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JR東日本
JR東日本と、旧国鉄の現JR東日本エリアでの走行音録音のストリーミング配信です。
※東京,東京東,東京西,東京南,長野,新潟,仙台,秋田,盛岡の各鉄道管理局管内

ここに掲載しているほかに、JR東日本の走行音は以下の特集ページにもあります。


仙石線103系
クハ103-583以下4両.
(録音の編成ではありません)

撮影:TH
2003年1月28日 あおば通駅
(画像調整済)
JR東日本 仙石線 103系 モハ102-365
特別快速「うみかぜ」 あおば通-石巻 2003年1月18日録音 約55分

録音・編集・プロデュース/TH 2012年編集作品 2014年調整版 2013年法改正対応版
©TH


 モハ72系の置き換え用として1978年より仙石線に投入された103系ですが、JR化後も首都圏各線から捻出された103系に仙石線独自の更新を施し、国鉄時代に投入された103系老朽車を淘汰しています。

 国鉄時代からの仙石線103系は既存のドアエンジン・機構・回路を活かすため、プレート状部品を組み込んで開扉時には機構が空回りすることでドアが自動では開かないようにしつつ解放され手動で開け閉めできるようにし、開かれた扉はプレートが押し回ることで動き締め切るというもので、回路に手を付けずに半自動化を実現したアイデアものの仕組みでした

※このため、回路の選択ができず通年半自動扱いとなったが、モハ72系時代もそうであり、ボタン式となった今も冷暖房対策で通年半自動扱いとなっている。
空回り機構があるからといっても左右両扉連動の103系ではそれなりに重く、勝手知った乗客の中には両手で押し広げたり足で片方の扉を蹴り動かす等して負担を軽くするものも居た。
一方、103系同様の車体に更新されたモハ72系970番代(後の103系3000番代)は、回路そのものを全自動・半自動扉切替対応とするため115系と同様のドア機構(TK-8)となり、エンジン取付も鴨居部になっている点が103系オリジナルとは異る。扉も左右連動ではなく独立して動くのも115系同様である。


 JR化後の更新車ではドアのボタン操作による半自動化、ドア窓の大型化、袖仕切り形状等に仙石線独自の内容が盛り込まれ、後に扇風機の撤去→ヒーター取付、通風器撤去・換気口閉鎖、補助電源のSIV化(455系SIV車と共通)、空気圧縮機のスクリュー式化等も行なわれています。
 あおば通駅発車間際に「シューー」という空気の抜ける音がありますが、このスクリュー式のものは圧縮完了間際にこのような音が出るだけで殆ど動作音が無いものです。
 同様に発車間際に「ヒョーーン」という音がしますが、こちらはSIVからのものと思われ(455系SIV車でもこの音がした)、モハ102形ならではのC2000空気圧縮機の「ガリガリ」「ドコドコ」といった音や、210kVA MGの回転音が全くありません。
 そのおかげで、駅停車中はモハ103形の主抵抗器冷却ファンか冷房の音がするだけで、あおば通駅等の折り返し駅では時間が長い場合は主抵抗器冷却ファンも止まるので、冬場は1000番台や1200番台以上に静かなものでした。

※1000番台,1200番台は主抵抗器は「電熱器」「熱風電車」「鉄板焼き電車」の名の由来ともなった冷却ファン無しの自然冷却式. 非冷房時代は20kVA MGだったのでそれなりに音がしたが, 冷房改造後はAU75化車が210kVA MGへ交換, AU712化車がSC24 SIV電源の追加設置となった. 空気圧縮機はC2000でJR化後低騒音化されているものの, ドコドコ音がするのは相変わらずであった.

 また、JR化後に首都圏配置で更新工事を受けた車両の一部が仙石線へ転属したものもありますが、こちらは首都圏更新車の内容そのままに、仙石線で必要な半自動ドアボタンの設置や下窓の固定化等、最小限の改造に留まっています。車両不足時や転属してきた首都圏更新車を夏期の冷房使用期間中に先行使用するため、首都圏仕様の103系がそのまま用いられたことも度々あり(「東京近郊区間路線図」をそのまま貼っていたものもあった)、その色も本来のスカイブルー以外に様々なものがありました。

※なお、国鉄時代に車両不足による応援で101系1000番台が一時仙石線に貸出されているが、仙石線での性能要求上オール電動車で組成されたため消費電力も増え、また全自動ドアのため、「どうしても使わなければならなくなった」際、且つラッシュ時にだけ運用されていたとのことである。
スペック通りであれば仙石線史上最も加減速に優れた車両になったのであろうが、実際には限流値を調整せずには使えないので、性能的には103系よりも抑えられていたのかもしれない。


 2000年3月の仙台-陸前原ノ町間の地下化及び「あおば通駅」延長開業後も、205系が投入される2002年11月までの2年弱の間は全て103系で運用されていましたが、2004年に一旦103系の運用を終了。多賀城駅高架工事に伴う予備車確保の観点から1編成(RT-235)が郡山駅構内(郡山総合車両センター最寄)に長期間留置され、2007年に高架工事開始に伴い予備車として整備の後復帰。その際205系に合わせてトイレの設置等も行なわれ、2009年まで用いられましたが、これがJR東日本最後の営業用103系となりました。

※トイレ設置はJR東日本103系では唯一の事例。なお、1999年の河北新報記事によれば(筆者注・仙台滞在時たまたまホテルで記事を読んでいる)、行政監察局から仙石線車両へのトイレ設置の行政指導があり、これを受けて205系では仙石線転用改造時に全編成トイレ設置を行なっている。この関係で、103系(RT-235)にも設置したものと思われる。仙石線は103系や205系が運用されているものの、末端区間になると「次の電車は1時間後」ということもあり、仙台市内で飲んでから帰る場合は「いちかばちか」であった。

 さて録音のほうですが、後述の205系の録音に対する往路の録音がこの103系列車で、全区間通しの録音で特別快速運用を狙い、夕方17時台あおば通発のものであったために乗客の話声がほぼ全区間にありますが、当時は宮城野原運動公園を本拠とする問題の多い世界的マイナー競技の「興行」が無かった清廉な時代であり、年間を通じてそれを気にぜすに予定を組めた時代でしたので平和で安全,穏和なものでした。
 ただ、既に205系が多数あり機会が限られていた事もあり、多少の賑やかさはやむを得ないと割り切った録音でありましたが、震災復旧による高台移設によって旧線となった部分を含む事と103系末期の録音ということもあり、公開しています。

 急曲線区間の多い地上時代の録音と聞き比べても明らかなのは、仙台発車後は京葉線の地下区間のように飛ばしている事です。地下新トンネルは旧地上線直下ではなく宮城野原運動公園の辺りまで一直線となり急曲線も解消され、陸前原ノ町までの区間も地上時代に比べて改善されたこともあり、速度向上が図られています。

 後述の205系の録音と同様、乗客が少なくはない録音ですが、103系末期の貴重な録音ということで公開していきます。

【モハ102-365】
新製年月日:1969年3月20日
製造所:汽車会社
新製配置区:国鉄東京鉄道管理局 品川電車区(東シナ)
転属:1982年10月7日 国鉄東京南鉄道管理局 蒲田電車区(南カマ)
転属:1987年5月21日 JR東日本東京圏運行本部 浦和電車区(東ウラ)
転属:1997年7月18日 JR東日本仙台支社 宮城野電車区(仙ミノ)
収録時配置区・最終配置区:JR東日本仙台支社 宮城野電車区(仙ミノ / RT-371編成)
廃車日:2003年8月5日

※RT-371編成
←仙台 クハ103-372+モハ102-365+モハ103-210+クハ103-371 (両端クハは高運転台)

※編成全車が首都圏配置時代に首都圏の更新工事を受けており、仙石線転属では必要な設備の追加改造のみとなり、車内は首都圏更新車のままとなっていた。なお、仙石線103系の高運転台クハは長続きせず、205系との置き換えで早期に運用から外れている。


仙石線205系
クハ205-3101以下4両

撮影:TH
2003年1月28日 あおば通駅
(画像調整済)
JR東日本 仙石線 205系 モハ205-3101
特別快速「うみかぜ」 石巻-あおば通 2003年1月18日録音 約58分

録音・編集・プロデュース/TH 2011年編集作品 2014年調整版 2013年法改正対応版
©TH


 103系の取替用として首都圏の205系を改造し投入された仙石線205系ですが、全て改造先頭車により組成されており、また従前の103系と同様ボタン式半自動扉となっています。
 一部の編成はロング・クロス両用の「2WAYシート」と呼ばれる回転クロスシート仕様に改造されており、その仕組み上ドアエンジンも鴨居部取付のものに変更されています。

 その仙石線ですが、2011年3月に発生した東日本大震災により沿岸部で壊滅的被害を受け、車両では野蒜付近で1編成が津波に流され、また石巻駅では1編成が冠水する被害を受けています。

 録音は2003年に前述の103系モハ102-365の録音を行なった際、仙台に戻る205系を「これも録音しておこうかな」と録音していたものです。
 学校(部活?)帰りの女子高生の話声が多くあるものの、これが仙石線の日常の音の風景でもあり復旧を願ってこの録音を公開していましたが、2015年5月30日の全線復旧ダイヤにより高城町以遠の速達需要を「仙石東北ライン」の快速ハイブリッド気動車に置き換え、電車列車は全線にわたり各駅停車となったため「全線直通・特別快速電車」の貴重な録音となってしまいました。

 発車メロディー削除版(CR版)で公開していましたが、2016年に非削除データに戻しました。
 調整は2014年版相当のままです。
モハ205-3101/モハ204-3101】
製造:近畿車両 (モハ205-53/モハ204-53)
竣工日:1985年9月19日
新製配置区:国鉄東京南鉄道管理局 品川電車区 (南シナ)
配置区名変更:1985年11月1日 国鉄東京南鉄道管理局 山手電車区 (南ヤテ)
改造・改番:2002年10月10日 JR東日本秋田支社 土崎工場 (TZ)
転属:2002年10月10日 JR東日本仙台支社 宮城野電車区 (仙ミノ)
収録時配置区:JR東日本仙台支社 宮城野電車区(仙ミノ)
転属(配置区統合):2003年10月1日 JR東日本仙台支社 仙台電車区宮城野派出所 (仙セン)
現配置区(改称):JR東日本仙台支社 仙台車両センター宮城野派出所(仙セン / M1編成)

※収録車両・編成は、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)による津波で被災した車両・編成ではありません。
(野蒜付近で被災→M9編成.その後現地解体. 野蒜付近で被災→M16編成.2012年1月運用復帰. 石巻駅で冠水→M7編成.搬出の後,廃車解体.)


仙石線103系(地上時代の仙台駅)
地上駅時代の仙台駅に入る仙石線103系

撮影:TH 2000年撮影
仙石線 仙台駅
(フィルム撮影)
JR仙石線 103系 クモハ103-138
普通 仙台-多賀城 2000年2月13日録音 約22分

録音・編集・プロデュース/TH 2011年編集作品 2014年調整版 2013年法改正対応版
©TH


 地上駅末期の仙台からの録音です。
 当時は103系のみでしたが既に冷房更新車で占められており、塗装も最末期のものです。

 陸前原ノ町までの地上区間は、敷設当時の軍施設や寺院・公園等を避ける線形でカーブの多い区間でもありました。
レールと車輪を軋ませながら仙台駅を出ると、あまり速度を出さずに右へ左へとクネクネ曲がりながら進んでいく光景は私鉄として開業して以来のものでありましたが、この録音の翌月となる3月に地下新線(仙台トンネル)が開通し、仙台駅西方の青葉通直下に位置する「あおば通駅」が開業することになります。

クモハ103-138
製造:日本車両
竣工日:1968年2月9日
新製配置区:国鉄東京鉄道管理局 松戸電車区 (東マト)
転属:1985年5月6日 国鉄東京西鉄道管理局 豊田電車区 (西トタ)
転属:1990年11月16日 JR東日本東北地域本社 陸前原ノ町電車区(仙リハ)
転属(電車区移転):1991年3月16日 JR東日本東北地域本社 宮城野電車区 (仙ミノ)
収録時配置区:JR東日本仙台支社 宮城野電車区 (仙ミノ / RM138編成)
最終配置区:JR東日本仙台支社 宮城野電車区 (仙ミノ / RM138編成)

廃車日:2002年12月26日

JR常磐線415系
上野駅に停車中の常磐線415系
撮影:TH 2007年1月15日
JR東日本 常磐線 415系 モハ414-9
普通441M列車 上野-土浦 2006年1月15日録音 約71分

録音・編集・プロデュース/TH 2007年編集作品 2020年調整第2版 2013年法改正対応版
©TH


 2007年3月のダイヤ改正をもって上野口から撤退した、415系の走行音録音です。

 録音自体は水戸までしていますが、土浦までの分を公開しています。
 当初は発車メロディー削除版(CR版)で公開していましたが、2013年の法改正により非削除版としました。

【モハ415-9/モハ414-9
製造:日立製作所
竣工日:1974年11月7日
新製配置区:国鉄水戸鉄道管理局 勝田電車区 (水カツ)
収録時配置区:JR東日本水戸支社 勝田車両センター (水カツ / K509編成)
廃車日:2008年2月18日


常磐線E501系電車
Joban line Series "E501" E.M.U.

土浦駅停車中のE501系
土浦駅停車中のE501系
撮影:TH 2002年1月13日
E501系車内
E501系車内
撮影:TH 2002年1月13日
E501系最後の上野口営業列車
E501系最後の上野口営業運転となった,2007年3月17日の2471M土浦行列車.

撮影:TH 2007年3月17日
常磐線 佐貫
ドイツ・シーメンス社製主変換装置を採用した「ドレミファ電車」
 1995年12月、混雑の激しい常磐線普通電車の老朽車置換と体質改善などのために投入されたのがE501系です。
 車体を始めとする基本デザインは、既に登場していた209系通勤型電車をベースとしたため、常磐線普通電車としては始めての4ドア・オールロングシート・トイレ無しという通勤形車です。取手駅以南の直流1500ボルト区間と、以北の交流2万ボルト区間の双方に対応するため、通勤形としては始めての交流・直流両用車でもあります。
 通勤形ということで、従来の普通電車(415系)の青い帯の色に対し、E501系では上野駅-取手駅間運転の103系快速電車に倣って緑(エメラルドグリーン)をベースにしたものとなっています。

 この電車の最大の特徴は、ドイツ・シーメンス社製主変換装置(VVVFインバータ)の採用です。技術的には日本国内で始めてのベクトル制御に加え、空転対策にはクリープ制御方式が採用されています。
 海外メーカーブランド機器の採用ということだけでも大きな特徴ですが、それ以上に音的にも大きな特徴があります。お聞きいただければお分かりと思いますが、発車や停車の際のインバータの音が段階的に変化することです。そんなことからついたニックネームが「ドレミファ電車」や「ドレミファインバータ」。正確な「ドレミファ」ではありませんが(「ファソラシド」に近いとのこと)、これがE501系最大の特徴と言えるでしょう。

 日本ではこのほか京浜急行電鉄2100形電車にもシーメンス社製機器が採用され同様に音階を奏でていますが、京急2100形電車は発車時のみ段階的音階が出るのに対し、 E501系が停車(制動)の際にも段階的音階を奏でますので、E501系のほうが停車駅の数が同じなら2倍楽しめることになります。

 当初は常磐線普通電車の次期候補と思われていましたが、様々な事情もあり実際には10両基本編成と5両付属編成それぞれ5本づつの計75両のみにとどまっています。上野口運用があった頃は付属編成を終日連結し15両編成で運転されていましたが、時間帯によっては過剰気味でした。
 E531系投入後も上野口土浦以南の輸送力列車に用いられる予定でしたが、グリーン車連結・取手-土浦間定期旅客列車130km/h化により、土浦以北に運用が限定されています。

E501系主要諸元(製造時)
製造年/1995年〜1997年
全長20.0m(連結面間) 全幅2800mm
制御方式/VVVFインバータ制御・コンバータ制御
駆動方式/主電動機台車装架TD継手駆動(歯車比6.06)
主変換装置形式/CI3(ドイツ・シーメンス)
主電動機形式/MT70(三相交流120kW)
台車形式/電動車DT61C 付随車TR246D(短腕形軸梁式)
最高運転速度120km/h

E501系
上野駅停車中のE501系
撮影:TH 2002年2月8日
JR東日本 常磐線 E501系 モハE500-12
土浦-上野 2002年1月13日録音 約73分

録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品 2008年リマスタリング・CR版
©TH


 東急車両製モハE500-12の走行音です。終日15両編成運転で乗客が分散したのもあって、運良く静かに録音できました。

 他サイトでもE501系の音は多数公開されていますが、当サイトでは土浦-上野間全区間(13駅停車)でお送りします。但し収録日時・時間帯の都合で南千住・三河島通過列車であり、京急2100形快速特急の品川-三崎口間15駅停車(2002年当時)よりも少なくなりますが、 E501系は京急2100形と異なり制動時も音階を奏でますので、その分聴き応えがあると言えます。

モハE500-12 (K704)】
竣工日:1997年3月18日
製造所:東急車両製造
新製配置区:JR東日本水戸支社 勝田電車区 (水カツ)
現配置区:JR東日本水戸支社 勝田車両センター (水カツ)


常磐線E531系電車
Joban line series "E531" E.M.U.

JR東日本E531系
JR東日本E531系.
画像はグリーン車組込前の「全車平屋」時代のもの.

常磐線 天王台-取手間 (利根川橋梁)
撮影:TH 2006年8月31日
常磐線E531系・秋の実りのシーズン
収穫期を迎えた田んぼの中を行く,常磐線E531系.

常磐線 取手-藤代間
撮影:TH 2006年8月31日
グリーン車組込前試運転のE531系6連
6両編成で試運転を行なう,E531系新製車.
グリーン車組込計画により,先行して製造された普通車は,組込前に6連で試運転を行なっていた.

常磐線 天王台-取手間 (利根川橋梁)
撮影:TH 2006年9月5日
首都圏JR唯一・普通列車130km/h走行のスピードランナー
 老朽化した403系・415系の取り替え目的で2005年に常磐線に投入されたのがE531系です。

 「つくばエクスプレス(TX)」に対抗すべくE231系近郊形のエクステリアにE653系なみの足廻りを組合せ、JR東日本の一般形電車では初の130km/h運転を実現しています。
 上野口の特別快速のほか、当初は四ツ倉以南で415系ステンレス車やE501系と共に普通列車に用いられる予定でしたが、首都圏他線で導入された普通列車グリーン車を常磐線にも導入することとなり、計画を変更。運用も高萩以南とし取手-土浦間普通列車は全面E531系化(= 同区間旅客列車130km/h化)。E501系や415系を上野口から撤退させると同時に、捻出したそれらを水戸地区(土浦・小山-友部-原ノ町間)運用に限定させることで、遠く仙台口の運用にも影響を与えています。
(仙台-原ノ町間のE721系投入や,首都圏車と仙台圏低床車の運用分界点を原ノ町にする等)

 JRでの130km/hによる普通・快速系列車の運転は首都圏以外の地方都市では例がありますが、常磐線では既に特急列車が130km/h運転を行ない、取手以南の直流区間もE231系導入で快速電車も120km/h運転となり、TXに対抗しなければならない土浦以南は高速化が既に出来ていたとも言えるでしょう。

 結局、グリーン車連結で415系ステンレス車(100km/h車)どころかE501系(120km/h車)をも上野口から撤退させ、取手-土浦間の定期旅客列車が全て130km/h化されることになりますが、反面上野からの殆どの列車は土浦や水戸,勝田止まりとなり、早朝夜間にあった「いわき」行等長距離普通列車が消滅。さらに土浦以北は10両編成までしか対応していないため、土浦以北はグリーン車連結で普通車は8両のみになる、基本編成の高萩以北へのグリーン車営業を伴う運用が出来なくなる、あるいは土浦以北へ直通する編成が付属5両側になる列車もある等、不便になった面も出ています。

 415系やE501系等との比較改良点は、速度やグリーン車装備のほか、床面高さを1,130mmとし段差を極力解消し(但し、土浦以北の多数の駅には未だ920mm高の電車客車共用ホームが残っている)、半自動機能付扉とする等、最近のE231系やE233系にみられるJR東日本一般型電車全般の改良点が盛り込まれている他、台車にはヨーダンパが装備され、ATSは首都圏対応用のATS-Pに加え仙台圏等で使われているATS-Psも装備されています。

JR東日本E531系
常磐線佐貫-牛久間を行くE531系.
この区間は高確率で130km/hを出す区間だが,撮影時はあまりの速さに驚いた.
撮影も流して撮らないとカメラの性能が追い付かなかった.

撮影:TH 2007年3月
モハE531-2006 車内
モハE351-2006車内.
出入口部分に黄色の警戒色が配され,吊手も新形状の黒色タイプが採用されたが,荷物棚がアルミ押出材になった為,夜間は棚下部分が暗くなってしまった.

撮影:TH 2007年3月21日
E531系グリーン車車内
サロE530-8車内.
撮影日は2007年3月18日未明だが,これは17日日立発の上り最終我孫子行でのもの.
グリーン車本導入前の普通車扱いによる運転のため,棚下のSuicaリーダー確認灯が点いていない(=動作していない).

E531系グリーン車はE231系のとは異なり,韓国テグ市地下鉄火災を受けた防火基準強化により,蛍光灯カバーは金属メッシュ品に変更されている.

撮影:TH 2007年3月18日未明
JR東日本 常磐線 E531系 モハE531-2006
普通474M列車 高浜-我孫子 2007年3月21日録音 約43分

録音・編集・プロデュース/TH 2007年編集作品 2008年CR・2014年リマスタリング版
©TH


 収録区間が半端ですが、上り最終の474M列車我孫子行を石岡から乗車し録音したもの。日付から判る通り、この日鹿島鉄道を撮影・収録し帰路の常磐線車内で録音したものです。
 当日は深夜まで動いたにも関わらず、気分的にも体力的にも余裕があったせいか帰りのE531系をも録音したのですが、本気で録音したものではないため放送が一部歪んでいる等、部分的に聞き苦しい箇所がある点はご容赦ください。

 後続列車が無いこともあり、ダイヤ的には余裕があるので130km/hを連続して出す場面があまり無いんですが、それでも120km/h巡行は当り前で、牛久→佐貫間は130km/hに迫る爆走状態です。

 最初にE531系に乗って驚いたのは、トップスピードまで速く、しかも「良く走る」ことです。
 また、普通・快速列車での130km/h運転では関西地方のJR西日本223系新快速が有名ですが、E531系は重装備な交直流車・2階建グリーン車連結とは言え、その223系を上回る加速性能の良さに驚きます。スペック上223系とは初期加速度は同一ですが、高速度域での加速はE531系が勝っているようです。
 これだけの速度で走る普通列車の出現は、この区間を客車列車(EF80+旧形客車・最高95km/h)で乗車経験のある世代にとっては隔世の感があります。

※4M6Tでの1時間定格出力は223系が3520kW、E531系は2240kW、編成重量も2t程E531系のほうが重たい数字ですが、209系以降のJR東日本一般用電車主電動機は交流三相誘導電動機の利点を生かし、短時間の過負荷使用を前提(許容)とした設計により実使用時には定格以上の使い方になるので、定格出力での単純な比較は出来ません。

 取手-我孫子間は直流区間ですが、それ以前の区間とは微妙にインバータ動作音が異なっているのも聴きどころです。

 2014年のリマスタリングで、音質をマイルドに調整しました。

モハE531-2006 (K406)】
竣工日:2005年6月26日
製造所:東急車両製造
新製配置区及び収録時配置区:JR東日本水戸支社 勝田車両センター (水カツ)


常磐線203系
常磐線203系.

この日は営団地下鉄(当時)千代田線のリフレッシュ工事のため,綾瀬止まりとなっていた.

203系正面のJRマークはステッカー式となっており、それまでのJNRマークを隠すように張られている。

撮影:TH 2001年8月26日
常磐線 亀有駅
(画像修正調整済)
JR東日本 常磐線 203系 モハ203形 (車番不明)
各駅停車 我孫子-綾瀬 2001年8月26日録音 約30分

録音・編集・プロデュース/TH 2013年編集作品(2014年公開) 2020年調整版 2013年法改正対応版
©TH



 2011年9月で運用を終了した、JR常磐線各駅停車(常磐緩行線)203系の録音です。

 この録音は、それより10年前の2001年8月26日の日中、当時の営団地下鉄千代田線綾瀬-北千住間でおこなわれたリフレッシュ工事のため、上り列車は綾瀬駅で折り返し運転となっていた際のものです。

 常磐線各駅停車の綾瀬駅折り返し運用は、綾瀬駅の配線構造上の都合から通常ダイヤでは設定が無く、余程の輸送障害でも無い限り珍しいものです。
 千代田線と常磐線各駅停車はほぼ一体的に運行されていることもあり、他線の乗り入れ事例と異り少々のダイヤ乱れでも乗り入れが打ち切られる事はありません。(逆方向の千代田線と小田急線の乗り入れでは、どちらかでダイヤ乱れが発生すると、いとも簡単にアッサリとすぐに乗り入れ中止となる)
 常磐線各駅停車の綾瀬駅止まり列車は、夜間の東京メトロ車帰路運用で設定されているくらいですので、JR線からの折り返し列車自体がイレギュラーなものとなっています。
 綾瀬駅でのJR線側からのホーム折り返しは、本線用2面3線のうちの2・3番線(C線・中線)でのみ対応しており、この日の運用も3番線側で客扱いを行い折り返し運転をしています。

※ちなみに北千住駅で快速線始発・最終列車に接続する始発402K列車と最終119K列車は、1駅区間だけであるが千代田線に乗り入れて北千住駅で折り返す運用が組まれており、代々木上原方にある両渡り線(シーサス・クロッシング)を用い、本線上で折り返しを行っている。
また収録当日の工事で分断されていた千代田線側も、この両渡り線を用いて北千住駅-代々木上原駅・小田急線方面の折り返し運用を行っていた。


 簡単な記録程度と割り切り、車番を控えていなかったミスや冷房使用中(しかも真夏)の録音となりましたが、特徴的なチョッパ音を入れるためモハ203形を狙って録音したのは確かです。
 前述のとうり、真夏の冷房使用中での録音ですが(一応騒音低減処理は施してはいますが)珍しい日中の綾瀬止まりの録音ということで、ご了解のうえお楽しみいただければと思います。

※地元路線故後回しし過ぎたのと、快速線103系引退後は鉄道趣味活動から序々に離れていったこともあり、結局203系の録音はこれ1本だけでした

 203系についてですが、常磐線各駅停車でそれまで運用されていた103系1000番台の電力消費量が多いため、政府の会計検査院からの指摘を受け電気代の差額分を営団地下鉄に支払ったり(車両使用料に差が設けられていた)、地下鉄トンネル内での蓄熱対策で体質改善を営団側からも要求されていたこともあり、これら諸問題の解決が課題となっていました。

 そこで電機子チョッパ制御車201系をベースに、地下鉄の諸条件を考慮して歯車比を大きくし(205系と同じ6.07)、アルミ車体の採用により軽量化を図り電動車比率を営団車と同様の6M4Tとした地下鉄乗入用系列として、1982年に投入されたのが本系列です。
 203系は発熱の少ないサイリスタチョッパ制御となったこと、当時の国鉄通勤形電車に習い当初より冷房や空気バネ台車が備わったため、103系1000番台に比して格段に環境が良いものとなり(特に真夏のラッシュ時)、沿線住民にとっては悲願のひとつが達成されたものとなりました

※もうひとつの悲願は日中の運転間隔で、これは複々線化・緩急分離後40年余を経た2014年3月改正で、ようやく日中12分間隔が10分間隔となった(毎時1本増)。

 ただし、冷房の使用は当初は国鉄・JR線内のみだけでしたが(後に営団線内地上区間の綾瀬-北千住間も使用)、営団車の冷房化が開始された1990年代前半に地下鉄線内も冷房が使われるようになりました。

 常磐線各駅停車への203系の投入は、それまでの国鉄車と営団車の立場を逆転させることになります。
 それまでは、特に直通運転先の地下鉄千代田線内では主抵抗器の発熱・コイルバネ台車・高騒音・そして蛍光灯数が少なく暗い103系1000番台が来ると、乗客は1本後の営団車を待って乗るということがしばしあったのですが、203系になってから夏場は逆に常磐線内で非冷房の営団車が避けられるようになったこともありました。

※103系非冷房車のエクステリアは、モハ72系全金属車とたいして変わらない。

 203系は最初に量産先行車として1編成(マト51編成)が、1982年11月15日のダイヤ改正での常磐線各駅停車の我孫子-取手延長に伴う運用増加を名目として1982年8月松戸電車区に新製配置され、ダイヤ改正時より運用を開始しました。
 その後1次量産車として0番台が1984年より、翌1985年より一部仕様の変更や201系軽装車(コストダウン車),205系量産車で採用された仕様を反映した2次量産車となる100番台が投入され、100番台車の外観上の特徴として、台車は0番台のインダイレクトマウント・円筒案内式のシュリーレン台車(DT46系)から、205系から採用された円錐積層ゴム支持方式のボルスタレス台車(DT50系)に変更されています。
 100番台の投入により国鉄時代末期の1986年に103系1000番台の置き換えが完了し、これにより国鉄所属車の全203系化が達成されます。

※さらに1986年に運用増のため、国鉄最初で最後のVVVFインバータ制御の電車となる207系900番台10両1編成が増備され、分割民営化を迎えている

 203系は常磐線各駅停車専用車として他線に転属されることなく運用されていましたが、2010年よりE233系2000番台への一斉取替が開始され、翌2011年9月をもって運用を終了しています。
 廃車となったうち数編成が、インドネシアKRLジャポタベックやフィリピン国鉄へ譲渡されています。

試運転の203系 「試運転」の203系量産先行車.

営団地下鉄(当時)への試運転貸出後の返却列車を,当時存在した常磐線普通客車列車(425レ)より撮影したもの.

この編成は廃車後,インドネシアへと渡った.

撮影:TH 1982年夏 常磐線 亀有-金町間 普通425列車より並走撮影
(110フィルム撮影)
試運転の203系 「試運転」の203系量産先行車.

量産先行車の帯フィルムは当初開口部端まで回り込んでいたが,乗客との接触で汚損したため,以降の量産車は側面のみ張付となった.

撮影:TH 1982年夏 常磐線 亀有-金町間 普通425列車より並走撮影
(110フィルム撮影)
203系(松戸) 返却回送後,営団6000系と並んだ203系量産先行車.

6000系に遅れること14年,国鉄側もアルミ車体・チョッパ制御車となり,更に冷房も装備されるものとなった.

撮影:TH 1982年夏 常磐線 松戸駅
(110フィルム撮影)
203系(松戸)
松戸到着後の203系.

松戸電車区への回送までの時間,職員達が正面貫通路の梯子をセットしていた.

撮影:TH 1982年夏 常磐線 松戸駅
(110フィルム撮影)

こぼれ話
国鉄201系や203系,205系,207系900番台の座席の袖仕切りは板状のものですが、連日のラッシュによる酷使で、特に203系や207系900番台のそれは目に見えて座席側に押し曲げられているものが多く見られました。
(殆どといっていい位の数で)

一方で、関西地方の東海道線201系に乗った際、その板が全てまっすぐ立っていたんです。
それだけ首都圏の混雑は酷だ、という証でしょうか。双方で同形の車両が走っていた国鉄形ならではのエピソードです。

常磐線各駅停車と千代田線は、ほぼ一体的な運用が行われていることは前述のとうりで、少々のダイヤ乱れの際でも綾瀬で分断されることは稀です(大雪による大幅乱れ等という場合の分断はありましたが)。
とはいえ、綾瀬-北千住間が東京メトロ(←営団地下鉄)の管轄となっていることもあり、深夜に快速線で大幅な遅延が発生すると北千住駅発の松戸行き最終電車は、遅れている快速線最終電車(定刻で上野発0時51分発)の到着を待たずに発車することもあり、筆者も北千住からタクシー代行の世話になった経験があります。

一方で、収録走行音にもある上り日立発我孫子行最終電車が遅れた場合、収録走行音にある取手発上野行(収録走行音では2354H列車)に間に合わないと、その後続の取手発上野行(同2440H列車)に接続となることもあり、この場合松戸駅で上り各駅停車北千住行最終電車への連絡が無くなりますが、金町・亀有・綾瀬の各駅へは接続できなかった北千住行の折り返しとなる下り松戸行最終電車が北千住1時04分発(現行ダイヤの場合)と大変遅いため、そのまま快速電車で一旦北千住へ向かい折り返し乗車してもらうことで便宜接続を図ることも暫しあります(これは何度か経験あり)。
1時を過ぎてからの発車となるので、北千住駅B線(2番線)に仕立てられた最終電車の発車を待っていると、早くも千代田線A線(代々木上原方面)は線路閉鎖が行われ、保守用ディーゼル動車の走る姿と助役による作業用の通票扱いを受ける光景と、さらにはメトロの地下駅でディーゼルエンジンの音と煙を堪能(?)することができるほどの、遅い時間の発車という訳です。


東海道線113系
JR東海道線113系
撮影:MT 根府川付近
(画像修正済)
JR東日本 東海道線 113系 モハ113-1119
快速3760M列車「アクティー」熱海-東京 2003年11月27日録音 約99分

録音 DS / 編集 TH 2006年編集作品 2013年法改正対応版
©DS / TH


 快速「アクティー」運用の113系の録音をDS様よりご提供いただきました。
 熱海駅で前列車の出発(これも113系)の様子から入線・出発の模様も収録しています。
 熱海出発後、右手に海を見ながら海岸線を巡行していく雰囲気を思い浮かべながら、お楽しみいただければと思います。

 収録車両のモハ113-1119(とモハ112-1119)は離脱直前の編成組替えを経て、最後の最後まで国府津区に残った113系のひとつで、なおかつ国府津区最後の1000番台車でもありました。

 発車メロディー削除版(CR版)で公開していましたが、2016年に非削除データに戻しました。

モハ113-1119/モハ112-1119】
製造:近畿車両
竣工日:1972年9月12日
新製配置区:国鉄千葉鉄道管理局 幕張電車区 (千マリ)
収録時配置区:JR東日本横浜支社 国府津電車区 (横コツ / S81編成)
最終配置区:JR東日本横浜支社 国府津車両センター (横コツ / K69編成)
廃車日:2006年3月26日


東海道線113系
東海道線113系

撮影:TH 2006年2月3日
品川駅
(画像修正調整済)
JR東日本 東海道線 113系 モハ112-2072
普通773M列車 東京-小田原 2006年1月15日録音 約88分

録音・編集・プロデュース/TH 2006年編集作品 2020年調整第2版 2013年法改正対応版
©TH



JR東日本 東海道線 113系 モハ113-2072
普通834M列車 小田原-平塚/横浜-東京 2006年1月15日録音 約52分

録音・編集・プロデュース/TH 2006年編集作品 2020年調整第2版 2013年法改正対応版
©TH


 2006年3月ダイヤ改正を機に撤退した、JR東海道線東京口113系の走行音録音です。
 収録のモハ113-2072,モハ112-2072を含む国府津区S103編成(と基本K69編成)は、東海道線東京口113系一般営業最終列車となる、2006年3月17日東京23時13分発945M列車小田原行に使用された車両(編成)でもあります。
 その後、幕張車両センターへ転属し横須賀色(スカ色)となりましたが、2009年に再度湘南色に塗り変えられ房総ローカルで運用されていました。

(2014年7月追加)
 上り834M列車の録音番組の音質改善を行う際、オリジナル編集データからの改良となったため、2006年当時の内容に「復活」しました。(2014年調整版)

 さらに下り773M列車の折り返しとなる、上り834M列車の録音の一部も公開しました。ユニットの相手方となるモハ113-2072での録音です。
 ただし、平塚-横浜間の録音は混雑のうえ非英語の外国人の話声が多く入っており、会話内容の確認が困難なためカットさせていただきました。
 編集・調整は2006年で、前述のように録音に一部難があったり混雑していたため公開を先伸ばししているうち、2008年末に一部雑音等の削除の必要性が生じ放置していたものですが、2013年の法改正によりその必要が無くなり、今回公開としたものです。


《主な駅の録音上の参考到着時間》
下り773M列車 品川>9分頃 横浜>27分頃 大船>44分頃 平塚>1時間04分頃 国府津>1時間19分頃
上り834M列車 国府津>10分頃 平塚/横浜>24分頃 品川>42分頃
(プレイヤーによっては若干の誤差があります。特にIE,iPhone,iPad向けウェブプレイヤーは大きな誤差を生じます)


モハ113-2072/モハ112-2072
製造:川崎重工
竣工日:1980年4月4日
新製配置区:国鉄東京南鉄道管理局 国府津運転所 (南コツ)
収録時配置区:JR東日本横浜支社 国府津車両センター (横コツ / S103編成)
最終配置区:JR東日本千葉支社 幕張車両センター (千マリ / 117編成)
廃車日:調査中


水郡線キハ110系
水郡線キハ110系
撮影:TH 2003年1月13日
常陸大子駅
(画像修正済)
JR東日本 水郡線 キハ110系 キハ112-116
水戸-常陸大子 2003年1月13日録音

録音・編集・プロデュース/TH 2014年編集作品 2013年法改正対応版
©TH


 水郡線に配置されていた当時のキハ110系の録音です。

 キハ100系・キハ110系気動車は、JR東日本の非電化線区向けに1990年に量産先行車が作られて以来、北は青森から南は埼玉,西は長野と広範囲に配置・運用されています。

 それまでの国鉄形気動車の設計思想から転換、新型エンジンを採用し電子制御化等の技術革新を採り入れ、既存の気動車との連結を考慮しない設計としたことからブレーキ系統も電気指令化し、連結器も電車と同様の電気連結器付き密着連結器を装備するものとなっています。
 特に小型高出力のエンジンと多段化した変速機、それらの制御を電子化したことで電車に匹敵する性能を得て、その後の高性能気動車への先駆けとなったものです。

 収録のキハ110系には、米国系企業カミンズの英国・スコットランド工場製ディーゼルエンジン「NTR-855-R4」(JR形式DMF14HZA)が搭載されており、その出力は同系エンジンを搭載するJR東海の特急車キハ85系用のものよりも増強された420PSと、当時の気動車としては最強クラスのものでした。

 録音は水郡線の水戸から常陸大子までのもので、網棚から録音したものです。
 水戸から暫くは子供の泣き声が盛大にはいっていますが、隣の常陸青柳に着く頃までには泣き声も収まって落ち着いてますので、ご容赦いただければと思います。気になる方はタイムスライダで飛ばしてください。
 それ以降も乗客は程々の数でしたが、咳等の音が結構有りましたので修正箇所は多数となり、一部場面やタイミングの関係で、他の雑音を含めやむを得ず残した箇所があります。併せてご容赦ください。

 水郡線にはキハ110系100番台及び150番台が配置され国鉄形気動車を置き換えましたが、その高性能をもってしても2扉車では水戸口の激しいラッシュに耐えられず、2006年から2007年にかけて3扉ステンレス車体で環境対応エンジンを搭載したキハE130系に置き換えられ、キハ110系は各地へ転属しています。
 収録のキハ112-116及びペアのキハ111-116は2007年に盛岡車両センターへ転属し、現地の国鉄形気動車を置き換えています。

 なお、この系列の気動車は前述の通りJR東日本管内の広い範囲に配置されており、東日本大震災ではキハ100形6両が津波を受け被災。うち4両が廃車となり現地で解体されています。

JR東日本 八高線 103系 クモハ102-3002 (元モハ72系 クハ79606←クハ79374)
普通 八王子-高麗川 2001年1月2日録音 約44分

録音・編集・プロデュース/TH 2022年編集作品 (簡易録音・簡易編集版)
©TH


 八高線103系3000番台の録音です。
 小型カセットテープレコーダーによる簡易な録音ですので、音質についてはご容赦ください。

 旧型国電モハ72系アコモ改良車970番台を出自とするもので、それまでの全金属化改造車の内容をさらに高め、1974年に台枠を流用しつつ当時最新の103系高運転台車とほぼ同様の車体に更新したものです。

 仙石線に4両編成で投入され、他の旧形国電とは併結しない前提としたため、補助回路が新性能電車と同様の交流電源となり、蛍光灯も新性能車と同様の交流点灯式となり、103系非冷房車でも使われた20kVA電動発電機(MG)の音と、MT40主電動機による釣掛駆動音が折衷的でした。

 1980年から仙石線に103系が投入されても、モハ72系970番台は1985年まで運用されましたが、作り替えた車体は経年も浅く状態も良好であったため、電化される川越線の区間運転用に転用されることとなり、予備品や101系廃車発生品等を活かし、車歴を引き継いだまま103系に改造されるという、国鉄としては異例の新性能化改造が施され、103系3000番台となったものです。

 川越線では2M1Tの3両編成で用いられることとなり、パンタグラフ取付台がある中間車をモハ103形としたため、1200番台以来のクモハ102形が起こされました。
 余ったモハ72形はサハ103形となり青梅線で使われたものの、八高線電化で川越線の区間運転と共に4両編成化のため川越電車区に転属、そしてAU712形とインバータ電源を用いて冷房化されています。
 そのため、アコモ改良化時の20kVA電動発電機が廃車まで残り、特徴的なその音を響かせていました。

 2005年までに廃車となりましたが、新性能化されたとはいえ、1954年製造当時のモハ72形の銘板を残したままであり、21世紀に旧形国電を出自とするJR線営業用電車として最後に用いられました。

 また、仙石線での半自動ドア扱い対応のため、ドアエンジンは115系と同じ鴨居部取付のTK8形となり、半自動扱いの際は手動で開閉できるものでしたが、川越線に移ってからも半自動機能は活かされており、長時間停車駅での取扱いの様子も録音されています。

【クモハ102-3002】
竣工年月日/1954年11月 (クハ79374)
製造所/近畿車輌
新製配置区/国鉄 東京鉄道管理局 三鷹電車区 (東ミツ)
移動歴(1)/1962年4月16日 国鉄 東京鉄道管理局 下十条電車区 (東モセ)
移動歴(2)/1971年6月26日 国鉄 東京南鉄道管理局 東神奈川電車区 (南ヒナ)
改造年月日(1)/1975年3月13日 国鉄 仙台鉄道管理局 郡山工場 (富士重工への委託工事/クハ79606)
改造時配置区(1)/国鉄 仙台鉄道管理局 陸前原町電車区 (仙リハ)
改造年月日(2)/1985年8月21日 国鉄 東京北鉄道管理局 大宮工場 (クモハ102-3002)
改造時配置区(2)/国鉄 東京北鉄道管理局 川越電車区 (北ハエ)
継承/1987年4月1日 JR東日本 東京圏運行本部 川越電車区 (東ハエ)
最終配置区/JR東日本 大宮支社 川越車両センター (宮ハエ)
廃車年月日/2005年5月25日

参考・モハ103-3002
竣工年月日/1953年1月28日 (モハ72504)
製造所/東急横浜製作所
新製配置区/国鉄 東京鉄道管理局 下十条電車区 (東モセ)
移動歴(1)/1965年12月11日 国鉄 大阪鉄道管理局 明石電車区 (大アカ)
移動歴(2)/1966年10月1日 国鉄 大阪鉄道管理局 高槻電車区 (大タツ)
改造年月日(1)/1975年1月17日 国鉄 仙台鉄道管理局 郡山工場 (富士重工への委託工事/モハ72972)
改造時配置区(1)/国鉄 仙台鉄道管理局 陸前原町電車区 (仙リハ)
改造年月日(2)/1985年8月21日 国鉄 東京北鉄道管理局 大宮工場 (モハ103-3002)
以降、クモハ102-3002と同じ。
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制作・著作 Copyright © 1995 Toru Hirose (Stream Express)
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