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特集 東武5000系釣掛電車 |
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さかのぼれば、そのルーツは戦後国電の救世主「モハ63形」。 実用大量主義で作られた「7800形」の生まれ変わり。 |
大手私鉄最後の20m級釣掛駆動式電車であり、21世紀になってもなお活躍していたのが、東武5000系列です。(5000系,5050系,5070系。以下5000系) 戦前製の小型・中型電車ばかりだった東武鉄道が、戦後運輸省(現在の国土交通省の前身)から国鉄モハ63形電車の配給を受け、大型車体で大量輸送できる電車として貢献しました。東武では早速モハ63形を手本に7800系電車(通称78系)を製作、1961年までに164両も作られました。 車体は戦前製電車と同じ半鋼製で室内のほとんどは木製,床は板張りという電車でしたが、大手私鉄といえども当時はせいぜい18m車クラスの、国電よりも小型の「地方鉄道規格」であった中で、全長20m,4扉という国電と同クラスの大型車体を他社に先駆けて採用したことは、車格の面では大変画期的なことでもありました。 ところが、その頃には既に他の私鉄では高性能の次世代型電車を続々開発,登場させていましたが、東武はそれにはお構い無しに実用本位のこの「大型20m,4扉車体の板張り電車」を作り続けていました。 戦後の急激な沿線の発展で輸送力の増強が急務ではあったのですが、国鉄と対決勝負状態であった日光への観光輸送や、都心直通の新たな手段としての地下鉄直通といった事業が優先し、特急車1700系や地下鉄直通車2000系の準備で多忙だったため地上用新通勤車の設計・開発にまで手が回らなく、2000系が登場する1961年まで増備していくことになります。 更新直前の頃には8000系に次ぐ通勤車の第2勢力として本線系の都心乗り入れの列車でも幅をきかせ、東上線でも7300系(前述モハ63形の更新車)と共に全線で幅をきかせるまでに至ります。 7800系は戦前製電車の流れにある旧形車故に陳腐化が急速に進み、その後私鉄最多の712両も作られた8000系との差が大きくなり改善が必要とされていました。一時はその車体のまま冷房化する案まで出て来ましたが、この7800系を1978年から東武お得意の「車体更新」という、台車,機器はそのままに8000系同様の新製車体に載せ替えることにより登場したのが、この5000系車両です。 5000系,5050系までは2両固定編成と4両固定編成が用意され本線のほか東上線でも使用されましたが、5070系は6両固定編成となり後に野田線に集中配備され、東上線への配置も無かったので実質上「野田線専用車」という位置付けでした。 更新は大量かつ長期になったこともあり、5050系より冷房搭載,ブレーキ方式変更といった仕様変更も行なわれ、現在の主力通勤ステンレス車の10000系が登場していた頃に更新された、最終更新グループとなる5070系後期形は「車体外見は8000系,内装は10000系,足回りは7800系」という3世代に跨ぐ装いになっています。 もうその頃になると、手本となった国鉄モハ63形(→モハ72形系列)は私鉄に配給されたものも大多数は消え一部が地方ローカル私鉄に転じ、国鉄では同じような車体更新で最後まで釣掛車のまま延命していた仙石線72系960番台(20両)が川越線用として103系に生まれ変わったり、JR西日本では宇野線ローカル用に72系由来の荷物車が再度旅客車化してクモハ84形になりましたが90年代前半に廃車。コピー車7800系が元ではあるものの、5000系は「モハ63型」をルーツとする大手私鉄最後の釣掛駆動の通勤電車でもありました。 また、首都圏私鉄の鉄道線としては最後の釣掛駆動式電車でもあり、臨時貸切列車とはいえ都内で最後の釣掛駆動式電車の営業運転を行ったのも、この5000系列でした。 筆者が少年の頃(1970年代末期)はまだ7800系として本線の浅草口でも元気よく準急列車などで走っており、東京都心部では釣掛駆動かつ鉄道線最後の車内板張りの半鋼製電車でもありました。そんな頃、小学校の林間学校で北千住-東武日光間を堂々7800系で往復、帰りは何とモハ7800(トップナンバー)に乗車という大変貴重な体験をしています。そのモハ7800は日よけが鉄板ヨロイ戸(!)で、一部のそれは出すと元に戻せない位のオンボロだったのをよく覚えています。 筆者にとっては、釣掛電車といえばこの7800系(ななっぱち)と営団銀座線旧形車であり、5000系の釣掛サウンドは過ぎ去りし少年の日々の思い出でもあります。 筆者が小学生だった頃、林間学校で日光へ向かうため東武北千住駅で「前パン・前ホロ」の重厚な面構えに「たびじ」のヘッドマークをつけて堂々と現れた7800系の姿に他の児童や引率の先生達は驚いていましたが、当時の東武はようやく7800系の5000系への更新が始まりかけていた頃で、まだ児童の林間学校臨時電車は7800系が主で、良くても冷房の無い5700系でした。 筆者をはじめとした鉄道ファンな児童は逆に延々「ボロ電車」7800系に乗れるということで大喜びでした。日光までの所要時間は約2時間強で、トイレのない通勤車が充当される林間学校臨時電車のためにトイレ休憩停車が新大平下駅で設定されており、同駅ホームの日光方にあった数のあるトイレはそのためのものでした。 (現在は撤去.団体輸送もトイレ装備の6050系等に変わっています) なお、2年後の後輩達も日光へ林間学校に行きましたが「ボロ電車じゃなかったし冷房も付いていた」とのことで、この頃にはもう8000系か5050系になっていたようです。 時は流れ、8000系同様の身なりとなっても走れば懐かしい78系の雰囲気はそのまま。その鼓動を思う存分お楽しみください。 21世紀になってもツリカケサウンドが楽しめたのは、まことに愉快なことでした。(TH) ■東武5000系列主要諸元 7800系からの更新年/1978年〜1986年 全長20.0m(連結面間) 全幅2.8m 制御方式/抵抗制御 主制御器形式/日立MMC-H-10(5000系,5050系) 及び東洋電機ES-567(5070系) 主電動機形式/日立HS-269-CR 及び東洋電機製造TDK-544 (共に定格750V/142kW,1250rpm) 駆動方式/釣掛駆動(歯車比4.13) 台車形式/東武形式TRS-52(住友FS-10及び日立KH-20,日車NL-1) ブレーキ方式/HSC電磁直通ブレーキ 最高運転速度 95km/h ■TDK-544 / HS-269-CRについて 東洋電機製造の主電動機「TDK-544」は国鉄制式電動機「MT40」(定格750V/142kW 870rpm)と同等の性能であるが、定格回転数を高速化し小型軽量化を図った200馬力級主電動機。 MT40を歯車比2.87で使用した場合,定格速度は52km/hとなるが、TDK-544は同じ定格速度を歯車比4.13で実現。この歯車比は大手私鉄の鉄道線釣掛電車用としては最も高い値であり、カルダン駆動車に近いものであった。 よって、その音は走り出す際は釣掛駆動独特の重々しさがあるものの、高速域に達するとMT40では出せない軽々とした洗練された響きとなる。 東武鉄道では7800系で大量に採用し一部は7300系(国鉄モハ63の配給車を更新したもの)にも使用。日本の釣掛電車用電動機の末期を飾る製品であった。 同一性能の電動機として日立製作所製の「HS-269-CR」がある。TDK-544との差は形態程度で5000系列では両者は混用され(同じ台車でそれぞれ搭載される例もあった)、他の私鉄でも大出力を生かして採用されていた。 なおMT40装備の旅客営業用電車は、既に廃車となった弘南鉄道モハ1521系(元南海1521系)が最後とされており、その走行音は「特集・弘南鉄道」で聴取可能である。 |
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![]() 会津高原駅に停車中の東武5050系. 首都圏私鉄通勤車で唯一東北地方へ入る運用であり,そして中央分水嶺を超える運用でもあった. 撮影:TH 2001年2月24日 会津高原駅 |
■鬼怒川線 (野岩鉄道線乗り入れ) |
5050系のかつての運用で下今市発の鬼怒川線始発電車があり、そのまま野岩鉄道に乗り入れ、福島県南会津郡田島町の会津高原駅(当時/現・会津高原尾瀬口駅)まで乗り入れる運用がありました。 首都圏私鉄の4扉通勤電車としては唯一東北地方へ足を伸ばす最北の定期運用であり、且つ中央分水嶺を超える運用でもあり※、山岳線を唸りながら上る強い走りが特徴でした。 2001年3月をもって、この鬼怒川線始発電車をはじめとした栃木地区ローカル運用のほとんどが6050系電車に置きかえられました。廃止間際に知人の協力により日帰りでは難しいこの列車の録音に成功。上り坂を唸る5050系の走りをお楽しみください。 ※臨時列車では8000系後期車が入線しているが、トイレ無しのため6050系増備以降は解消している。 なお、8000系のうち後期車のみ野岩線に入ったのは、後の法改正に対応した防火対策設計に変更され、結果的に長大トンネル対策済となっていたことが理由で、かつての3070系や5050系が入線できたのも、更新時に防火対策設計となっていたことによるもの。 また、中央分水嶺を超える定期運用があったのも特徴で、大手私鉄の通勤車両では3070系と5050系が唯一、中央分水嶺を超える定期運用を持っていた。 大手私鉄車両全体でも、2020年時点で中央分水嶺を越えるのは東武6050系と500系のみとなっているが、会津鉄道に譲渡された元名鉄キハ8500系も、名鉄時代にJR高山線乗り入れの定期運用で中央分水嶺を超え、高山まで乗り入れていた実績がある。 ■東武鉄道 5050系 モハ5557 鬼怒川線・野岩線 普通327列車 下今市-会津高原 2001年2月24日録音 約72分 録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品 ©TH 収録協力/RS 途中の新藤原までの東武線区間は、軽便鉄道由来の区間でもあり、ゆっくりとしたペースで走りますが、野岩線に入ってからは直線も多く線路も良いので期待の走りをしてくれます。天候が雪でしたので所々空転もあります。 この車輌は2001年3月のダイヤ改正時に運用離脱、廃車となりました。 |
![]() 会津高原駅停車中の5050系. 福島県南会津郡田島町は,首都圏私鉄通勤車の来る最北端だった. |
![]() 運転台から. こんな仙山線と見間違えそうな雪深い場所を,首都圏通勤車が走った!!. |
![]() 雪の中を走る5050系. 決して合成ではない. |
![]() 雪の中を走る5050系. これもまた合成ではない |
![]() 中三依駅に停車中の5050系. 早朝のため気温はとても低かった |
![]() 中三依駅に停車中の5050系. 最後部1両は保温のため締切扱いとなる。 |
![]() 東武日光駅に停車中の5050系(左) 撮影:TH 2001年3月22日 |
![]() 赤城駅に停車中の5050系 撮影:TH 2003年3月30日 赤城駅 (上毛電鉄デハ101撮影会の際,係員の案内により撮影) (画像調整済) |
![]() 朝の太田駅に停車中の5050系 太田駅は高架化工事中で,桐生線列車が使う0番線は仮設ホームとなっていた. 撮影:TH 2003年12月28日 赤城駅 (画像調整済) |
■貸切・団体列車
■東武トラベル等主催 「さよなら業平橋駅始発列車 5050系最後の釣掛フルノッチツアー」 2003年3月15日 伊勢崎線業平橋-日光線東武日光 |
2003年3月15日に東武トラベル,東武鉄道,東武博物館,レイルマガジン誌の共催により「さよなら業平橋駅始発列車 5050系最後の釣掛フルノッチツアー」として運転された、新栃木研修区所属(当時)の5157編成による団体列車での録音です。 運転区間は業平橋駅の地上ホーム(現・東京スカイツリー敷地)から東武日光までと東武日光-新鹿沼間の往復。帰路は設定されず、東武日光にて自由解散でした。 この列車ですが、本来の録音専用区間は新鹿沼以北と折返し東武日光-新鹿沼間の往復列車なのですが、モハ車の台車付近はその殆どが録音目的の方ばかりでした(筆者もそうなのですが)。 実質業平橋発車時からレコーディングスタート状態の方ばかりでしたが、そうでない参加者の方ももおられたため、混雑した模様も収録されています。 録音は事前のセッティングの都合もあって、スタンド+マイクのいつものセットのほかは網棚からの録音のみ。 またこの列車では参加者バッジの色により新鹿沼以北で乗客の入替えをし、半数の参加者が業平橋-東武日光間でモハ車に通しで乗車できないこととになりました。その代わり、東武日光-新鹿沼間の往復のほうでモハ車に乗れるような措置が取られています。 残念ながら筆者は新鹿沼以北クハ車乗車組となったため、網棚録音のテレコをオートリバース機なレコーディングウォークマン(WM-GX822)とし、久しぶりに車内録音で実戦投入。楡木で離脱する際に同行していた知人にお願いして「放置録音」したものです。 団体列車は東武動物公園までの間はゆっくりと進み、日光線に入ってからスピードを上げて走行するようになりましたが、トップスピードで走る頻度は少なく、おとなしい走り方をしております。 5050系が伊勢崎線複々線区間に入線したのは14年ぶり、しかも竹ノ塚-北越谷間が複々線になってからはこれが最初で最後の運転となり、加えて東京都区内における鉄道線釣掛駆動式電車の最後の運転列車でもあり、大変貴重な録音でもあります。 ※軌道線においては都電7000形が「東京都内最後の釣掛駆動式電車」として運用されていた。 この列車には2003年3月のダイヤ改正で特急乗務が無くなるスペーシアアテンダンドの方が2名乗務され、車内アナウンスで5050系の経歴などを案内するなど、釣掛5050系での特急並みの接客サービス(?)が提供されました。 さらに、ご乗車されていた東武博物館館長(当時)の花上嘉成氏による放送でのご挨拶と詳細な5050系にまつわるお話が、さらには南栗橋発車時にはノッチ投入の実況案内までされるなど有難い放送が随所で入り、大活躍されておられました。 さらに列車内ではクハ車で入札形式の「サイレントオークション」が開催されており、その案内放送も随所に入っております。筆者は録音目的のため参加しませんでしたが、予備のヘッドマークや7800系のナンバープレートなどが品物されていたようです。 |
■東武鉄道 5050系 モハ5357 「5050系最後の釣掛フルノッチツアー」 往路 業平橋-東武日光 2003年3月15日録音 約2時間20分 録音・編集・プロデュース/TH ©TH 説明にもあるように、クハへ離脱後は同行していた知人に放置後の面倒をお願いした関係上、テープ反転を自動で行なえる機械でなければならなかったため、レコーディングウォークマンを車内網棚録音で使用しています。 音は劣りますが(2000年以前に収録した音源と同レベルです)、始発から終点までの臨場感を味わうには必要十分なレベルにあるのではないかと思います。記録成果としてお楽しみいただければと思います。 「テープ反転」についてですが、収録当時シリコンレコーダーで生録音に耐えられるものは業務用機しかなく、殆どの方がMDで、他にDATやアナログテープで録音する時代でした。 このため、DATのSPモードで最長120分、MDで最長80分、テープではC-150を使っても片面最長75分、メタルテープでも当時はマクセル製C-120が上限でしたので片面最長60分が限度となり、この録音に限らず長時間の録音ではメディア交換やテープ反転のタイミングを設けるために、経験や勘,時刻表・ダイヤグラム等を参考に綿密な計画を立てる必要がありました。 この録音ではC-150等の長時間テープだと反転箇所が微妙な状態になりそうだったため、事前に発表されていた運転時刻を参考に計画を組み、全区間C-90(片面45分)テープで2本使用しました。 最初のテープ反転は走行中にやむを得ず行なうことになりましたが、適当な箇所・状態になったところでリモコンにより手動で反転、編集で繋ぎ合わせています。 2本目のテープへの入替えは、新大平下駅での長時間停車の際に実施しています。 その後の2本目の反転は、前述のとうり自動で行わせる必要があるため、テープの片面録音時間と板荷駅での長時間運転停車のタイミングを見計らって録音を開始。計算通り板荷駅停車中に反転してくれました。列車に遅れでもあるとタイミングが狂うので、ヒヤヒヤものでした。 よって、新大平下や板荷駅で長時間停車の場面は、この公開走行音では編集し割愛させていただきました。 |
その他の貸切列車の録音番組は、東日本大震災によるデータディスクの損壊によりデータを復旧できず、公開を断念(終了)させていただきました。
収録当時お誘いを頂き貴重な収録の場を設けてくださいました主催者様やご協力者の皆様には、心より感謝を申し上げます。
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