断面の車体を採用し且つ座席・台車等は乗り心地を犠牲にしてまでの軽量化設計により、ようやく実用できる性能にありました。
その後、一般形客車ナハ10形による軽量車体技術の確立により、大型車体でも軽量化を図れることになり、これを応用した準急用気動車キハ55形の設計に準じた一般用気動車として造られたのが、キハ20系と呼ばれる一般型気動車です。
当初はバス窓車体に枕バネがゴムブロックなDT19C/TR49A台車、エンジンはDMH17Bという、キハ10系をほぼそのまま軽量大型車体にしたものでしたが、後に車体は電車と同様の二段上昇式窓,台車も101系電車のDT21系を気動車向けに改良したDT22A/TR51Aに、エンジンも180PSに強化したDMH17Cと改良されていきます。
北海道向けを含め数多くの形式が造られたほか、非電化私鉄でもキハ20系と同様の自社発注車を造るなど、1970年代を中心に日本のローカル線気動車の標準を確立した車両になっていきます。
キハ205は、国鉄キハ20形の最終製造グループに属する500番台車の最終製造車キハ20 522で、国鉄,JR西日本から岡山県の水島臨海鉄道を経て1996年1月に茨城交通へと譲渡されたものです。
茨城交通では、標準化を図り且つ安定して寿命の長い車両を求めて、廃止になった他私鉄の同系設計車も含めてキハ20系を購入し主力としてきました。近年では過半が新型車両に置き換えられたものの、現在も4両が稼働し首都圏内では唯一のキハ20系運用路線でもあります。
譲渡後は茨城交通色でしたが、その後同鉄道の売りとなった国鉄色塗り替え化で国鉄気動車色に「復元」。色の履歴だけでも、国鉄気動車色→国鉄気動車首都圏色→JR西日本加古川色→水島臨海旧色(=国鉄気動車色)→茨城交通色→国鉄気動車色と変化に富み、今は鉄道博物館で保存されているキハ 112(元国鉄キハ11)との組合せは国鉄全盛期を彷彿とさせる渋い組合せでもありました。
【キハ205】
竣工日: 1965年9月3日 (国鉄キハ20形 キハ20 522)
製造所: 帝国車両
新製配置区: 国鉄仙台鉄道管理局 小牛田機関区 (仙ココ)
転属: 国鉄盛岡鉄道管理局 一ノ関機関区 (盛イチ)
転属: 1984年2月5日 国鉄大阪鉄道管理局 加古川気動車区 (大カコ)
転属: 1986年11月1日 国鉄大阪鉄道管理局 姫路機関区(大ヒメ)
継承: 1987年4月1日 JR西日本 姫路 (大ヒメ)
廃車(JR): JR西日本 姫路 (大ヒメ?) ※JR西日本時代の経歴がよく判っていません(TH)
竣工日(水島): 1990年3月 水島臨海鉄道 キハ20形 キハ210
冷房改造: 1990年5月
廃車(水島): (調査中)
竣工日(茨交): 1996年1月 茨城交通 キハ200形 キハ205
ワンマン化改造: 1996年8月
継承: 2008年4月1日 ひたちなか海浜鉄道
さて、国鉄時代のローカル線の顔とも言えるキハ20系気動車は、準急用気動車キハ55形で導入された軽量車体設計を導入し、一般用として造られたものです。
キハ20系登場以前に造られた一般形気動車キハ10系では、非力なDMH17Bを用いることから客車なみの大きさの車体にすることができず、小断面の車体を採用し且つ座席・台車等は乗り心地を犠牲にしてまでの軽量化設計により、ようやく実用できる性能にありました。
その後、一般形客車ナハ10形による軽量車体技術の確立により、大型車体でも軽量化を図れることになり、これを応用した準急用気動車キハ55形の設計に準じた一般用気動車として造られたのが、キハ20系と呼ばれる一般型気動車です。
当初はバス窓車体に枕バネがゴムブロックなDT19C/TR49A台車、エンジンはDMH17Bという、キハ10系をほぼそのまま軽量大型車体にしたものでしたが、後に車体は電車と同様の二段上昇式窓,台車も101系電車のDT21系を気動車向けに改良したDT22A/TR51Aに、エンジンも180PSに強化したDMH17Cと改良されていきます。
北海道向けを含め数多くの形式が造られたほか、非電化私鉄でもキハ20系と同様の自社発注車を造るなど、1970年代を中心に日本のローカル線気動車の標準を確立した車両になっていきます。
キハ205は、国鉄キハ20形の最終製造グループに属する500番台車の最終製造車キハ20 522で、国鉄,JR西日本から岡山県の水島臨海鉄道を経て1996年1月に茨城交通へと譲渡されたものです。
茨城交通では、標準化を図り且つ安定して寿命の長い車両を求めて、廃止になった他私鉄の同系設計車も含めてキハ20系を購入し主力としてきました。近年では過半が新型車両に置き換えられたものの、現在も4両が稼働し首都圏内では唯一のキハ20系運用路線でもあります。
譲渡後は茨城交通色でしたが、その後同鉄道の売りとなった国鉄色塗り替え化で国鉄気動車色に「復元」。色の履歴だけでも、国鉄気動車色→国鉄気動車首都圏色→JR西日本加古川色→水島臨海旧色(=国鉄気動車色)→茨城交通色→国鉄気動車色と変化に富み、今は鉄道博物館で保存されているキハ 112(元国鉄キハ11)との組合せは国鉄全盛期を彷彿とさせる渋い組合せでもありました。
【キハ205】
竣工日: 1965年9月3日 (国鉄キハ20形 キハ20 522)
製造所: 帝国車両
新製配置区: 国鉄仙台鉄道管理局 小牛田機関区 (仙ココ)
転属: 国鉄盛岡鉄道管理局 一ノ関機関区 (盛イチ)
転属: 1984年2月5日 国鉄大阪鉄道管理局 加古川気動車区 (大カコ)
転属: 1986年11月1日 国鉄大阪鉄道管理局 姫路機関区(大ヒメ)
継承: 1987年4月1日 JR西日本 姫路 (大ヒメ)
廃車(JR): JR西日本 姫路 (大ヒメ?) ※JR西日本時代の経歴がよく判っていません(TH)
竣工日(水島): 1990年3月 水島臨海鉄道 キハ20形 キハ210
冷房改造: 1990年5月
廃車(水島): (調査中)
竣工日(茨交): 1996年1月 茨城交通 キハ200形 キハ205
ワンマン化改造: 1996年8月
継承: 2008年4月1日 ひたちなか海浜鉄道
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キハ205車内. 軽量設計車体で大型化が図られ,客車なみの座席空間が確保されている. 元キハ20 500番台車であるキハ205は当初から蛍光灯. 冷房は水島臨海時代に施工. 右側手前と左側奥のクロスシートが各4席分取り外され,ロングシートになっている. 撮影:TH 2002年5月6日 |
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キハ205の運転台. ワンマン対応機器が追設されている. 撮影:TH 2002年5月6日 |
キハ20関連の台車
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DT22A台車. キハ20のほか,多数の国鉄気動車で用いられた標準品. 電車用DT21系台車の気動車版だが,側受や枕バネ吊の寸法・形状が異る. 撮影:TH 2007年11月3日 関東鉄道 水海道車両基地 (一般公開時に撮影) (画像修正済) |
参考文献については、こちら をご覧ください。
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