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特集
東武5000系釣掛電車
東武5000系

高柳駅
東武5050系

撮影:TH 1998年12月13日
野田線高柳駅
(フィルム撮影/拡大画像はありません)
東武5070系車内
東武5070系車内.
冷房吹出口が10000系と同様の最終更新車のもの.
床の大きな点検蓋は8000系にはなく,釣掛車の特徴となっている.

撮影:TH 2001年1月2日
モハ5276車内
モハ5276車内.
5050系での更新より冷房装備となり,8000系冷房車と同様のエクステリアとなった.

撮影:TH 2002年5月25日
FS-10台車
5000系のFS-10台車.

枕バネが板バネという戦前製台車の延長にあるもだが,ボルスタアンカが戦後製であることを強調.
今となってはとても硬い乗り心地であるが,揺れ方は独特で懐かしいものがある.
5050系更新時よりをRCC軸受にしブレーキシリンダを台車取付とした.
鋳鋼製台枠ということもあって大変頑丈

撮影:TH 2001年1月3日
TDK-544形主電動機
東洋電機製造製の主電動機「TDK-544」.

国鉄制式電動機「MT-40」と同等性能を保ちながら小型高速回転化したもの.
カルダンモーターの形状に近くなっていることから、過渡期の様子を伺える.

撮影:TH 2005年10月2日
東武鉄道 南栗橋車両管理区工場
(公開時撮影)
HS-269-CR形主電動機
日立製作所製の主電動機「HS-269-CR」.

こちらは国鉄MT-40と同様の角型の形態となっている.

撮影:TH 2005年10月2日
東武鉄道 南栗橋車両管理区工場
(公開時撮影)
さかのぼれば、そのルーツは戦後国電の救世主「モハ63形」。
実用大量主義で作られた「7800形」の生まれ変わり。
 大手私鉄最後の20m級釣掛駆動式電車であり、21世紀になってもなお活躍していたのが、東武5000系列です。(5000系,5050系,5070系。以下5000系)

 戦前製の小型・中型電車ばかりだった東武鉄道が、戦後運輸省(現在の国土交通省の前身)から国鉄モハ63形電車の配給を受け、大型車体で大量輸送できる電車として貢献しました。東武では早速モハ63形を手本に7800系電車(通称78系)を製作、1961年までに164両も作られました。
 車体は戦前製電車と同じ半鋼製で室内のほとんどは木製,床は板張りという電車でしたが、大手私鉄といえども当時はせいぜい18m車クラスの、国電よりも小型の「地方鉄道規格」であった中で、全長20m,4扉という国電と同クラスの大型車体を他社に先駆けて採用したことは、車格の面では大変画期的なことでもありました。

 ところが、その頃には既に他の私鉄では高性能の次世代型電車を続々開発,登場させていましたが、東武はそれにはお構い無しに実用本位のこの「大型20m,4扉車体の板張り電車」を作り続けていました。
 戦後の急激な沿線の発展で輸送力の増強が急務ではあったのですが、国鉄と対決勝負状態であった日光への観光輸送や、都心直通の新たな手段としての地下鉄直通といった事業が優先し、特急車1700系や地下鉄直通車2000系の準備で多忙だったため地上用新通勤車の設計・開発にまで手が回らなく、2000系が登場する1961年まで増備していくことになります。
 更新直前の頃には8000系に次ぐ通勤車の第2勢力として本線系の都心乗り入れの列車でも幅をきかせ、東上線でも7300系(前述モハ63形の更新車)と共に全線で幅をきかせるまでに至ります。

 7800系は戦前製電車の流れにある旧形車故に陳腐化が急速に進み、その後私鉄最多の712両も作られた8000系との差が大きくなり改善が必要とされていました。一時はその車体のまま冷房化する案まで出て来ましたが、この7800系を1978年から東武お得意の「車体更新」という、台車,機器はそのままに8000系同様の新製車体に載せ替えることにより登場したのが、この5000系車両です。

 5000系,5050系までは2両固定編成と4両固定編成が用意され本線のほか東上線でも使用されましたが、5070系は6両固定編成となり後に野田線に集中配備され、東上線への配置も無かったので実質上「野田線専用車」という位置付けでした。
 更新は大量かつ長期になったこともあり、5050系より冷房搭載,ブレーキ方式変更といった仕様変更も行なわれ、現在の主力通勤ステンレス車の10000系が登場していた頃に更新された、最終更新グループとなる5070系後期形は「車体外見は8000系,内装は10000系,足回りは7800系」という3世代に跨ぐ装いになっています。

 もうその頃になると、手本となった国鉄モハ63形(→モハ72形系列)は私鉄に配給されたものも大多数は消え一部が地方ローカル私鉄に転じ、国鉄では同じような車体更新で最後まで釣掛車のまま延命していた仙石線72系960番台(20両)が川越線用として103系に生まれ変わったり、JR西日本では宇野線ローカル用に72系由来の荷物車が再度旅客車化してクモハ84形になりましたが90年代前半に廃車。コピー車7800系が元ではあるものの、5000系は「モハ63型」をルーツとする大手私鉄最後の釣掛駆動の通勤電車でもありました。

 また、首都圏私鉄の鉄道線としては最後の釣掛駆動式電車でもあり、臨時貸切列車とはいえ都内で最後の釣掛駆動式電車の営業運転を行ったのも、この5000系列でした。

 筆者が少年の頃(1970年代末期)はまだ7800系として本線の浅草口でも元気よく準急列車などで走っており、東京都心部では釣掛駆動かつ鉄道線最後の車内板張りの半鋼製電車でもありました。そんな頃、小学校の林間学校で北千住-東武日光間を堂々7800系で往復、帰りは何とモハ7800(トップナンバー)に乗車という大変貴重な体験をしています。そのモハ7800は日よけが鉄板ヨロイ戸(!)で、一部のそれは出すと元に戻せない位のオンボロだったのをよく覚えています。
 筆者にとっては、釣掛電車といえばこの7800系(ななっぱち)と営団銀座線旧形車であり、5000系の釣掛サウンドは過ぎ去りし少年の日々の思い出でもあります。

筆者が小学生だった頃、林間学校で日光へ向かうため東武北千住駅で「前パン・前ホロ」の重厚な面構えに「たびじ」のヘッドマークをつけて堂々と現れた7800系の姿に他の児童や引率の先生達は驚いていましたが、当時の東武はようやく7800系の5000系への更新が始まりかけていた頃で、まだ児童の林間学校臨時電車は7800系が主で、良くても冷房の無い5700系でした。
筆者をはじめとした鉄道ファンな児童は逆に延々「ボロ電車」7800系に乗れるということで大喜びでした。日光までの所要時間は約2時間強で、トイレのない通勤車が充当される林間学校臨時電車のためにトイレ休憩停車が新大平下駅で設定されており、同駅ホームの日光方にあった数のあるトイレはそのためのものでした。
(現在は撤去.団体輸送もトイレ装備の6050系等に変わっています)
なお、2年後の後輩達も日光へ林間学校に行きましたが「ボロ電車じゃなかったし冷房も付いていた」とのことで、この頃にはもう8000系か5050系になっていたようです。


 時は流れ、8000系同様の身なりとなっても走れば懐かしい78系の雰囲気はそのまま。その鼓動を思う存分お楽しみください。

 21世紀になってもツリカケサウンドが楽しめたのは、まことに愉快なことでした。(TH)

東武5000系列主要諸元
7800系からの更新年/1978年〜1986年
全長20.0m(連結面間) 全幅2.8m
制御方式/抵抗制御
主制御器形式/日立MMC-H-10(5000系,5050系) 及び東洋電機ES-567(5070系)
主電動機形式/日立HS-269-CR 及び東洋電機製造TDK-544 (共に定格750V/142kW,1250rpm)
駆動方式/釣掛駆動(歯車比4.13)
台車形式/東武形式TRS-52(住友FS-10及び日立KH-20,日車NL-1)
ブレーキ方式/HSC電磁直通ブレーキ
最高運転速度 95km/h

TDK-544 / HS-269-CRについて
東洋電機製造の主電動機「TDK-544」は国鉄制式電動機「MT40」(定格750V/142kW 870rpm)と同等の性能であるが、定格回転数を高速化し小型軽量化を図った200馬力級主電動機。
MT40を歯車比2.87で使用した場合,定格速度は52km/hとなるが、TDK-544は同じ定格速度を歯車比4.13で実現。この歯車比は大手私鉄の鉄道線釣掛電車用としては最も高い値であり、カルダン駆動車に近いものであった。
よって、その音は走り出す際は釣掛駆動独特の重々しさがあるものの、高速域に達するとMT40では出せない軽々とした洗練された響きとなる。
東武鉄道では7800系で大量に採用し一部は7300系(国鉄モハ63の配給車を更新したもの)にも使用。日本の釣掛電車用電動機の末期を飾る製品であった。
同一性能の電動機として日立製作所製の「HS-269-CR」がある。TDK-544との差は形態程度で5000系列では両者は混用され(同じ台車でそれぞれ搭載される例もあった)、他の私鉄でも大出力を生かして採用されていた。

なおMT40装備の旅客営業用電車は、既に廃車となった弘南鉄道モハ1521系(元南海1521系)が最後とされており、その走行音は「特集・弘南鉄道」で聴取可能である。

走行路線・列車別一覧

野田線
鬼怒川線 (野岩鉄道線乗り入れ)
日光線
桐生線

貸切・団体列車
東武トラベル等主催「釣掛5050系フルノッチツアー」



野田線5176編成
野田線5176編成

撮影:TH 2002年5月25日
東武鉄道 野田線柏駅
野田線路線図
野田線周辺の路線図.

新鎌ヶ谷駅は1999年11月25日開業.
※「流山おおたかの森駅」は2005年8月開業(撮影時未開業).
東武野田線5177編成
野田線5177編成

撮影:TH 2001年1月3日
東武鉄道 野田線柏駅
モハ5577
駆動音が大きかったモハ5577
近づく音だけで編成が判る程であったが,晩年は改修されて他車並になった.

撮影:TH 2001年1月3日
東武鉄道野田線 柏駅
野田線5180編成/江戸川鉄橋
江戸川鉄橋を渡る野田線5180編成

撮影:TH 2004年9月12日
東武野田線 川間-南桜井間
(江戸川鉄橋)
野田線
 野田線は東京都心からの約30キロ圏にある近郊の北東部分、大宮から春日部,柏を経て船橋に至る路線です。

 その起源は、野田の基幹産業であった醤油醸造により生産さた醤油の輸送を目的として、1911年に当時の千葉県営鉄道の手により柏-野田町(現在の野田市)が開業したのが始まりで、後に民間で建設した柏-船橋間の完成時に野田の醸造組合が設立した「総武鉄道」に払い下げられます。

 この「総武鉄道」が1944年、第二次世界大戦の戦時企業統合により東武鉄道に吸収合併され「野田線」となりますが、戦後は高度成長により沿線の住宅地化が加速、電化,複線化を経て現在は20メートル大型車6両編成・全車冷房車という近郊通勤路線に変貌、東武柏駅は北千住,池袋に次ぎ東武第3位の乗降客数を誇るまでになりました。

 しかし、野田線のルーツでもあった貨物輸送は1980年代に廃止され醤油の出荷が全面的にトラック輸送へ移行ましたが、今でも野田市駅の目の前には大規模な醤油工場があり、野田市駅を降りると周辺は"むらさきの匂い"(醤油の匂い)が漂う位でした。

※最近は匂いが漂わなくなりました.工場の減少及びプラント改良による環境対策によるものです.

 車両面では戦後は旧総武系や戦前製の東武車など雑多で様々な形式の電車が使われましたが、1980年代には3000系列の旧形更新車に統一。その後伊勢崎線,日光線,東上線から大挙5000系列が集結し一時は全車5000系列になり「全車冷房釣掛車」という陣容になったものの、程なくこれも東上線などからの8000系転属により5000系,5050系が順次北関東ローカルに転属。
 最終的に5070系のみが残りましたが、こちらも8000系の転入により順次廃車し、最後は5180F,5181F,5182Fの3編成のみとなり、2004年10月19日のダイヤ改正により残存3編成も引退しました。

 日本の釣掛式電車としては最後の6両固定編成であり、2004年10月の時点では釣掛式電車最長編成でもありました。

[参考]2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
沿線市町の震度(本震)

さいたま大宮区:5強 さいたま岩槻区:5弱 春日部市:5強
野田市:5強 流山市:5弱 柏市:5強
松戸市:5弱 鎌ヶ谷市:5弱 船橋市:5弱

車内録音編

東武鉄道 5070系 モハ5280 野田線一般営業最終列車
平日2228列車 柏-七光台 2004年10月18日録音 約29分

録音・編集・プロデュース/TH 2004年編集作品
©TH


 野田線5070系一般営業最終列車となった、2004年10月18日の2228列車での録音です。

 この日は朝は残存3編成全てが運用に入っておりましたが、5182編成のみ朝だけの運用で一足早く営業を終了。夕方は5180編成が終日29運行に、5181編成が終日19運行に入っていました。
 5181編成は大宮発七光台行2119列車で大宮駅最後の5070系となり、七光台駅22時02分に到着。
 5180編成の柏駅22時19分発の七光台行2228列車が、野田線5070系最後の一般営業列車となりました。

 当日は前日のさよならイベント列車の賑わいから一転し、平日の、いつもの雰囲気の中で迎えた5070系の最終日でしたが、夜にもなると会社帰りに「お名残乗車」をするであろうファンの姿もチラホラと見え、最後となったこの列車では「録音同業者」の姿も見え、最終近くの時間帯且つ途中駅の七光台止まりということもあり乗客も少なく、静かな雰囲気での最終営業列車でした。


東武鉄道 5070系 モハ5577
野田線 休日1838列車 船橋-柏 1999年5月3日録音 約30分

録音・編集・プロデュース/TH 1999年編集作品
©TH


 野田線で最も釣掛の爆音を発していたモハ5577の船橋寄台車における録音で、新鎌ヶ谷駅開業前の最も喧しい頃の録音です。

 この当時の5577号車は、この世のものとは思えないような轟音を発して野田線を行ったり来たりしていました。発車時はお聞きのように「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・」と大地を揺るがさんばかり(?)の大轟音を発して発車。この台車上に乗ると車体毎ビビリまくって座ってるだけで全身ボディソニックなそれは、釣掛電車ファンにはたまらなく、しかし一般客にははた迷惑な電車でした。


東武鉄道 5070系 モハ5577
野田線 船橋-柏 1999年11月28日録音 約31分

録音・編集・プロデュース/TH 2000年編集作品
©TH


 野田線随一の爆音車だったモハ5577の船橋寄台車における録音で、新鎌ヶ谷駅開業直後のものです。
 1999年5月の録音に比べて爆音の傾向は幾分落ちているものの、惰行時にギヤが「カンカン」と響く傾向があり、かつての旧型国電を彷彿とさせる走りをしています。


東武鉄道 5070系 モハ5577
野田線 休日1838列車 船橋-柏 1999年5月3日録音 約30分

録音・編集・プロデュース/TH 1999年編集作品
©TH


 最もモハ5577が喧しい頃の、大宮口(大宮-柏)での録音です。
 初石-豊四季-柏間で、気合の入った走りをしています。


東武鉄道 5070系 モハ5274
野田線 柏-大宮 1999年3月録音 約68分

録音・編集・プロデュース/TH 1999年編集作品 2015年再調整版
©TH


 当ウェブサイト初期の録音です。当時の技術限界(モデム回線・最初期のRealAudioの品質)を考慮し「(当時の)ウェブで公開できる程度の品質で構わない」という前提で、且つ録音機の特性を探りながらの録音でしたので、今となっては状態の悪さは否めません。

 再公開にあたり、できる限り調整しましたが、元の録音の状態はそういうものなので、ご勘弁いただければと思います。


車外録音編
車外録音という性質上、ウィンドノイズ等でお聞き苦しい部分がありますことを、ご諒承ください。また、音量にもご注意ください。

東武鉄道 5070系 モハ5274 車外録音
野田線 大宮-柏 1999年3月録音 約73分

録音・編集・プロデュース/TH 1999年編集作品 2015年再調整版
©TH


 改題後の当ウェブサイト最初期の録音です。
 車外録音は妻面の窓が開けられるのを利用したもので、前年のモハ5301の録音時の問題を考慮し、風対策で約30mm厚のスポンジを切り出し、そこにマイクユニットを埋め込む「稲荷寿司形マイク」を作成、窓枠下部にテープで張り付けるというもので、閉め切ってコードを車内に引き込めば、冬でも夏の非冷房車のように窓を開けたような録音がきる、というものでした。

 再公開にあたり出来る限り調整しましたが、録音の状態は当時の技術限界もありますので、ご勘弁いただければと思います。


東武鉄道 5070系 モハ5378 車外録音
野田線 柏-船橋 1999年11月6日録音 約33分

録音・編集・プロデュース/TH 2000年編集作品
©TH


 柏-船橋間の車外録音です。
 音は標準的な5050系の音、といっていいでしょう。



野岩線乗り入れ東武5000系
会津高原駅に停車中の東武5050系.
首都圏私鉄通勤車で唯一東北地方へ入る運用であり,そして中央分水嶺を超える運用でもあった.

撮影:TH 2001年2月24日
会津高原駅

鬼怒川線 (野岩鉄道線乗り入れ)
 5050系のかつての運用で下今市発の鬼怒川線始発電車があり、そのまま野岩鉄道に乗り入れ、福島県南会津郡田島町の会津高原駅(当時/現・会津高原尾瀬口駅)まで乗り入れる運用がありました。
 首都圏私鉄の4扉通勤電車としては唯一東北地方へ足を伸ばす最北の定期運用であり、且つ中央分水嶺を超える運用でもあり、山岳線を唸りながら上る強い走りが特徴でした。

 2001年3月をもって、この鬼怒川線始発電車をはじめとした栃木地区ローカル運用のほとんどが6050系電車に置きかえられました。廃止間際に知人の協力により日帰りでは難しいこの列車の録音に成功。上り坂を唸る5050系の走りをお楽しみください。

※臨時列車では8000系後期車が入線しているが、トイレ無しのため6050系増備以降は解消している。

 なお、8000系のうち後期車のみ野岩線に入ったのは、後の法改正に対応した防火対策設計に変更され、結果的に長大トンネル対策済となっていたことが理由で、かつての3070系や5050系が入線できたのも、更新時に防火対策設計となっていたことによるもの。
 また、中央分水嶺を超える定期運用があったのも特徴で、大手私鉄の通勤車両では3070系と5050系が唯一、中央分水嶺を超える定期運用を持っていた。
 大手私鉄車両全体でも、2020年時点で中央分水嶺を越えるのは東武6050系と500系のみとなっているが、会津鉄道に譲渡された元名鉄キハ8500系も、名鉄時代にJR高山線乗り入れの定期運用で中央分水嶺を超え、高山まで乗り入れていた実績がある。



東武鉄道 5050系 モハ5557
鬼怒川線・野岩線 普通327列車 下今市-会津高原 2001年2月24日録音 約72分

録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品
©TH
収録協力/RS


 始発電車ということもあり、乗客はまばらで収録には好都合な条件でした。
 途中の新藤原までの東武線区間は、軽便鉄道由来の区間でもあり、ゆっくりとしたペースで走りますが、野岩線に入ってからは直線も多く線路も良いので期待の走りをしてくれます。天候が雪でしたので所々空転もあります。

 この車輌は2001年3月のダイヤ改正時に運用離脱、廃車となりました。


会津高原駅停車中の5000系
会津高原駅停車中の5050系.
福島県南会津郡田島町は,首都圏私鉄通勤車の来る最北端だった.

運転台から
運転台から.
こんな仙山線と見間違えそうな雪深い場所を,首都圏通勤車が走った!!.
雪の中を走る5000系
雪の中を走る5050系.
決して合成ではない.
雪の中を走る5000系
雪の中を走る5050系.
これもまた合成ではない
中三依駅に停車中の5000系
中三依駅に停車中の5050系.
早朝のため気温はとても低かった
中三依駅に停車中の5000系
中三依駅に停車中の5050系.
最後部1両は保温のため締切扱いとなる。
撮影:TH 2001年2月24日


東武日光駅に停車中の5000系(左)
東武日光駅に停車中の5050系(左)
撮影:TH 2001年3月22日

日光線
 かつては日光・鬼怒川線用(以下"日光線用")に2両編成の5050系が配置され運用されていました。
 日光線用5000系の大きな特徴として、撒砂装置の装備と冬季に使用する「霜取りパンタグラフ」が装備が野田線や群馬地区ローカル用の5000系との違いです。
 また、宇都宮線用の5050系4両編成も、夜間早朝に日光線でも運用されていました。

 日光線へは中型の3000系更新車の廃車代替として転属投入されましたが、2001年3月のダイヤ改正により、その運用のすべてが快速車6050系に置換えられましたが、夜間早朝の宇都宮線用5050系4両編成による運用が残り、辛うじて全廃は避けられていました。

 日光線は線路の状態が大変良く、ほとんどの区間でロングレールが採用されていることもあり、ジョイント音があまりしないので走行音として派手さはあまり無いのですが、昼間の運用があった頃は特急や快速列車の間を縫うように走るので、速度も高めで唸りも聞き応えのあるものでした。
 晩年は夜間早朝のみとなっていましたが、それでも本線ということもあり、この頃を彷彿とさせる迫力ある走りをします。

 新鹿沼以北から緩い上り勾配が続きますが、最も聞き応えのあるのが最終区間である上今市-東武日光間で、連続勾配が延々と続くので上今市出発から東武日光到着直前まで、延々と力行しながら走ります。
 運転士によっては日光到着寸前まで一度も力行を切ることなく、延々と走り切る場合もありました。

[参考]2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
沿線市町の震度(本震)

栃木市藤岡町藤岡:5強 栃木市大平町富田:5弱 鹿沼市晃望台:5強
日光市瀬川:5強 日光市中鉢石町:5弱



東武鉄道 5050系 モハ5361
日光線 普通931列車 新栃木-東武日光 2002年3月3日録音 約57分

録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品 (簡易編集)
©TH


 晩年、日光線で数少ない5050系運用のひとつであった、夕方に新栃木を出発する931列車で録音です。
 日光線・鬼怒川線用の5050系は、比較的豪音車の多かった野田線5070系に比べ、洗練された唸りをするものが少なくなく、このモハ5361もそのひとつです。

 以前公開していたのですが、公開用データが行方不明になっていたところ、2011年3月11日の東日本大震災による大きな揺れでデータの入ったディスクの箱が棚から放り出され損壊する形で発見され、同じような状況で発見された貸切電車のデータは復旧不能でしたが、このモハ5361のデータディスクのみ2014年に読み出すことに成功し、再び公開するものです。

 ファイルのタイムスタンプから収録直後に編集したようで、当時の編集ですので咳等が取り切れていない、現在で言う所の「簡易編集」のレベルのものですが、今回は公開再開を優先し、いずれ手を加えようかと思います。


東武鉄道 5050系 モハ5356
日光線 普通931列車 新栃木-東武日光 2002年3月10日録音 約57分

録音・編集・プロデュース/TH 2002年編集作品
©TH


 これも931列車で録音したものなのですが、2両の電動車の台車のいずれかで車輪の減り方が違うようで、高い唸りと低い唸りが微妙に混ざっています。面白いのでこれも公開します。

 931列車は2003年3月改正でも5050系の運用のままとなり若干の時刻修正が行なわれました。それまでは優等列車の退避がなく、後続の特急列車から逃げ切るダイヤになっていましたが、修正後は下今市で後続の特急列車に接続しています。
 録音は2003年3月改正前のダイヤなので、特急の退避がありません。



桐生線5050系
赤城駅に停車中の5050系

撮影:TH 2003年3月30日
赤城駅
(上毛電鉄デハ101撮影会の際,係員の案内により撮影)
(画像調整済)
桐生線5050系
朝の太田駅に停車中の5050系

太田駅は高架化工事中で,桐生線列車が使う0番線は仮設ホームとなっていた.

撮影:TH 2003年12月28日
赤城駅
(画像調整済)

桐生線
 桐生線は、伊勢崎線の太田(群馬県太田市)から赤城(群馬県大間々町)までを結ぶ全長20.3kmの支線です。
 太田軽便鉄道により敷設された太田-薮塚間が由来ですが、同時に東武鉄道の手により薮塚-相老も敷設。1912年3月に東武鉄道に買収され、買収とほぼ同時に太田-相老間が開通します。その後1928年に電化、1932年3月に赤城まで開通します。
 赤城までの開通と同時に、赤城で連絡する上毛電気鉄道(西桐生-中央前橋)への直通運転も開始。戦後もしばらくは行なわれたようですが、現在は直通運転は行なわれていません。

 桐生線は伊勢崎線の支線という位置付けではありますが、特急「りょうもう」のほとんどの列車が太田から桐生線に入り赤城まで運転されており、実質上こちらのほうが特急のメインルートともいえます。

 当時、普通列車はほぼすべてが5050系で運行されており、太田から赤城へは標高差の関係で緩い上り坂が多く、特に相老から赤城にかけては連続した勾配が続き、釣掛5050系の聞き応えのある路線のひとつでもありました。


東武鉄道 5050系 モハ5554
桐生線 普通807列車 太田-赤城 2003年12月28日録音 約30分

録音・編集・プロデュース/TH 2003年編集作品
©TH


 2003年12月28日に上毛電鉄デハ101の運転があった際、行きの桐生線5050系を録音したものです。

 予定外の録音で、実験を兼ねて点検蓋隙間直上の床面ぎりぎりにマイクを置いてのものです。駆動音やモーターのブラシが擦られる音などが盛大に入っていますが、テープの飽和を許容した録音ですので、ご容赦ください。


東武鉄道 5050系 モハ5253
桐生線 赤城-太田 2003年12月28日録音 約28分

録音・編集・プロデュース/TH 2014年編集作品 (簡易編集)
©TH


 前述のモハ5554と同様、2003年12月28日に上毛電鉄デハ101の運転があった際の録音で、こちらは帰り(上り列車)の録音です。

 これも予定外の録音で、音の様子からモハ5554ほど極端な近接録音にはなってませんので、スタンドマイクを使っての録音ではないかと思います。
 一部ビビリ音等、気になる箇所がありますが既に5050系が無くなって久しく、当然取り直しも不可能ですので何卒ご容赦ください。



■貸切・団体列車
「5050系釣掛フルノッチツアー」ヘッドマーク
「釣掛5050系フルノッチツアー」ヘッドマーク
レトロ調デザインで、昔の東上線の方向板に似ている.

撮影:TH 2003年3月15日
東武日光に到着の5157編成
東武日光駅に停車中の「釣掛5050系フルノッチツアー」電車(5157編成).
背後の人だかりはオークションの結果発表を見る参加者達(修正済)。

撮影:TH 2003年3月15日
新鹿沼駅に停車中の5157編成
新鹿沼駅に停車中の「釣掛5050系フルノッチツアー」電車(5157編成).
方向幕を色々と変えていた。

撮影:TH 2003年3月15日
東武トラベル等主催
「さよなら業平橋駅始発列車 5050系最後の釣掛フルノッチツアー」

2003年3月15日 伊勢崎線業平橋-日光線東武日光
 2003年3月15日に東武トラベル,東武鉄道,東武博物館,レイルマガジン誌の共催により「さよなら業平橋駅始発列車 5050系最後の釣掛フルノッチツアー」として運転された、新栃木研修区所属(当時)の5157編成による団体列車での録音です。

  運転区間は業平橋駅の地上ホーム(現・東京スカイツリー敷地)から東武日光までと東武日光-新鹿沼間の往復。帰路は設定されず、東武日光にて自由解散でした。
 この列車ですが、本来の録音専用区間は新鹿沼以北と折返し東武日光-新鹿沼間の往復列車なのですが、モハ車の台車付近はその殆どが録音目的の方ばかりでした(筆者もそうなのですが)
 実質業平橋発車時からレコーディングスタート状態の方ばかりでしたが、そうでない参加者の方ももおられたため、混雑した模様も収録されています。

 録音は事前のセッティングの都合もあって、スタンド+マイクのいつものセットのほかは網棚からの録音のみ。
 またこの列車では参加者バッジの色により新鹿沼以北で乗客の入替えをし、半数の参加者が業平橋-東武日光間でモハ車に通しで乗車できないこととになりました。その代わり、東武日光-新鹿沼間の往復のほうでモハ車に乗れるような措置が取られています。
 残念ながら筆者は新鹿沼以北クハ車乗車組となったため、網棚録音のテレコをオートリバース機なレコーディングウォークマン(WM-GX822)とし、久しぶりに車内録音で実戦投入。楡木で離脱する際に同行していた知人にお願いして「放置録音」したものです。

 団体列車は東武動物公園までの間はゆっくりと進み、日光線に入ってからスピードを上げて走行するようになりましたが、トップスピードで走る頻度は少なく、おとなしい走り方をしております。
 5050系が伊勢崎線複々線区間に入線したのは14年ぶり、しかも竹ノ塚-北越谷間が複々線になってからはこれが最初で最後の運転となり、加えて東京都区内における鉄道線釣掛駆動式電車の最後の運転列車でもあり、大変貴重な録音でもあります。

※軌道線においては都電7000形が「東京都内最後の釣掛駆動式電車」として運用されていた。

 この列車には2003年3月のダイヤ改正で特急乗務が無くなるスペーシアアテンダンドの方が2名乗務され、車内アナウンスで5050系の経歴などを案内するなど、釣掛5050系での特急並みの接客サービス(?)が提供されました。
 さらに、ご乗車されていた東武博物館館長(当時)の花上嘉成氏による放送でのご挨拶と詳細な5050系にまつわるお話が、さらには南栗橋発車時にはノッチ投入の実況案内までされるなど有難い放送が随所で入り、大活躍されておられました。

 さらに列車内ではクハ車で入札形式の「サイレントオークション」が開催されており、その案内放送も随所に入っております。筆者は録音目的のため参加しませんでしたが、予備のヘッドマークや7800系のナンバープレートなどが品物されていたようです。

Special Thanks to Tobu Travel, Tobu Museum, Tobu Railway, Rail Magazine

東武鉄道 5050系 モハ5357 「5050系最後の釣掛フルノッチツアー」
往路 業平橋-東武日光 2003年3月15日録音 約2時間20分

録音・編集・プロデュース/TH
©TH


  残念ながら筆者は新鹿沼以北でクハ乗車組となったため、業平橋-東武日光間同一箇所で連続録音できたのはこの音源のみです。
説明にもあるように、クハへ離脱後は同行していた知人に放置後の面倒をお願いした関係上、テープ反転を自動で行なえる機械でなければならなかったため、レコーディングウォークマンを車内網棚録音で使用しています。
 音は劣りますが(2000年以前に収録した音源と同レベルです)、始発から終点までの臨場感を味わうには必要十分なレベルにあるのではないかと思います。記録成果としてお楽しみいただければと思います。

 「テープ反転」についてですが、収録当時シリコンレコーダーで生録音に耐えられるものは業務用機しかなく、殆どの方がMDで、他にDATやアナログテープで録音する時代でした。
 このため、DATのSPモードで最長120分、MDで最長80分、テープではC-150を使っても片面最長75分、メタルテープでも当時はマクセル製C-120が上限でしたので片面最長60分が限度となり、この録音に限らず長時間の録音ではメディア交換やテープ反転のタイミングを設けるために、経験や勘,時刻表・ダイヤグラム等を参考に綿密な計画を立てる必要がありました。

 この録音ではC-150等の長時間テープだと反転箇所が微妙な状態になりそうだったため、事前に発表されていた運転時刻を参考に計画を組み、全区間C-90(片面45分)テープで2本使用しました。
 最初のテープ反転は走行中にやむを得ず行なうことになりましたが、適当な箇所・状態になったところでリモコンにより手動で反転、編集で繋ぎ合わせています。

 2本目のテープへの入替えは、新大平下駅での長時間停車の際に実施しています。
 その後の2本目の反転は、前述のとうり自動で行わせる必要があるため、テープの片面録音時間と板荷駅での長時間運転停車のタイミングを見計らって録音を開始。計算通り板荷駅停車中に反転してくれました。列車に遅れでもあるとタイミングが狂うので、ヒヤヒヤものでした。

 よって、新大平下や板荷駅で長時間停車の場面は、この公開走行音では編集し割愛させていただきました。

[おしらせ]
その他の貸切列車の録音番組は、東日本大震災によるデータディスクの損壊によりデータを復旧できず、公開を断念(終了)させていただきました。
収録当時お誘いを頂き貴重な収録の場を設けてくださいました主催者様やご協力者の皆様には、心より感謝を申し上げます。

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